思索の森と空の群青

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2017年 05月 07日

かつて井上毅が(あるいは井上ですら)守ろうとした原則をつらぬくなら、教育の理念にかかわる条文をすべて削るか、あるいは——苅部直『鏡のなかの薄明』

 苅部直『鏡のなかの薄明』幻戯書房、2010年。47(1045)

 


 政治思想史家による書評・時評集。共感するところが多かったです。

131-2) しかし、前者〔=教育勅語〕は天皇が個人として表明した文書にすぎないが、後者〔新教育基本法〕は国家権力を通じて強制される、と指摘したら、どう感じるだろうか。とっぴな見解ととられるかもしれないが、教育勅語の起草にあたった法制官僚、井上毅の意図はそうしたものであった。
 どんなに立派な内容であっても、何らかの徳目や規範を法律で指定し、教育機関を通じて広めようとするのは、国家が人々の内面に干渉することにほかならない。それが近代の立憲主義の原則に反すると見ぬいていたがために、井上は、これを法律ではなく、個人としての君主が発する勅語として公布させたのである。〔略〕
 教育学者の市川昭午(『教育基本法を考える』教育開発研究所)や、佐藤学(『教育学年報』十号、世織書房)も指摘するように、旧基本法がすでに、道徳規範を法律で定めるという大きな問題を実は含んでいた。教育の組織だけでなく、その理念をも述べる特異な法律であり、それが戦後改革を精神面で支えたこともたしかだが、生き方の選択を個人の信条にゆだねる原則に適するかどうか、よく考えると疑わしい。〔略〕かつて井上毅が(あるいは井上ですら)守ろうとした原則をつらぬくなら、教育の理念にかかわる条文をすべて削るか、あるいは基本法そのものを廃止するのが、まっとうな改正のしかたではなかったか。

14)厚みをもった現実に鋏を入れ、この職業が多い地域、という範型へと刈り込むのは、社会科学の分析手続として当然のことではあろう。しかしこの整理を施された側は、そうして展開される議論に接すると、心のどこかが軋んでくる。 ※一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

15) 全体を貫く主張は、一九六〇年代後半に若者たちが、大学や街頭で過激な運動をくりひろげたのは、その深層においては一定の理念に基づく政治運動ではなく、「現代的不幸」の意識から発する「表現行為」〔略〕であったというものである。〔略〕心に空虚を抱え、「自分探し」〔略〕に焦る傾向が、すでにこの時期、広がっていたというのである。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

17)閉ざされたセクトとはおよそ反対の、自由参加と自由討議に基づく組織のあり方が、その大きな理由だろうが、同時にまた、吉川勇一や鶴見良行などの年長者が、成熟した政治感覚をもって若者の暴走を食い止めていたという指摘がおもしろい〔略〕。異なる世代の間での交流を保つことで、社会運動が健全に進められる。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

18)社会の大義に自分を合わせるのではなく、「今」の「私」の願いに率直であれと説いた、ウーマン・リブの主張が、そのまま「大衆消費社会の肯定」につながったとする評価〔略〕にも、同じリゴリズムの気配を感じるのである。「私は 私は わけもわからなく みじめな 私だけに 執着したい」〔略〕という言葉に残されているような「私」の意識は、流行商品を手に入れようとする欲望にのみ、収斂するものではないように思える。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

18-9)残念なのは、第二刷から「あとがき」に変更が加えられていることである。第一刷では、この本を書きあげたあとの疲労感が末尾で語られていたのに、中国とインドに言及する別の内容に変わっている。これだけ大部の資料群にとりくむのは、余人にはなかなかできない仕事である。むしろ、当事者たちが残した言葉の渦にまきこまれ、困惑する繊細さを持っているからこそ、多くの「生の声」に耳を傾けながら歴史を書くことができた。その姿を示すことも、読者と、あとに続く研究者のためには大事だったのではないだろうか。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

23-4)「自分が社会の役に立っている感覚」を人々が抱いていることが社会の安定には欠かせない、といった考察は、いまの社会状況とも、深く響きあうものをもっている。 ※エリック・ホッファー『安息日の前に』

39)国旗掲揚や国歌斉唱に、どうしてここまでこだわるのか、賛成・反対の両派に関して、その点がどうも解せない。国を愛する気持ちを学校教育を通じて養おうとすることは、一般論として結構と思うのだが、たかだか入学式と卒業式の年二回、日の丸を前にして君が代を歌うことで、その心情が格段に高まることなど、期待できそうにない

40) 戦前の小学校の儀式で、教育勅語の奉読が行なわれたのは、その徳目の教化というより、厳粛な空気を演出することで、教師には逆らえないという雰囲気をつくるものだった。山本七平の自伝『昭和東京ものがたり』〔略〕は、そう指摘している。いま、国旗と国歌を学校に奨励する人々が期待しているのも、事実上は、そうした権威づけの効果なのではないか。

54)道にはずれた邪悪なふるまいをした(と見なした)者に出会うと、彼らの心を改めさせるために、あるいは悪影響を断ち切るために、修行させたり改宗させたり、追放したり火あぶりにしてりしてきた。
 このような、道徳や秩序を保つかなめを、心のもち方に求めるやり方を、きびしく拒否するところから、いわゆる近代は始まったはずなのである。そもそも他人の心などというものは理解しがたいし、あぶなげなものに違いない。しかし、そのあやうさを性急に消し去ろうとして、唯一まっとうな心へと世の中を染めあげようとする試みが、いかに悲惨な暴力を、世に生んできたか。異なる信条を抱えた人間どうしが、生きるか死ぬかの対立にまで至らないあり方で共存できるしくみを、さまざまに考察し、守ってゆくこと。本来はそうした論理の上に、いまの政治と社会はなりたっている。

55) 祭祀場への公然たる訪問を、自分自身の「心の問題」と言い切った、某国首相の発言にも、そうした効果への期待が透けて見える。「心」は人によりさまざまなのだから寛容に扱ってくれ。参拝の是非を云々する以前に、その言葉は、むしろ被治者が統治者にむかって発するせりふではないか。秩序の運営に務める公人の言動には、一般人とは異なって強い制約がかかるはずであるし、そもそも、首相に純真な「心」など、だれも期待していないのに。

66)あらゆるものを共存させる倫理。その可能性にむけた賭け

72)天皇の退位を禁ずる規定は、窮極の人権とも言うべき「脱出の権利」を、天皇個人に認めていない点で、日本国憲法に違反すると著者〔=奥平康弘〕は説いている。

83)「ふつう不寛容がもっとも悪意に満ちたものとなるのは、文化・エスニシティ・人種の差異が階級の差異と一致する場合——マイノリティ集団が経済的にも従属させられる場合——である」という、ウォルツァーの洞察

84)この「非政治」の領域は、「友情」という規範を支えとして、かつてはそれ自体、政治とは異なる「人間の共同性の理念」を備えていたのである。しかし、十九世紀以降、そうした「友情」の理想はやせ衰え、「公的原理としての非政治」は衰弱する。いまや、政治を動かす権力機構の巨大さを批判し、「非政治」の姿勢をとろうとする者にとっては、ただ私生活のうちに閉じこもるか、他者との連帯の理想を空疎に言い立てるぐらいしか、選択肢がなくなっている。

86) 平和主義の理想論は、みずからの手を汚すことを避ける結果、暴力の横行を容認してしまう。そのように逃げることなく、人類の悲劇を防がねばならない、ぎりぎりの場面では、必要悪としての軍事力を用いる。罪の意識との葛藤に耐えながらそれを選択する強靭な倫理を、この本〔=ウォルツァー『戦争を論ずる』〕は政治家と市民とに、きびしく求める

101-2)他者とのこのような出あい〔思いがけない他者からの訴えや呻きにふれることで、自分がいったい何者であるか、自分はどういう集団に属しているのかが、改めて明らかになる@大庭健『「責任」ってなに?』〕を通じて「動揺」を覚え、自分自身についての理解を更新してゆく運動に、〔齋藤純一『自由』は〕「自由」の核心を見る。

137) 中村真一郎は、かつて著書『文学の擁護』(一九六二年)で、現実をフィクションとしてとらえ、またフィクションにのっとって行動することが、ヨーロッパの市民社会を支えており、それが近代小説の基盤になったと説いていた。
 個人が実感によって把握できる世界をこえて、広い範囲の人々と直接・間接の交流をもつようになれば、社会に生きる「市民」とは、おたがいに対してこうふるまうものだ、というフィクションを、みなが共有していないかぎり、安定した関係を続けることができない。もしその枠を無視して、実感や本音のおもむくままにふるまっていれば、円滑な相互理解はむしろ難しくなり、やがては混乱に至る。それを防ぐために、「市民」というフィクションの実践を通じておたがいを理解するのが、秩序を保つ要諦なのである。

140) しかし、投票に行くことが、ほんとうに唯一の政治への関心を表わす手段なのだろうか。たとえば、迷惑な近隣住民について何とかしようと頭を悩ませることや、育児サークルへの助成を申請するための書類を作ることも、人と人とが何らかの秩序を支えてゆく営みとしては、小規模とはいえ立派な「政治」である。〔略〕投票率があがらないのは、そうした関心に応えてくれる候補者が見あたらないせいもあるだろう。裏返して言えば、政治家には期待しないという趣旨をこめた、政治への関心の表明である。〔略〕いっそのこと、だれも投票に行かないという運動を堂々と展開すれば、政治家の目も覚めるのではないか。

143)むだな道路工事などやめて、既設の道から舗装をはがし、土の路面にもどす公共事業を起こしてはどうか。自動車の交通量の少ない場所だけでよい。それでもそうとうな範囲で、真夏に熱がこもるのを防げるし、雨水が地中に円滑にしみこむから、環境対策にもなるだろう。

242) 平野〔啓一郎〕が京都大学時代から親炙する政治思想史家、小野紀明が『二十世紀の政治思想』(岩波書店、一九九六年)で述べるところによれば、そう見える「現われ」と、本当にそうある「存在」との関係は、西洋思想史の伝統を貫く大きな主題にほかならない。その出発点である古代ギリシアのポリスは、本来、この「現われ」と「存在」とが、ぴったり一致する幸福な空間であった。人は、雄弁をふるい、あるいは戦功を挙げることを通じて立派な市民の役割を演じきり、ほかの市民から喝采をうける。そうした名誉の瞬間にこそ、本当の自分自身が輝きだすと信じられていたのである。
 しかし、いくつもの悲劇が上演され、ソフィストが活躍する時代になると、「現われ」をはかなく不確実なものと見なし、そこから離れた目に見えない場所に、真実の「存在」を見いだす思考が、優勢になってくる。そうした「現われ」と「存在」との乖離が、プラトンにはじまる、西洋の形而上学の伝統を支えることになった。

@研究室

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by no828 | 2017-05-07 14:33 | 人+本=体 | Comments(0)