思索の森と空の群青

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タグ:宮部みゆき ( 10 ) タグの人気記事


2016年 12月 04日

教育者には適性というものがあるはずだ。だが、適性だけでは道を誤ることがある。教育の目的の正邪を見極める良心を欠いてしまえば——宮部みゆき『ペテロの葬列』

 宮部みゆき『ペテロの葬列』集英社、2013年。14(1011)


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 この結末には賛否があると思われます。気持ちを落ち着けるのに時間を要しました。賛否のない物語がよいのか、賛否のある物語がよいのか。研究においては後者を推したいし、自らもそうありたいと思っている節もあります。

 バスジャック犯のかつての仕事について、乗客であった彼も同じことをしていたということについて、物語内の位置づけとしてはやや粗いとの印象を受けました。

 みんな同じ目をしているんだ、という。
「教官でも講師でもトレーナーでも、呼び方は様々だが、受講者を教える立場にある人間で、その業界では優秀だと評価されている者ほど、そうだった」
 どんな目ですかと、私は訊いた。
人を見る目じゃない。ものを見る目だ」と、義父は言った。「考えてみれば、それは当然なんだ。人は教育できる。だが連中が目指すのは教育じゃない。〈改造〉だ。人は改造などできない。改造できるのは〈もの〉だよ」(308-9)
人を教え導くというのは、本来、非常に尊い技だ。難しい技でもある。そうそう誰にでもできることではない。だからこそ教育者には適性というものがあるはずだ。だが、適性だけでは道を誤ることがある。教育の目的の正邪を見極める良心を欠いてしまえば」(317-8)

真ん中がないんだよ。空っぽか、みっしりか。そうでないと、あんなふうに人を騙すなんてできないような気がする」
 言い換えるならそれは、〈自分がない〉か、〈自分しかない〉ということではないか。(497)

他には何の根拠もないのに、一途にそう思い込んでしまうところは、流人の島の長にもそれなりの鬱屈とコンプレックスがあるからだろう。それが死角をつくるのだ。(18-9)

認知症なんだよ」と、森氏は編集長に言った。「〔略〕本人はもう何もわからんと医者は言うんだけれど、私にはね、今の家内のなかに閉じこめられてしまった昔の家内が、自分のこんな姿を見ないでくれと、泣いて怒っているのがわかるんだ」(23)

 何人かのグループが談笑している場で、発言している者ではなく、黙って聞いている者に注目するのは、どういう立場の人間だろう。どういう〈職種〉といってもいい。(128)

 北見氏は言っていた。警察を辞めたのは、悲劇が起こってしまってから動き出すという仕事に、つくづく疲れたからだと。悲劇が起こる前に何かできないかと思ったら、私立探偵を始めたのだと。(211)

セクハラって、女性に甘えてるんですか」野本君が目をぱちくりさせた。「女性を舐めてるんじゃなくて?」
舐めてるってことは、許してもらえると甘えてるってことよ」(251)

「極端に閉鎖的な上下関係のなかでは、ちっぽけな権力を握ったらちょっとばかり上位の人間が、それにふさわしい能力も資格もないのに、下位の人間の生殺与奪の権を完全に握ってしまうことがある。私はそれが嫌いなんだ。私がこの世の何よりも憎まずにいられないものなんだよ」(300)

 レンブラントの魔術が生んだ美しい明暗のなかで、『聖ペテロの否認』のペテロは、「イエスなど知らない」と嘘を言い並べている。その彼は、役人たちに引き立てられてゆくイエスが振り返る。イエスの顔には光があたり、ペテロの顔は影に沈む。〔略〕
 ——ほかの弟子たちが逃げ去っても、ペテロはイエスのそばに残っていたんでしょう。最後まで頑張って踏み留まったからこそ、厳しい追及に負けて嘘をつくことになってしまった。
 ——ペテロがもっと臆病な人だったなら、嘘をつかずに済んだのよね。勇気と信念があったばっかりに、恥に苦しむことになった。正しい人だったからこそ、罪を負った。
 それが悲しい、と言った。〔略〕
 どんなペテロにも、振り返って彼を見つめるイエスがいる。だから我々は嘘に堪えられない、だが、自分にはイエスなどいない、イエスなど必要ないと思う者には、怖いものは何もないだろう。(401)

「気づいてたら、きっと止めてた。だけど気づかなかったのよ。手遅れだったの。みっちゃんやあたしぐらいの歳になったら、間違ったと思っても、もう人生をやり直すことなんかできないの。ただ、終わらせることしかできないのよ」(553)

 教育はさまざまなものと紙一重で成立しているのだということに改めて考えました。また、自分がない、と、自分しかない、というのは同じことなのかもしれない、と気づかされました。

@研究室

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by no828 | 2016-12-04 15:14 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 05月 15日

当の幸せ者のまわりには、きっと誰か気の毒な者が出てくるんです——宮部みゆき『おまえさん』

c0131823_1845165.pngc0131823_185852.png宮部みゆき『おまえさん』上下、講談社(講談社文庫)、2011年。43(698)

単行本も2011年。単行本と文庫本を同時発売。

版元 →  


 時代小説。『ぼんくら』、『日暮し』に続くシリーズ作品です。同心 平四郎が主人公。

本音なんて、みんな幻でございますよ
 おや。面白いことを言う。
心にあるうちは、これこそ本物の自分の気持ちだと思うのです。でも口に出すと、途端に怪しくなります。本音だと信じたい思いだけが残って、意固地になります。わたくしがそうであったように、兄もそうであったのでしょう」
(上.545)

罪というものは、どんなに辛くても悲しくても一度きれいにしておかないと、雪のように自然に溶けて失くなることはないのだと、父は申しておりました」(下.144)

「卑しい性のままに悪事をなすなら、せめて露見〔ばれ〕ぬようにやるがいい。そうして何が何でも、身を捨てても隠し遂〔おお〕せるがいい。すべてを己で背負うのが、悪は悪なりの筋目というものだ(下.187)

「好いたの惚れたの、想うの想われるの、それはとっても幸せなことですよ。けども、当の幸せ者のまわりには、きっと誰か気の毒な者〔もん〕が出てくるんです。仕方ないんですよ。だからって一生それに囚われて、泣いたり恨んだり、できもしないことをやろうとする方が、もっと不幸せなんじゃありませんかね」(下.503)

 ↑ これは“リスク社会論的共生論的認識”だと思いました。

「どうすればいいのかと言うから、ああ言ったまでじゃ。何をどうしたらいいかわからぬときは、学問をするのが一番よろしい
〔略〕
 学問に励むならば。
励むほどに、人というものの胡乱さ、混沌の深さがわかってくる。同時に、人が学問という精密なものを生み出したのもまた、その胡乱さと深い混沌故ということもわかってくる
 だから興趣が深い。道は遠い。
(下.520-1)

 ↑ これは源右衛門という、主人公 平四郎の同僚 信之輔の「大叔父上」の言です。わたしも、わからないから学問に来ました。だから共感します。共感しますが、これは万人におすすめのできるものでもないように感じています。なぜなら、そのわからなさを解くために学問に来たとしても、かえってその学問の有する深みから脱出できなくなることがありうるからです。その人のわからなさ、「何をどうしたらいいかわからぬ」というその人のわからなさが実存的・存在論的な種類のものであり、かつ、そのわからなさに学問によって応答しようとするのであればなおさら、あきらめるという脱出も、答えきるという脱出も、いずれも極端に困難ではないかと思います。「覚悟」というものは往々にして、走り出す前にすること・できることではなく、走り出してからしてしまっているもの・せざるをえないものだと思います。わからなさに学問で向き合おうとするのであれば、その覚悟、学問という一種の底なし沼で足掻き続ける覚悟のようなもののことを、念頭に置いておいたほうがよいと思います。それが、政策科学から入って哲学へと辿り着いた、わたしの実感です。

@研究室
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by no828 | 2013-05-15 19:00 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 02月 27日

なぜその客が作り話をしたのか、そこまで見抜けねば仕事は終わりにはならないよ——宮部みゆき『おそろし』

c0131823_16515397.jpg宮部みゆき『おそろし——三島屋変調百物語事始』角川書店(角川文庫)、2012年。15(670)

単行本は2008年に同書店より刊行。

版元 → 


 宮部みゆきの時代小説です。三島屋の おちか という子(表紙の子)が、お店を訪ねてきたお客から奇妙な話を「百物語」ふうに聴いていく(聴くことによって おちか もいわば治癒していく)、というお話です。おちかもまた、闇を抱えていたのでした。

 昨年出版されたものですが、古書105円でした。少したわんでいます、ふやけています。それが安くなっていた理由だと思います。Bックオフでは、書き込みがあったり、ひどくいたんでいたりする本があった場合に申し出ると(そういうことをしたことがありますが)、「大変申し訳ございません。こういう商品は売ってはいけないことになっております。本来は破棄しなければなりません。ただ、もしお客様がご入用ということでしたら、105円でお売りいたします」というようなことが言われます。おかしいですね。
 
「作り話でも、それとわからなければ同じだろう?」
「だって——」
「作り話か真実〔ほんとう〕の話か、おまえには見抜けるかね?」
〔略〕
もしもそれと見抜けたなら、おまえの手柄だ。しかしおちか、その場合にはまだ先がある。なぜその客が作り話をしたのか、礼金が欲しかっただけなのか、そこまで見抜けねば仕事は終わりにはならないよ
「無理ですよ!」
〔略〕
「それにおちか、ひとつの話がまるまる作り話のときには、まだ易しいよ。話のなかの、ある一部分が違っていたり、削られていたり、付け足されていたりすることだってあるだろう。その場合も、嘘と真実を見極めた上で、語り手がどうしてそんなことをするのか、おまえは考えてみなくてはなるまいね。そして私に教えておくれ」
(103-4)

 おちかは、顔に出てしまうほど強く訝った。伊兵衛がこの“変わり百物語”の趣向をし、聞き役としておちかを据えた意図は、もうわかった広い世間には、さまざまな不幸があるとりどりの罪と罰がある。それぞれの償いようがある。暗いものを抱え込んでいるのはおちか一人ではないということを、ただの説教ではなく、他人様の体験談として聞かせることで、おちかの身に染み込ませようという考えだったのだろう。
 その結果、おちかはおしまに身の上を打ち明けることができた。それで楽になったわけではないが、背負ったものを言葉にし、話として語りおろしたことで、おちかは自分の背にのしかかっているものの形を知ることができたと思う。それには確かに、意味があった。
(253)

「亡者はおりますよ」
〔略〕
「確かにおります。おりますけれど、それに命を与えるのは、わたしたちのここでございます
 ここというところで、〔略〕胸の上に掌を置いた。
「同じように、浄土もございますよ。ここにございます」
(345-6.傍点省略)

真の商人は、金のやりとりを決めるとき、相手にとっての価値を先に考えて駆け引きをする。自分がどう思うか、どれほど利益を得るかということは二の次だ」(343)


@研究室
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by no828 | 2013-02-27 17:15 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 12月 23日

標的を見つけることのできない銃口ほど惨めなものはない——宮部みゆき『クロスファイア』

c0131823_15483586.jpgc0131823_15481780.jpg宮部みゆき『クロスファイア 上・下』光文社(光文社文庫)、2002年。177(637)

1998年に同社よりカッパ・ノベルスとして刊行。

版元 →  


 念力放火能力(パイロキネシス)の持主が主人公です。主人公は、この特殊な能力を「悪」の(いわば)消火に使用する、「悪」の付着した・を表象する人間の消滅に使います。一種の責任意識に駆り立てられた行為だと思いました。高い能力を有する人間には重い責任が付随するのか、ということを考えました。

標的を見つけることのできない銃口ほど惨めなものはない。(上.120)


確かに、どうしようもない奴らは世の中にたくさんいるよ。けど、そういう連中だってちゃんと世渡りしてるのよ。だもの、真面目に生きてるあたしたちが、損ばっかりするわけないって。ちゃんとどっかで帳尻があうものよ(上.51)

「主人がつけました」有田好子は頰を染めた。「遅い結婚で、恥ずかしいぐらいなんですけどね。優しい人なんです。桃子にはもう夢中で、おしめも洗ってくれます」
「いいですねえ。なんで恥ずかしいもんですか。幸せになるのに、年齢制限なんかありませんよ
(下.286)

「どっちにしろ、つまんない地味な一生だよね」信恵は髪をかきあげた。「働いて食べて寝てまた働いて。なーんにもパッとしたことなくってさ。金持ちにもなれないし。世の中もっと面白いことあるし、うまくやってるヤツだっていっぱいいるのにさ」
「そうは思わないけどね」
なんか、あたしばっか貧乏くじ引いてるような感じがしちゃうの。頭に来るんだよね、そういうの
(上.96)


 青木淳子は今まで、たくさんの悪事を見てきた。大勢の悪人を見てきた。浅羽敬一のような「悪」は、どこにでもいる。どうしようもなくいる。彼らはいわば社会の灰汁のようなもので、社会が機能する生き物である以上、根絶することはできないのだ。現れたら即、退治する。それしかない。
 しかし、浅羽の母親や密造拳銃の男のような、「ついでの悪」はどうだろう。ひとつの「凶悪」の尻馬に乗る「悪」はどうだろう。彼らの怠慢や強欲が、社会に対してどれほどの害を及ぼすか、ほとんど計り知れないほどだ。それなのに、彼ら自身は「悪」ではない。限りなく「悪」に近いけれど、単独では機能しない。あくまでも尻馬に乗り、派生するものだから。
(上.263-4)


「何て言ってたの?」
「ほとんど言葉になってなかった。ただ俺の耳には、これは何だ? 俺はなんでこんなことやってるんだ? どうしてこんなことになったんだ? と叫んでるように聞こえた」
 どうして? どうして?
「それ以来、処刑のとき、これでもうけっしてしくじらないという安全圏を越えたあとは、“押す”のをやめて、相手が死に際に何て言うか聞き取るようにしてきたんだ。君と同じだな、俺も知りたかったんだ」
「あなたは、答えを見つけた?」
 彼は口元をちょっと吊り上げるようにして微笑した。「あいつらも、質問しかしないってことはわかったよ。なんでこの俺がこんな目に遭わされなきゃならないんだよってね。それはつまり、自分のやったことについてきれいさっぱり忘れてるってことさ
「彼らには罪悪感なんてないってこと? 後悔も恐怖も自己嫌悪も?」
「ないね」
(下.103.傍点省略)


「あたしたちはみんな、頭めちゃくちゃ悪いから、クズみたいな高校しか入れなくて」
 淳子は信恵の笑いに同調せず、つと目をそらして足元に落ちている吸い殻を見つめた。信恵は混同しているようだけれど、学校の成績が良くないということと、頭の良し悪しはまったく別の問題だ。さらに、成績の良し悪しが人間の善し悪しには関係ないということもある。
(上.89)


@研究室
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by no828 | 2012-12-23 16:33 | 人+本=体 | Comments(2)
2012年 08月 16日

葬式ってのは、故人の生き方には関係ない。残された人間の本性を暴く場なんだ——宮部みゆき『小暮写眞館』

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125(585)
宮部みゆき『小暮写眞館』講談社、2010年。


版元 → 


 本文713ページ。男子高校生を主人公とする、4話構成の長篇であります。表現の軽さが随所に目立ちました。が、全体としては、じんわりと沁みてくる、よい話でありました。ちなみに、帰省のさい、S河のBックオフで買いました。もちろん105円。

 以下は宗教者の発言ですが、という逆接が妥当かどうかわかりませんが、まともだと思いました。
「わたくし共には、御仏のなさることの、すべての意味がわかるわけではないのですよ。わからぬことはそのまま受け入れ、わかるはずだ、わからねばならぬと思った時に生まれる傲慢を矯めていかねばなりません。それが今世での修行というものです」(90)

 消えていてほしい。
「でも残ってた。過去って消えないんですよ」(229)

 “逃げ”ではない、という解釈。
 田部女史と面会するには、翌週の木曜日まで待たなければならなかった。何かかんか都合が悪いとかわされたのだ。田部さん、結果を聞く勇気を溜めてるんだなと、英一は思っていた。(286)

ボク思うけど、不登校の子って、学校が嫌なんじゃなくて、学校が怖いんだよ(363)

「人間、生きるか死ぬかの最後のとこは、てめえじゃどうにもならねえ。運次第だって」
 しんみりしてから、笑った。
「ま、若い人には、まだこんな話は用がねえな」
(375)

「兵隊と非戦闘員じゃ、絶対に違うところがあるじゃないか」
〔略〕
非戦闘員なら、誰も殺さなくって済む
 殺される恐怖は同じでも、殺さなければならないという恐怖あない。垣本順子はそう言った。戦争の最中でも、兵士でなければ、人殺しをせずに済む」
 殺される恐怖は同じでも、殺さなければならないという恐怖はない。垣本順子はそう言った。戦争の最中でも、兵士でなければ、人殺しをしなくて済む。
「〈救われた〉っていうのは、そういう意味だよ」
(476)

「でも、創作物というものは、常に誤読・誤解される可能性を持っているだろ。むしろそうでなくっちゃいけないのかもしれない(488)

 ——葬式ってのは、故人の生き方にはまるで関係ない。残された人間の本性を暴く場なんだ。(570)

 ——芸術は人を待ってくれないけれど、人は芸術を待つことができます。(645)


@福島
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by no828 | 2012-08-16 20:06 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 02月 01日

それは、彼らには想像力が欠けている、ということだ——宮部みゆき『東京下町殺人暮色』

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17(487)宮部みゆき『東京下町殺人暮色』光文社(光文社文庫)、1994年。

版元 → 情報なし


 本の紹介が続くのは、書き残すほどのこともない単調な生活のためでもあります。この単調さが悪いとは思いませんが。

 小説を書くときに、登場人物の誰かに書き手自身の考えを投影する・仮託するということはあるのでしょうか。“この人にわたしの考えを言ってもらおう”というふうにして登場人物を設定することはあるのでしょうか。

 ということを本書を読みながら思いました。こう思ったのがはじめてだということではありません。以前からそんなことを思うことがありましたが、今回はもっと意識的に・自覚的にそれを思ったということです。

 あるいは特定の登場人物に限定せず、複数の登場人物に書き手の考えを分散的に・部分的に言ってもらうようにすることもあるのでしょうか。

 どちらがより簡単かと考えるとそれは前者であり、だから小説家はより複雑になる後者を採用することが多いのかなと思いました。が、これは素人考えであり、後者のほうが実はより容易であるのかもしれません。

 主人公は八木沢順、順の父が道雄、職業は刑事、八木沢家の家政婦がハナ、慎吾は順の友人です。


 ↓ 自分に子どもはいないけれど、同意。子どもをもうけるとか、教育をするとか、それらは大人にとっての問題であり、大人だけの問題であると言い切ってもよいとわたしは考えるに至っています。


 道雄が近づいて行くと、しゃがんでいた女は立ち上がり、子供を抱く腕に力を込めた。
 すがりついたのだと、道雄は思った。我々大人は、怯えたときにすがりつく相手が欲しいから子供をもうける。子供こそが、どんなことも乗り切っていくことのできる力を与えてくれるように思うから。

□(24)

 ↓ 自分にとっての研究もこの「たまたま」である可能性もあるのだなと、ときどき思います。そして、少し空しくなります。


自分の見たものを残しておきたいと、ずっと思っていたんだ。方法はなんでもよかった。たまたまそれが日本画だったというだけでな
「そうかな……」
そんなものだよ。才能なんかじゃなかった。だから見てごらん、〈火炎〉以来、私はろくな仕事をしとらんから。私は素人なんだ。ちょっとばかり執念深かったというだけの素人だよ。〈火炎〉を描いて、あとはその余韻でずるずる生きてきただけだ
「それはなんか、すごくキビシイ言い方だと思います」

□(120)

「自分の考えたことを残しておきたいと、ずっと思っていたんだ。方法はなんでもよかった。たまたまそれが研究だったというだけでな」
「そうかな……」
「そんなものだよ。才能なんかじゃなかった。だから見てごらん、あの論文以来、私はろくな仕事をしとらんから。私は素人なんだ。ちょっとばかり執念深かったというだけの素人だよ。あの論文を書いて、あとはその余韻でずるずる生きてきただけだ」
「それはなんか、すごくキビシイ言い方だと思います」


 ↓ 家政婦のハナ(← うわぁ……)


「そうではございますが、ねえ、ぼっちゃま。わたくし、一緒に奉公していた年上の家政婦に教えられたんでございますよ。〔ママ →〕あたしたちのこの言葉、この態度は武器なんだ、とね」
「武器?」
「はい。世渡りの為の武器でございます。わたくしは、この言葉を使うことで武装しておりました。本当のわたくしが、言葉で武装することで家政婦になるんでございます。そう考えると、わたくし、ずっと楽になりました
 ゆっくりと、その言葉の意味をかみしめてみた。
「でもね、ハナさん」
「はい?」
そしたら、今も武装してるの? うちにいるときのハナさんはホントのハナさんじゃないの?
 それは悲しい、と思った。だが、ハナはにこにこして首を振った。
「いいえ、今は違います。今はただの習い性でございますね。五十年も続けているうちに、身についてしまいました」
 ぼっちゃま——と、ハナは身を乗り出した。
わたくしが申し上げたかったのは、人は誰でも武装するものだ、ということでございます。ただ、何で武装するかは、その人によって違います。鎧を着る人もいれば、鉄砲を持つ人もいます。空手を習う人もいるでしょう。そして、どう武装しているかによって、歩く場所も違ってまいります」

□(190-1)

 ↑ 感情労働を想起しました。

 ↓ 中途半端な想像力で他者を語るなと伊坂幸太郎に以前叱られましたが、やはり想像力は大事だと思います(伊坂も想像力が大事でないとは言っていない)。しかし、自分に当てはまることが他者にもそのまま当てはまると考えてしまうことはときに短絡であり、それゆえに危うさをも含み持つということも考えないといけません。ただ、逆に他者のことなどわからないと言い切ってしまうことも同時に短絡であり、危ういものです。「悲劇」や「恐怖」ならば他者と共有できるはずだと考えたリベラル派の哲学者の言うことも、だからわからなくはない。


それより、想像力を伸ばすことではございませんか
「想像力?」
「はい。他人様の迷惑をおもんぱかるのにも、想像力が要りますでしょう。わたくしはつねられれば痛い。では、あなたもきっとつねられれば痛いでしょうねと思う気持ちでございますね

□(232)


「ごめんで済めば、警察は要らないんだからさ」
「オレはそうは思わない。とうちゃんがいつも言ってる」と、慎吾は拳骨を握った。「『ごめんという気持ちがあれば、警察が要らないことはいっぱいある』って」
「いいお父さんだ」と言って、川添警部は二人の肩に両手を置いた。

□(226)


「殺人や強盗をする少年犯の実態がどんなものなのか、俺はそれほどよく知っているわけじゃない。だが、一つだけ、これだけは確かだと思うことがある。それは、彼らには想像力が欠けている、ということだ
 速水を振り返ると、彼はじっとこちらを見つめていた。
想像力がない」と、道雄は念を押した。「だから、常識のある大人たちの目には残虐きわまりないことが、平気でやれる。こうしたら相手はどう感じるか、そこに頭が回らないんだ。生きてそこに存在している他人を、自分と同じ生身の人間だと思うことができない。ただ、自分の欲望の対象としてしかとらえることができない。
 だが、そういう彼らも、自分の欲望を満たすために手にかけた相手も、やっぱり自分と同じ人間なんだと気づくときが、必ず一度はくる。それはな、速水。相手を殺してしまったときだ。その死にざまを見たときだ」
 速水は息を飲んだ。

□(252)


@研究室
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by no828 | 2012-02-01 15:41 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 01月 30日

なんで、僕だって少しは楽したいと願わなくちゃならないんだろう——宮部みゆき『名もなき毒』

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15(485)宮部みゆき『名もなき毒』幻冬舎、2006年。

全489ページ

版元 →  




 「名もなき毒」の名は、実は「怒り」です。不公正(unfairness)への怒りと言ってもよい。通読してそう思いました。ただし、そこには常に、“それ”は誰にとっての・どこから見ての「不公正」なのか、という論点が付きまといます。また、一方で「権力」を有する者にとっての「不公正」は比較的速やかに認識され、対処をもされながら、他方で「権力」を有しない者にとっての「不公正」は比較的認識されにくく、直されにくいということもあります。

 ちなみに、474ページ以降の記述(紙パックの実験と探偵業)は、「真相」はもう一層深いところにありそうな予感を読み手に抱かせます。続編の予定があるのでしょうか。


 ↓ 丸くなるな。丸くならないことにも丸くなるな。苦しみに安住してはならない。


 硬派のジャーナリストであっても、それを生業とする以上、一種の人気稼業ととらえられてしまうことを免れない。それが現代社会だ。正邪や真偽より、好感度や注目度、どれだけ目立つ存在であるかで、まず計られる。そのなかで言いたいことを言い、書きたいことを書いて生き抜いてゆくには、嫌でも尖らざるを得まい。が、人間というのは面白いもので、尖っていること自体を楽しむこともまたできるし、一方で世渡りをするために、それまでしなかった妥協をもするようにも〔ママ〕なる。上手く尖っていれば、それを許されるようになるからだ。仕事が粗くなるプロセスとは、煎じ詰めればそれだろう。
□(201)

 ↓ そう思いたい。思いたいがしかし、その「正しさ」はいつの・どこの・誰の? と問わずにもいられない。「正しさ」はどこへ収斂していくのであろう。


「えっと、いろいろ大変だと思いますけど、元気出してくださいね。正しいことは、時間かかっても、必ず正しいって証明できますから」
□(233-4)

 ↓ 権力論。「権力」と言うより「暴力」だと思いながら読みました。


究極の権力は、人を殺すことだ
 義父は続けた。口調は淡々としているが、目が光っている。
「他人の命を奪う。それは人として極北の権力の行使だ。しかも、その気になれば誰にでもできる。だから昨今、多いじゃないか」
 私は黙ってうなずいた。
「五人の命を、ミネラルウォーターに毒物を混ぜるというだけの簡単な作業で奪ってしまうことができる。〔略〕死ななかったんだから違うという言い訳は通用しない。他人を意のままにしたという点は同じなのだから
 そうだ。我々はそういう人間を指して“権力者”と呼ぶ。
「だから私は腹が立つ。そういう形で行使される権力には、誰も勝てん。禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ。ふん、何が今多グループの総帥だ。無力なことでは、そのへんの小学生と一緒だろう」

□(260-1)

 ↓ 子どもの成績が悪くて怒る親が怒っているのは実は自分のことである、というのと同型。


 自分の子を責めるのは、自分を責めるのと同じだ。それが親というものだから。
□(284)

 ↓ 「戦争」を「原発」に、「空襲で焼け野原になった場所」を「放射能で汚染された土地」に、「東京」を「福島」に。するとこの「毒」は「怒り」ではなく「私益追求」と呼ばないといけない。


「それに、いちばん大きな汚染源は“国家”なんですって」
〔略〕
「どういう意味?」
戦争よ。空襲で焼け野原になった場所、とにかく瓦礫を埋め殺して復興したわけでしょう。そうしないことには立ち行かなかったから仕方ないんだけど、結果的に、東京の地面の下には何が埋もれていてもおかしくなくなっちゃったのね」
 埋め殺しとは凄い表現である。
「だから戦争はしちゃいけないんだわ。やっぱりそうなのよ」

□(318)


「いちばん大きな汚染源は“国家”なんですって」
「どういう意味?」
原発よ。放射能で汚染された土地、とにかく瓦礫を埋め殺して復興したわけでしょう。そうしないことには立ち行かなかったから仕方ないんだけど、結果的に、福島の地面の下には何が埋もれていてもおかしくなくなっちゃったのね」
 埋め殺しとは凄い表現である。
「だから原発はしちゃいけないんだわ。やっぱりそうなのよ」


 実際に代入して読んでみて、自分でも怖いと思いました。

 ↓ “普通”の意味。


「こんなにも複雑で面倒な世の中を、他人様に迷惑をかけることもなく、時には人に親切にしたり、一緒に暮らしている人を喜ばせたり、小さくても世の中の役に立つことをしたりして、まっとうに生き抜いているんですからね。立派ですよ。そう思いませんか」
「私に言わせれば、それこそが“普通”です」
「今は違うんです。それだけのことができるなら、立派なんですよ。“普通”というのは、今の世の中では“生きにくく、他を生かしにくい”と同義語なんです。“何もない”という意味でもある。つまらなくて退屈で、空虚だということです
 だから怒るんですよと、呟いた。
「どこかの誰かさんが“自己実現”なんて厄介な言葉を考え出したばっかりにね」

□(337)

犯罪を起こすのは、たいていの場合、怒っている人間です。その怒りには正当な理由がある場合もあれば、ない場合もある。いや、“ない”というのも、あくまで客観的にはないように見えるというだけで、本人にとってはちゃんとあるんですがね」
□(339)

 ↓ こういう「怒り」もあり、それに共感する自分をわたしは実感し、そういう自分をメタ認知する自分が嫌悪する。「怒り」は何も生まない、それどころかマイナスを生む。それを頭ではわかっていても、「怒り」が募ることもある。


僕も、楽したかったから
〔略〕
もう、何もかも嫌になっちゃったから
〔略〕
すごく悲しくて
〔略〕
 なんでこんなことしなくちゃならないんだろう。なんでこんなことを考えなくちゃならないんだろう。
 なんで、僕だって少しは楽したいと願わなくちゃならないんだろう。少しどころか山ほどの楽をしている若者が、この世の中には掃いて捨てるほどいるのに。何も願わなくても、すべてかなっている人たちが大勢いるのに。
 どうして僕一人だけ、そこから省かれているんだろう。

〔略〕君が悪いことをしたから、この人生のなかに閉じ込められたわけじゃない。君が選んだ人生じゃない。君に選択の余地はなかった。
〔略〕
そしたら、何か急に腹が立ってきて。悔しくて、夜も寝らンないくらい悔しくて

□(419-20)

「世の中のすべてに腹が立って、自分にはこういうことをする権利があると思ってました。迷ったりなんかしなかった」
□(440)


 ↓ 誤植


「うん」と応じて私の顔を見て、萩原社長は笑った。
□(352)


@研究室
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by no828 | 2012-01-30 17:14 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 01月 21日

だけど、それをどこで止めにする?——宮部みゆき『ステップファザー・ステップ』

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10(480)宮部みゆき『ステップファザー・ステップ』講談社(講談社文庫)、1996年。

※ 単行本は同社より1993年に刊行。ちなみに、わたしの手元にある44刷という驚異の数字を示した文庫本の表紙デザインは左のものとは違います。

版元 → 




 宮部本を(もちろん古本で)ごそっと買ったことがあって、そのなかの1冊。泥棒が双子のステップファザーつまり義父になるというお話。「泥棒」と言っても、平成の鼠小僧的な要素が含まれています。だからそこには、財の正当な移転とは何か、という問いが伏在しているのです(これはすぐに、財の正当な獲得、財の正当な所有とは何か、という問いをも提起するわけですが)。「あり余っているところから、足りなくて困っているところへ、金を移動させ、その手数料をもらっているだけの話だ。運送屋と同じこと」(65)。

 個人的には、焼いたソーセージと卵ひとつの目玉焼きとを一緒に皿に乗せた料理を「一卵性双生児」と双子が呼んでいたのが(不覚にも)おもしろかったです。

 なお、宮部さんは「気を使う」と一貫して表記していますね。一貫すると、それらしく見えてこないこともない。


 ↓ 宮部さんのお考えと思って読んだところです。


 暇つぶしにミステリーを読むことがある程度で、およそ文学とは縁のない人間がこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、俺にはどうも、現代国語という科目が滑稽に思えて仕方ない。少なくとも、詩や小説を題材にして教えるということに関しては、絶対におかしい。どうかしている。
 〔略〕
 そもそも、文学作品や小説、物語は、考えたり説明したりするために味わうものではない。まず楽しんで、次に解釈——それも自由な解釈をしてこそ意味があるのだ。
 俺が育ったころの教科書には、「説明しなさい」「考えなさい」と書いてあった。今の教科書は、「いっしょに考えてみよう」などと、猫なで声を出している。だが、どっちにしろ、最後に「テスト」というものが待っていることを考えたら、出口はひとつ、結果は同じだ。自由に解釈し、自由に感動することは許されない。子供たちはみんな、テストで丸をもらえそうな答えを探すだけだ。そして、本を読むことが嫌いになる。そういう意味では、なまじっか、親切そうな「考えてみよう」などという提案口調の教科書の方が、ずっと始末が悪いかもしれない。こういうやり方を、教育亡国という。

□(135-6)

 ↓ 年を取る、ということは、こういう実感を深めていく、ということかもしれない、と思うようになったわたしは、だから年を取っているのです。


 だが、こうして突然、十三歳の子供二人の父親になってみて、俺はつくづくと考える。人生なんてものは、ドラマチックな恋愛や激情でできているものではないのだ。それは、期限の切れていない健康保険証や、住宅ローンの支払いが、今月もまた無事に銀行口座から落ちたことを報せる通知や、そんな細々としたものから成り立っているのである。
□(173)

 ↓ これを「関与」一般で考えると、あるいは「教育」や「援助」ということへと敷衍して考えると、じっくり考えないといけないことがあるとわたしは思っています。


「俺が言いたいのはな、俺だって淋しいと感じることってことさ。除け者にされたなら。もう要らないよと放り出されたなら。おまえらは俺を、実の親の代用品、取り替えのきく部品だと思ってるらしいけどな、俺にだって感情はあるんだぞ。だから、おまえらと楽しく正月旅行をするのもいいさ。仲良くなるのもいいだろう。お父さんごっこをしようや。だけど、それをどこで止めにする? おまえらと仲良くなったら、いつかどこかでごっこ遊びを止めたとき、俺がどんなふうに感じるか——おまえら、それを一度でも考えたことがあるか?」
□(217)

 ↓ よいですね。


「お父さん」
「今」
「発見したんだけど」
風邪ってさ
早くよくなってねって
心配してもらうために
ひくものじゃない?
 心配してくれる人がいれば、鼻風邪にかかることだって、楽しい。
 そう。そういうことなのだ。

□(246-7)

 ↓ 「教育」は「創造」行為なのか? と素直に疑問に思った。そう捉えたときに見えなくなることは何か、と思った。また、仮に両者を等号で結んだとき、教育=創造という働きかけを受けた子どもの側からの「反創造」という生成の動きはどう捉えられるのか。「反創造」を「創造」したこともまた「創造」か?


「仕事はみんな創造的なもんだと思いますよ」と、俺は言った。「非創造的な仕事なんてありますかね? 特に先生は、生身の子供を育ててるんだ。これにまさる創造はないと思うが
 礼子先生は、つと顔を赤らめた。

□(271)


@福島
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by no828 | 2012-01-21 18:10 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 03月 25日

でしょうね。思ってはいない。だから呪いだというんです——宮部みゆき『楽園』

 引き続き。
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版元(上巻)版元(下巻)

30(263)宮部みゆき『楽園(上・下)』文春文庫、文藝春秋、2010年。
* 初出は「産経新聞」2005年7月1日〜2006年8月13日連載。
** 単行本は2007年に上下2分冊で文藝春秋より刊行。


 趣味本を、たとえ文庫とはいえ新刊で買ってしまうという背徳。しかも上下2分冊……。ちなみに、上巻503頁、下巻433頁の大部。しかし、一気に読めるのはさすが宮部さんと言わなければならない。

 ストーリーにより没入するには、『模倣犯』を先に読んでおくとよい(わたしは読んでいた)。というのも、『楽園』の主人公のライター前畑滋子は『模倣犯』の主人公でもあったからである。両作においては連続性が保たれている。本文に出てきた印象的な言葉として「喪の仕事」というのがあるが、『楽園』は『模倣犯』にとっての「喪の仕事」でもあるように思われる。

 書けるはずのない絵を書いて事故死した少年・萩谷等の絵から見えてくる人間の強さと弱さ。



もう目を背けないという覚悟は、積極的に立ち向かうという宣言とは違う。 
■(上・19)

 完全にコンテクストから離脱させていますが、体幹をちょっと引っ掻かれたもので。


「でも、この絵にこだわってしまう」滋子の発言を制して、秋津は続けた。「この絵をひと目見た瞬間に、これに囚われてほかのものが見えなくなってしまった。そうでしょう?」
 事実だったから、滋子は渋々ながらうなずいた。
「呪われてるんだ。未だにね」
「呪いだなんて! わたしは——そんなふうには——思ってないけど」
「でしょうね。思ってはいない。だから呪いだというんです」

 太い鼻息を吐いて、秋津は軽く笑った。

■(上・180 傍点省略、以下同様)
 
 本人は思っていない、しかし端から見れば何かに憑かれている——それを「呪い」だとするならば、と言って別のコンテクストに移動するが、研究においてこの「呪い」を明らかにするのが哲学(あるいは思想(史)研究)の役割なのかなあと、ここを読んで思った。もちろん研究において「呪い」などという言葉はほとんど出てこない(呪術研究などでは頻出すること間違いなしだが)。研究において「呪い」にあたるのは——とくに自覚されていない——「前提」とか「仮定」とか「立場」とかそういうものたちである。それらを取り出して吟味するのが哲学の役割だ——というのが目下のわたしの哲学観である。
  

 次に滋子は、大まかな〔調査の〕スケジュール表をこしらえた。萩谷等についての調査を、どの角度からどう進めるか。まず何をやるべきか。何を調べ、誰に会うべきか。最初は思いつくそばから書き出してゆき、ある程度書き尽くしたところでそれを整理する。
■(上・196)

 研究でもこの手順は大事。


 滋子の目には、こういう〔子ども・孫のなかでもっとも扱いやすい者を仕事や結婚をさせずに家に残すという〕やり方も一種の“虐待”に見える。子供から人生を取り上げ、自身の意志を持つことを禁じ、労賃なしのお手伝いさん扱いするのだから。
■(上・232)

 前近代と近代の衝突。


「何だそりゃ。宇宙人か?」
 滋子の肩越しにのぞきこんで、昭二はそう言った。
「これ、昭ちゃんだよ」
 それからが大騒ぎだった。昭二はさんざん抗議したり笑ったり怒ったり鏡を見たりして、滋子はそれを見て笑い、しまいには昭二が鉛筆を握り締めてスケッチブックに向かった。五分としないうちに描いたページをこちらに開いてみせて、
「これが滋子だ」
 ロングヘアの“へのへのもへじ”だった。
「夕飯、食べさしてあげない」
「待て待て! 早まるな! 描き直す!」
 何度描いても結果は同じ。二人とも絵心がない。からっきしダメだ。仲良くビールと焼酎を飲んだ。
「思ったより難しいもんだな」
 昭二は自分の太くて短い指をつくづくとあらためる。
「滋子の顔なんて、隅から隅までよく知ってるつもりなんだけどさ。いざ絵に描こうとすると、わかんなくなっちまう」
知ってることと、知ってることを表現することは別なのよ
「また小難しい言い方をする」

■(上・289)

 まさにそう。それにしても、こういうやり取りは、いいなあ。


 免許を取って二年だというが、誠子の運転はスムーズだった。
「わたし、免許を取るつもりはなかったんですよ。でも、達ちゃんが取れ取れって言うもんだから」
 別れた夫——井上達夫のことを、誠子は「達ちゃん」と呼んでいた。

■(上・)

 一瞬びくっとした。井上達夫という名前の法哲学者が実際にいるからだ。知っている研究者の名前がいきなり小説などに登場すると驚くということを知った。そして、井上先生も奥さまに「達ちゃん」と呼ばれていたのかなとか、余計な想像力を働かせてしまう。

 引用は以上だが、誤植と思われる箇所を最後にひとつ。


「ハイ、おすそ分け」
 敏子の土産だと説明して、飴の袋を差し出した。
「萩谷さんはとっても気を使う人だから、若い女性の一人暮らしのあなたに、いきなり宅配便を送りつけたりしないと思うの。だから、ね」
 誠子は子供のように喜んだ。

■(下・278)

「気を使う」は「気を遣う」が正しいはず(もちろん、言語において「正しい」とは何かという問いは残る)。これが現出する直前の277頁では、「敏子らしい気遣い」という表現が実際に使われている。したがってこの箇所は誤植と言ってよいと思う。同一作品中の表現方法の統一という観点からも、これは要修正であろう。

 よろしくご検討くださいませ > 版元さま

@研究室
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by no828 | 2010-03-25 15:33 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 11月 30日

この世のことを、おめえ一人で全部背負い込むわけにはいかないんだよ——宮部みゆき『日暮らし』

晴れ

今年に入ってから77-1冊目(ウェブログを始めてから127-1冊目)
宮部みゆき『日暮らし 上』講談社(講談社文庫)、2008年。

(読了日:2008年11月23日)

時代小説。

「すると、おでこは尋ねた。『先生、人は死ぬとどうなりますか』
 幸庵先生は答えた。『わたしはまだ死んだことがないからわからん』
 『だが、おまえの場合は、死んだらどうなるか、はっきりわかる』
 『どうなりますか』
 『迷惑になる』
 こんなわけもわからないことでおでこが死んでしまっては、政五郎夫婦は悲嘆にくれるだろう。自分たちに何か悪いところがあったのかと悩むだろう。どうにかしてやれなかったろうかと悔やむだろう。それが迷惑だと幸庵先生は言ったのである」(pp. 13-14)。

「『人は欲深いものだと、叔父上はよく言います』と、弓之助は言った。『わたくしが、生き物と別れるのは嫌だ、だから飼わないというのも欲だと』
 『欲……?』
 『はい。一度自分が親しく思ったものが、どんな理由であれ離れてゆく。それが我慢できないというのも、立派な欲だと。それでも、その欲がなければ人は立ちゆかない。そういう欲はあっていいのだ。だから、別れるのが嫌だから生き物と親しまないというのは、賢いことではない――』
 弓之助は頭を動かし、空を仰いだ。
 『そして、いつか別れるのではないかと、別れる前から怖れ怯えて暮らすのも、愚かなことだと教わりました。それは別れが怖いのではなく、自分の手にしたものを手放したくないという欲に、ただただ振り回されているだけのことなのだから
 お恵は首筋が寒くなった。これもやはり、今のお恵の気持ちを言い当てているのではないのか?
 佐吉の心は、もうお恵の上にはない――ないかもしれない、なさそうだ。お恵はそのことに、ずっとずっと怯えて――」(pp. 120-121)。

「『おまえはどう思う?』
 弓之助は少々及び腰になった。『何をでございますか?』
 『人を好きになるとはどういうことか』
 美形の顔が、ちょっと歪んだ。『さあ、わかりません』
 『わからないなら考えろ』
 『叔父上――』
 『おめえなら見当がつくはずだ』
 〔……〕
 急に子供こどもした風情になって、弓之助は指で鼻の下をこすった。『好きになると、ずっと一緒にいたくなるでしょう』
 『うん、それから?』
 『その人と楽しく暮らしたくなります』
 『それから?』
 『その人の笑う顔が見たくなりますし、困っていたら、助けてあげたくなります』
 平四郎はおとよに目を向けた。『どうだ、得心がいったかい?』
 おとよは依然、きょとん顔だったが、今度は本当のきょとんだった。初めて弓之助によそ見をせず、平四郎を見ている。
 『そういう気持ちになったことが、これまであったかい?』
 『ありません』
 『そうか。でも、これからなるかもしれないぜ。縁談相手を嫌いじゃないなら、試してみる価値はある』
 『それじゃ、嫌いというのはどういうことなんでございましょう』
 おとよが平四郎に直に訊ねた。平四郎は笑った。『今の逆さ。その人と一緒にいたくないし、楽しく暮らせなくてもかまわないし、笑う顔は見たくないし、困っていても放っておける』」(pp. 252-254、傍点省略)。


77-2(127-2) 宮部みゆき『日暮らし 中』講談社(講談社文庫)、2008年。
(読了日:2008年11月23日)

「言葉を形にするために、平四郎も拳を握ってみせた。
 『あるいは、おまえはただ今度のことに巻き込まれただけで、葵を手にかけてはいないということだって、充分にあり得る。そのときにもまた、おまえは正直にそう話してくれるはずだ。そのことも、同じように強く信じている。だからこそ、おまえとこうして話せるときを待っていた。お恵もきっとそうだったろう』
 佐吉は手をあげて、目のまわりをごしごしとこすった。目の縁が赤い。
 『きれいなことを言うならば、お恵も俺も、最初からこう言うべきなんだろう。佐吉、俺たちはおまえを信じている。おまえは、何があったって人を殺せるような男じゃない。そう言ってやるべきなんだろう』
 平四郎はゆっくりとかぶりを振ってみせた。
 『だがな、それはまやかしだ。なぜなら、お恵も俺も、弓之助も知っているからだ。おまえが葵に、湊屋に、長いこと騙されてきたことを。それがどれほどおまえを驚かせたか、傷つけたか、苦しめたか、知っているし察することもできるからだ。だから、きれい事は言えない。おまえは人殺しなんかする男じゃないという、大雑把に明るいことは言えない。相手が葵だったなら――何なら湊屋総右衛門だってもいいぞ――もしかしたらおまえが腹立ちと悲しみのあまり、手にかけてしまうことがあっても無理はないと考えざるを得ないんだ』
 ここで平四郎は声を強めた。
 『だがそれは、おまえを信じていないということじゃあない。絶対に違うんだ。お恵も俺も弓之助も、おまえを信じているからな。俺たちには、おまえが必ず本当のことを打ち明けてくれると信じているからな。もしかしたら、あの芋洗坂の屋敷で対面したとき、不幸な掛け違えが起こって、おまえが葵を殺めてしまったということならあり得る。だが、おまえが俺たちに嘘をついてそれを隠すということは、絶対にないと信じているからな』
 それじゃ不服かと、平四郎は静かに問いかけた」(pp. 130-132、傍点省略)。


77-3(127-3)宮部みゆき『日暮らし 下』講談社(講談社文庫)、2008年。
(読了日:2008年11月26日)

「『小作人の住まう小屋というのは……貧しいものでございますね』
 思い出し、思い浮かべているのか、弓之助の瞳の焦点が遠くなった。
 『わたくし、畳の一枚もないおうちというのを、初めて見ました。壁の羽目板はすかすかで、どこに座っても隙間風が吹いてきます。土間は泥だらけで、庭とも呼べない荒れた庭先に、痩せっぽちの鶏がよろよろ歩いているのです。台所も、その、何と申しますか、ろくな道具がないのです。食べ物らしいものも見当たらないのです』
 『だろうな』
 『おはつちゃんの着物ときたら、わたくしの家では雑巾にしてしまうような古着でございました。いえ、おはつちゃんだけでなく、あの子のお父さんお母さんも』
 〔……〕
 『子供たちは履物なぞ持っていません。みんな裸足です』
 『長屋の子だってそうだ』
 『それは元気で遊んでいるからで、買おうと思えばいつだって草履のひとつぐらい買えるじゃありませんか』
 『それは、おめえがまだ、本当に貧乏な長屋の子を見てないってだけだよ』
 らしくもない、怨むような上目遣いになって、弓之助は平四郎を見た。平四郎は背中がぞわざわしてきた。
 『やめてくれ、その目つき』と、素早く起き上がった。『小作人の暮らしが苦しいのは、俺のせいじゃねえんだからさ』
 〔……〕
 『わたくし……少々取り逆上せてしまいまして』弓之助は声を振り絞る。『ほんの刹那でございますが、こんな苦しい暮らしをしている人たちの前では、誰が葵さんを殺そうが何が理由であろうが、そんなの、たいした問題ではないと思ってしまいました。いえ、本当に、おはつちゃんの身が危ないということさえなければ、葵さん殺しの下手人探しなど放り出して、おはつちゃんの家が少しでも楽に暮らせるにはどうしてあげたらいいのか、そっちの方にこそ頭を使いたくなりました』
 握り締めたようなくしゃくしゃの顔をしている。依然、油の切れた弓之助行灯の頭を、平四郎はぽんと掌で打った。
 『それはそれ、これはこれだ』と、穏やかに言った。『この世のことを、おめえ一人で全部背負い込むわけにはいかないんだよ』
 〔……〕
 『佐々木先生も、同じようにおっしゃったことがございます。〔……〕』
 『ふうん。いい先生じゃねえか』
 『ただ、背負い込んではいけないが、忘れてもいけないと』
」(pp. 163-168)。


@自室
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by no828 | 2008-11-30 22:16 | 人+本=体 | Comments(0)