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思索の森と空の群青

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2008年 11月 14日

つらいときこそ開く

晴れ


「ガクシン、ダメでした」とお世話になっている学外の先生方にメールをしたら、お返事をいただいた。

「あたらしい論文の草稿が仕上がったら、持って来てください。一緒に検討してみましょう。試練をバネにして、つぎの飛躍にそなえてください」。

「たいへん残念でしたが、業績的には優秀だと思いましたので、とても惜しい気がいたします。 これからのますますのご発展をお祈りいたします。今後とも、私にできることがあれば、また、いつでも連絡いただければ幸いです」。

何か、涙が出そうになった。「オレはひとりじゃないんだ」って思った。

ひとりではない、ということは、「お米送って」と親に言ったらお米と一緒にお菓子とか缶詰とかが送られてきたり、友だちと連絡を取ったりするときに感じる。

しかし、研究においてひとりではない、と感じることはそれほどない。

ガクシンの結果も、わたしは認められていないんだ、というふうにわたしは受け止めてしまったし、それは日頃の研究活動においても感じていたことであった。立場の違い、方法の違いがあることはわかっているつもりだが、それでも「ダメ」と言われるとつらい。

だから、「研究ではオレはひとりなんだ」と思うこと――拗ねたりすること――が多かったし、今回も結果を見たときにそう思った。

けれど、先生方に「不採用」という、誇れることでもなく、できればお伝えしたくないこと、できればわたしひとりで抱え込みたいことをお知らせすることによって、逆にわたしは、ひとりではない、と感じることができた。

うまく言えないのだが、つらいときこそ、自分を開いてゆくことが必要なのだと思う。

つらいときは、やっぱり塞ぎこみたくなる。触れてほしくないと思う。「オレはひとりだ」という思いに浸っていたくなる。

しかし、そうして生まれることとは何か。それは「思考の負のスパイラル」でしかない。「思考の負のスパイラル」に落ち込まなければならないときの状態もつらいことは間違いないのだが、「思考の負のスパイラル」に陥ったときのほうがもっとつらいはずだ。

だから、つらいときこそ開く。

開いたときに、誰かがいてくれることに気付く。開かなければ気付かない。

しかしながら今日では、開いても誰もいなかった、ということがあるように思われる。

それはきっと、もっとつらいことだ。

だから、これもうまく言えないのだが、「つながり」というのはすごく大切なように思われる。

しかし、「つながり」とは何で、それはどうすれば結ぶことができるのか、わたしは言葉にして答えることができない。


@研究室

by no828 | 2008-11-14 13:58 | 思索


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