思索の森と空の群青

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2018年 06月 27日

それは一度、力を得ると、世界を見る目が変わってしまうからだ——万城目学『偉大なる、しゅららぼん』

 万城目学『偉大なる、しゅららぼん』集英社(集英社文庫)、2013年。80(1147)

 単行本は2010年に集英社

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 偉大なる空想の世界。しかし、というつなげ方でよいのか自信がないが、教育は何のためにあるべきか、教育は何に気をつけなければならないかを考えさせられた。
 
 追記;本書が2017年最後の本となった、ことにあとから気づいた。80冊か。研究の文献を含め、読む量が減ってきている。まずい。読み方も変わってきている。これは仕方がないか。「読む」とは何か、かつてよりも考えて読むようになった。

219)「お前はこれからどう生きるつもりだ? 棗家の男としてここで朽ち果てるのか、それとも外の世界に飛び出すのか。もしも、僕とお前がこの町を出たときは、千年だか二千年だか続いてきた、くだらない戦いが終わる。両家の跡継ぎが、いなくなるわけだからな。みんなが呪縛から解放される、お前の妹だって解放される」

491-3)「どうして飲まない。それを飲んだら、お前の親父さんが助かるかもしれない。ここを出なくて済むかもしれないんだぞ」
「別に何も起こらないかもしれない」
「それでも試す価値はある」〔中略〕
どうして、僕がこれまでずっと力を避けてきたかわかるか? それは一度、力を得ると、世界を見る目が変わってしまうからだ〔中略〕僕はこれから、もっと絵がうまくなりたいと思っている。陶芸も、彫刻も、もっとうまくなりたいと思っている。美しいものにもっと触れたい、近づきたいと思っている。でも、これはちがう。この力は自然じゃない。その源は自然の中にあっても、決して人間の世界とは相容れない。勝手に相手の心を操ったり、下らない喧嘩の種になったり、全然美しくない。だから、これまで何があっても、僕はこの力を避けてきた。世界を見る目が変わることが嫌だったからだ。一度失ったら、僕の自然は二度と戻らない」〔中略〕
「つまりお前は立ち向かわないということだ、日出淡十郎」〔中略〕
「今朝、清子さんがこの場所で、校長と戦うと言ったとき、お前は真っ先に賛成した。それなのに、自分が犠牲になるとわかった途端、今度は真っ先に降りると言うのか? 道場でお前は、自分の力で未来を切り拓く、と言った。それは自分の未来だけを守って、残りは全員見捨てて逃げていく、という意味だったのか?〔中略〕別に俺は、お前の家がどうなろうと何の関係もない。勝手にしたらいい〔中略〕でも、ひとつだけ言わせろ。どれだけこの力を憎んだところで、俺は一生、力を捨てることはできない。それでも、俺にはやりたいことがある。だから、そんなふうに、自分だけがきれいでいるみたいに言うな。他の力を持った人間を、汚れたみたいに言うな


@S模原

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# by no828 | 2018-06-27 22:17 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 27日

うまく言えないけど、文化祭の準備、楽しいな、って思ってさ。普段話さない人と話すし、よく知らない人が実は凄かった、って分かったり——似鳥鶏『いわゆる天使の文化祭』

 似鳥鶏『いわゆる天使の文化祭』東京創元社(創元推理文庫)、2011年。79(1146)

 文庫オリジナル

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 舞台は高校。時間差攻撃ミステリ。英語タイトルは KILROY WAS HERE

82)委員長の目元には、どことなく自嘲的な色が浮かんでいた。「だけどこういうの、くだらない、って言って参加したがらない人がいるのも仕方ないって思ってたの。考え方は人それぞれだから、押しつけたくなかったし。ただ、衣装は……〔中略〕衣装が足りないって困ってたらさ、横で黙って見てた井口さんがいきなり、『私が作る』って言ってくれたの。あたしあの人と接点ないし、普段、ほとんど喋ったことないから……おとなしい人、ぐらいにしか思ってなかったけどさ
 頷く。僕もそうだ。
あの人、すごい頼れる感じで言ってくれたの。『絶対間に合うから任せて』って。なんか、完璧に自信あります、って感じだった〔中略〕なんか、それ見たらさ、あたしが知らなかっただけで、この人実はけっこう凄い人だったんじゃないか、って思ったんだよね。クラスじゃ目立たないけど、手芸部じゃエースなのかもね
 僕は笑った。「そうかも。一週間で六着を『絶対できる』って言いきれるのって、凄いよね」
「凄いよね」委員長も笑顔になった。「……だからさ、なんかうまく言えないけど、文化祭の準備、楽しいな、って思ってさ。普段話さない人と話すし、よく知らない人が実は凄かった、って分かったり

166)確かに伊神さんがいれば心強い。事件好きのあの人なら、喜んで捜査してくれるかもしれない。だが、それでどうなるのだろう。いくら伊神さんでも、五日で犯人を当て、しかも動かぬ証拠を突きつけることができるとは思えない。それだけではない。もし捜査が失敗して、事故が起こったらどうなるか。僕一人が責任を負うならいいが、解けなかった伊神さんにも責任の一端を負わせることになってしまう。僕が勝手に頼って呼びつけた伊神さんに、だ。

171)「一つ、断っておきますが」先生は言った。「中止するというのは、あくまで私の判断です。君はたぶん、そこまでになるとは思っていなかったでしょうが、教師というのは、君が思っている以上にトラブルを怖がるものだと思ってください
 先生は僕の目を見たまま言った。どうやら、気を遣ってくれているらしい。ありがたさに、自然と頭が下がった。「ありがとうございます。……大丈夫です。そのつもりで来ましたから」
 僕の言葉を聞いた先生は、なぜかすっくと立ち上がった。それから僕の方に手を置いた。
君が教えてくれなければ事故になっていたかもしれない。そうすれば、我が校の文化祭は来年からの開催も怪しくなっていたでしょう。君は我が校の文化祭を護ってくれたんです。……そう考えてください
 肩に置かれた手に力がこもった。いつも無表情で、熱意どころか感情すらあるのかないのか分からない、という評判の長谷川先生は、意外なほど力強い手をしていた。


@S模原

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# by no828 | 2018-05-27 22:35 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 15日

ぼくたちはうなずく。うん、ちゃんと他人の作品を見てへこめるって大事だよね、と思う。そういう子がいつかしっかりと物を描けるようになる——大塚英志『大学論』

 大塚英志『大学論——いかに教え、いかに学ぶか』講談社(講談社現代新書)、2010年。78(1145)


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 教育の、大学の、教員の、そして本務校の入試の、それぞれのあり方について考えさせられた。215ページにとてもよい話が書かれている。初読で目頭が熱くなった。ここにアップロードするために再読した。やはりぐっときた。

 64ページ、大塚がその件について発言していたことは知っていた。その裏でなされた大塚の判断を——大塚がはじめて書いたというのだから当然なのだが——はじめて知った。厳しすぎる、あるいは誠実すぎるようにも感じるその判断の吐露の前でわたしは動けない。

16-7)「いかに描くか」を教え「何を描くか」を教えないのは別に彼らの自主性や個性を尊重しているからではない。「いかに描くか」を身につけなくては「何を描くか」など見つけようがないからだ。〔中略〕「描きたいもの」あるいはもっと明確にいえば彼らが物書きとして「描くべきもの」は彼らの内にいまだ埋まっている。それを掘り起こすこと、そして掘り起こしたそれを制御し、「表現」としてアウトプットすること、その二つを行うためには「方法」が必要だというのがぼくの考えだ。〔中略〕「方法」のみを教えることが「描くべきもの」を逆に導き出すことが表現にはあるのだとぼくは思う。 ※傍点省略

18)ぼくは以前、金原ひとみが話題となった時、彼女の小説をそれよりずっと前、同人誌で目にしていたことのある老批評家が、こういう自傷行為をカミングアウトするような表現をせざるを得ない幼さや危うさを抱えたままの作家を不用意にビジネスにしてしまう文壇の現状を小さなコラムで諌めていたことを読み、深く感銘したことがある。確かに表現の世界ではこの「不安定さ」こそが「売り」になることが少なからずある。しかし、それは不幸なことだし、「不安定さ」を「売り」にした結果、自らを壊していった作家やまんが家をぼくはたくさん知っている。それは「見せ物」としてはおもしろいかもしれないが、「ものを描く」こととは自らを壊すことだという見解には同意はできない。だからといってぼくはビジネスライクに割り切って描け、といっているわけでもない。「描く」ためには自分の内側にあるそれを掘り起こし、時には暴走させることさえ必要だが、一方で、それを最終的に「表現」として出力させるためにきちんと制御できなくてはいけない。「方法」はそのためにこそ必要なのである。 ※傍点省略

40)大切なのは神の宿る「細部」と神の宿っていない「細部」があって、ぼくがアカデミズムの論文や、あるいはサブカルチャー系の評論のいくつかをひどくつまらなく思うのは、「神」の宿っていない「細部」についていくら語ったところで、それはただの蘊蓄にしかならないからだ

53)「抑え難いもの」が書くことでより「抑え難いもの」として明確な形をとることがありうる。そこで初めて、「いかに書くか」が問題となる。つまり「小説の書き方」とは、「作家になる術」としてではなく、人が抑え難いものをどう形にしていって飼い馴らすか、という技術として、まずあるべきではないのかとぼくは考える。

55)ぼくは「近代」なんて少しも終っていないじゃない、と思うのはポストモダンを口走る人々ほど「私」や「私語り」というモダンの流儀に固執しているからだ。

57)ぼくは古典的な物語論を「書くこと」の教育に結びつけようとするのは、人の内にある厄介なものを飼い馴らす術として「物語」があると考えるからである。

61-2)彼ら彼女たち〔=学生たち〕が抱えているのもつまりは「私」とは何か、という時代に一貫してある、ありふれた、そして根源的な問いだ。彼らはこの国の近代小説をつくった明治の作家と同じ問いの中で迷い、そして「私小説」ではなく、「近代文学」のもう一つのオプションとして一編の「まんが」を産み出す、と言ったら流石に言い過ぎかもしれないが。

64)初めて書くことだが、ぼくたち夫婦には子供がいない。そういう人生を選択した理由の一つは、あの夏の日にある。宮崎勤の事件について流されるように発言し、国選弁護人とともに一審に関わるようになるなかで、この後、自分が子供を持つ人生を送ることは少なくともあの小さな四人の子供に対してだけは筋が通らない気がしたのだ。だからあの日、ぼくの家の電話が鳴らなければもしかするとぼくは彼ら彼女らの親だったのかも知れない、とロボットアニメのヒロインと同じ名前の女子学生が研究室の前の廊下で無邪気に友人たちと笑いころげる姿を見て思う。実際、彼ら彼女らは、例えば萩尾望都の『11月のギムナジウム』を授業でぼくが扱い、家に帰って学生がその話をしようものなら、母親が萩尾望都全集をいそいそと差し出す、そんなパパとママの娘や息子だ。親たちの年齢を聞いてもぼくと同世代である。ぼくが彼らの「親」ではなく「先生」になったのはつまりはあの二〇年前の夏の日が分岐点だったということになる。

80)「つくることをつくる」の中には「お金をつくる」ことも含まれている。そのことに気づくか否かがプロとアマの一番、本質的な分岐点だ。

105-6)三浦の本〔=三浦展『下流大学が日本を滅ぼす!』〕にせよ、週刊誌の類で目にする議論にせよ、大学生の質の低下を嘆く大学の教員の質をもっと問題にすべきだ。少し前なら旧制高校や岩波的教養を基準に「今の学生はバカだ」と主張したがったのに対し(それもつまらない基準だけど)、現在ではそもそもが六〇代の教授はいわゆる全共闘世代で学生時代の大学は休講だらけで、しかし議論と政治は大好きなまま学者となり、その下の五〇代前後は「おたく」や「新人類」で学問とおたく的ウンチクを混同し、それ以下の研究者はそれが大学の教員だ、と思っている、という教員の質の低下の負の連鎖をなんとかしろよ、と思う。ぼくのようなアマチュアが教員になるのは世も末だが、でも、三浦の議論やそれに乗る人々は自分たちの「バカ」さ加減をかえりみることはないのだろうか。

125-6)そもそも徹底した人嫌いのぼくが本当にかろうじて社会で生きてこれたのは、フィールドワークで初対面の人にアポなしで話を聞く、という民俗調査の経験があるからこそで、それがなければ多分、大学を出てどこかの時点で引きこもっていた、と思う。ぼくは今でも人に会うのも関わるのも本当に嫌いだが、「人に会う」というモードがぼくの中で民俗調査の時に否応なくつくられたのでどうにか社会で生きていける。「他者に対して開かれる」などと批評用語でいえばもっともらしいことを民俗調査では地をはうように繰り返し身につけなくてはいけないのだ。

126-7)民俗学が半端な形で直接、行政と結びついて「役に立つ」ことにぼくは批判的だ。別の場所でも書いたことだが民俗学は十五年戦争下にナチスドイツの民俗学を模倣して国策科学として学問化した歴史をもつ。戦後は柳田民俗学から分離した岡正雄の民族学が一転してGHQの占領政策を支えた。また脱線するけど岡や江上波夫たちが有名な「騎馬民族説」をとなえた座談会が発表された民族学会の機関誌『民族学研究』の発行元はGHQの下部組織、CIE(民間情報教育局)である。現在の民俗学と行政の接点はせいぜい観光イベントのアドバイザー的ポジションぐらいだ。石原慎太郎に主導された都立系大学の改革は人文科学系の学問を政策科学化できるか否かを基準に切り捨てていったが、だからといって政策に「役に立つ」という考え方を「一般教養」系の学問が付け焼刃で迂闊に持つとかえって厄介だ。

159)対立した学生同士の間に別の学生が入り、話し合う、ということが何度かあったようだ。いっしょにものをつくるなんて「仲良く楽しく」というわけにはいかない。仲良くなくても楽しくなくても、だからこそ一つの仕事を「気持ち」を乗り越えてやっていくことが必要なのだ。教授会でも先生たちは表向きの対立を皆避けたがる。問題が問題としてどうしようもないところにくるまで放置する。きちんと対立した上で問題点を明確にし、よりいいカリキュラムをつくる、という当たり前のことを「先生」でもできない人が多い。しかし、学生は、自力で問題を乗り越えようとしている。

173-4)一つの言語から常に他の言語に「翻訳される」ことを前提として書く時、〔中略〕常に「普遍的であること」を自身に強いている、というようなことを柄谷〔行人〕は話したのだが、翻訳可能性を実際に生きることでより新しく普遍的な何かが生まれる、という考え方はぼくにはとても納得がいった。

198)特に高校で始まりつつある「まんがやアニメを教える試み」がぼくにとって興味深い。そこで始まっているのはまんが家を養成するために「まんがの作り方」を教える教育ではなく、「まんがのつくり方」を教えることで何が教えられるのか、という試みだからだ。 ※傍点省略

204)「まんがの教え方」を考えることでもう少し広いもの、文科省が思いつきで現場に強要し、そして放り出した「総合学習」などというものの本当は向かうべきだった先の一つはこのあたりにあるのかも知れない、とふと思いもする。だからそういう場所にやはり身を置きたい、と思う。そして何年か先、ぼくの教え子たちがまんが家とは違う人生を選んだとしても、こういう場所に「先生」としていてくれるといいな、と思う

206-7)AOというとレベルの低い学生が入ってくる諸悪の根源のように言われていて、AOを廃止することが一流の私学の証みたいな空気があり、関西圏でも、とうとうどこどこの大学がAOを始めた、みたいな言い方で、さも苦渋の選択をしたように語られる。けれどぼくにとって、AOは多分、「まんがを教える大学」にとってはベストの入試だと思う。というより、AOはちゃんとやればいい入試になる、とずっと思っていた。〔中略〕短い面接ではうまく話せない子たちの「ことばになりかけの手前のもの」に耳を傾けることもできる

215)まず、一時間、机の上にずらり並べた絵本をみんなで見ようね、と受験生に言う。その姿を観察する。雑談に流れてしまってもいいと思ったから私語はOKと伝えた。しかし、誰もしゃべらない。黙々と他の受験生の作品の頁をめくる。頁をめくる手がとまり見入ったり、あるいは蒼ざめて打ちひしがれている子が幾人も眼に入る。ぼくたちはうなずく。うん、ちゃんと他人の作品を見てへこめるって大事だよね、と思う。そういう子がいつかしっかりと物を描けるようになる。そして最後に着席させ、一人一人、自分の作品の最後の頁を開き(そこには主人公のアップの絵が必ずあることになっている)、それをみんなに見せて自己紹介をさせる。それぞれが、あ、あれ描いたのはあの子なんだ、と確かめる。作品を覚え、そしてその人に至る、というのはぼくたちの世界の正しい「他者」との出会い方だ

219)今回の「伝説」を一つ紹介すれば、落書きノートの中にうっかり中川翔子のグラビアの切り抜きを大量に挟んだままにしていた女子がいたことだ。それまでは面接でしどろもどろだったのに「ショコタン好きなん?」と多田由美さんが聞くと(という会話そのものがまんが業界的にシュールなんだけれど)、水を得た魚という例えが本当にぴったりのように嬉々として話し出す。よく聞いていると中川翔子の脚が他のアイドルよりちょっと短くてその股関節が好きだということをいっしょうけんめいに説明しようとしている。それで面接はA評価である。何故かというと、まんが家で絵の上手くなる子は必ずアイドルの話をすると頭の骨の形が、とか、鎖骨がね、という話をするからだ。そういうふうに人のカタチにちゃんと「萌え」て、それを表現したいと思う子は「こっちサイド」の人間である。まあ、ぼくは彼女が入学してきたら「中川翔子の話がウケて合格した奴」というキャラだてにしておもしろがって、学生たちはまた先生は思いつきで入試をやっていると呆れるのだろうが、半分は嘘ではない。もう一人、「犬まんが」について滔々と語りつづけた男子もいて、なんとかいう種類の犬はまだまんがの主人公になったことはない、ということでそれを描きたい、と語った。ピンポイントすぎる、とは全然思わない。描くことにまず小さなピンポイントがあればそこから世界は広がっていく。合格。 ※傍点省略

220-1)結局、まんが以外の別の表現の方に向いているかもしれないね、という子を幾人か不合格にしたけれど、今回に限っては事務方の示した数字よりやや多めの合格者を出してしまったのは水増しでもなんでもなく、この子をこう育てたらこうなるよね、というイメージが一人一人に湧いてきてしまったからに他ならない。もちろん毎年、なるべくそういう「自分の学生」としてのイメージがつくれる子を合格させてきたけれど今回は特にそれが鮮明だった。受験生が帰った後、受験生たちの世話をしていた助手が、「楽しかった」と口々に言いながら帰っていきましたよ、と報告してくる。

235)千葉〔徳爾〕は柳田〔國男〕の学問や知識ではなく、書庫に引き籠もり、そこから自身の学問を立ち上げていった過程を追体験しようとしている。柳田も、そうしむけている印象がある。だから「疑問とはどう起こすべきか」というノウハウを柳田は説かない。それを自分がどうやって手に入れたかだけを語る

247)誰もが書き、そしてそれを世界に発信できる。そういう時代が、ようやく今、ここにある。やってきたのは散々にいわれたポストモダンではなくて「書くこと」「発信すること」が徹底した機会均等化された「近代」の理念が実現した時代だ。結局、WEBが最後にもたらしたものは「近代」だ。それはこのところぼくがずっと言っていることだ。

248)結果として「まんがを教える大学」で「先生」をやることになったが、そこでぼくがやったことは「まんが家になる勉強」だと学生たちを言いくるめながら、その勉強をもう少し深く掘り下げて普遍的なものの尻尾ぐらいにさわるところまでいけないか、とあれやこれやと実践してみることだ。別に学生たちのモチベーションは「まんが家になること」であって構わないし、そういう期待にはちゃんと応えることはできたと思う。

249)いつかどこかで役に立つ。何故、それでいけないのか。何故、教える側がそう自信を持って言ってはいけないのか、と思う。大学でこの四年間、ぼくが行ったことは若い時からずっとものを書きながら考えてきたことを「教える」という目的の中で再構築する、ということだ。それは自分の思考を「批評」ではなく「方法」として徹底してつくりかえることであった。だから「学問として」ではなく「方法として」ということがぼくの選択だ。


@S模原

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# by no828 | 2018-05-15 22:57 | 人+本=体 | Comments(0)