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思索の森と空の群青

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2009年 08月 06日

言葉の戦いだ——レイ・チョウ『ディアスポラの知識人』

 学会発表に向けて読んでいる本から。

 「私たちが知識人として忘れてはならないのは、われわれが戦っているのは言葉の戦いだということである。反体制的視点から議論を展開するものも、その敵となんら変わったことをしているわけではないし、支配の中心であろうと周縁であろうと、そうした現実の空間で生き延びようとしている人々の踏みにじられた生活を、直接変えることは絶対にありえない。大学や組織に属する知識人が直面しなくてはならないのは、だから、広い意味での社会によって自分たちが『犠牲になっている』ということ(あるいは被害者として被抑圧者と連帯すること)ではなく、自分たちの『反体制的』な言説によって皮肉にも蓄積されていく権力や富、特権のほうであり、自らが公言する言葉の内容と、そうした言葉によって自分の地位が向上していくことのギャップが広がっていく事実なのだ(フーコーが、知識人は権力の対象や道具となることに反抗せねばならないと言ったのは、まさにこうした状況についてである)」(レイ・チョウ(周 蕾)『ディアスポラの知識人』本橋哲也 訳、青土社、1998年、pp. 34-35。なお、原著のタイトルは Writing Diaspora で、発行は1993年)。

 同じことを考えることが多い。

 たとえば大学に所属する研究者で社会主義の立場に立つ人がおり、貧困をどうにかしなければならない、非正規労働をどうにかしなければならない、哲学書にはその答えなんて書いていない、哲学書からは何も学べない、と言う人がいる。わたしはこれに違和を感じる。

「それならばなぜあなたは大学にいるのですか?研究者をしているのですか?」

 具体的な現実を変革させたいのなら、政治家になったほうがよい、運動家になったほうがよい。大学という安住の地の研究者という位置(ブルジョワジー!)から「現実を変えなければ」と言われても、「あの、自分がどこからものを言っているのか自覚していますか?」と言い返したくなる。

 研究者は現実を変革するという点に関して言えば基本的に無力である。


@研究室

by no828 | 2009-08-06 21:51 | 思索の森の言の葉は


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