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思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
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2009年 09月 11日

何も言えない、身動きが取れない

 大学院の後輩が10月から休学すると言いに来た。突然のことで驚いた。

 大きく言えば家庭の事情で、家族の介護というかケアをしなければならなくなったそうだ。

 彼は現在修士課程の2年生で、今年は修士論文の年である。休学するということは修了が1年延びるということである。できれば4月に戻って再出発したいと、彼は言っていた。

 何もこの時期にと思う。彼もきっとそう思ったであろうし、彼のケアを受けることになる家族の方は余計にそう思っているであろう。もちろん彼は気持ちの優しい奴だから、就職して遠くに行っていたら仕事辞めて帰ってくるわけにもいかないし、大学院に行かせてもらっているからできることだと言って、悔しさなんてものはもうすでに捨てているかのようではあった。

 わたしには何も言えない。何を言ってよいのかわからない。そう伝えた。彼はうなずいた。

 人間に何よりも重くのしかかってくるのはまぎれもなく「この現実」だと思った。

 そういう現実にまだ直面しないわたしは、休学せずに研究を続けることができる。だからそれは恵まれたことだと再認識することもできる。けれど、彼にはたいへんな現実があり、わたしにはそこまでの現実がなく、だからわたしは恵まれており、それゆえにわたしはより一層がんばらなければならない、とはなかなか考えられない。言ってしまえば、恵まれていない人がいることを契機に自らを恵まれている人であると(再)規定し、ゆえに(あるいはその人の分まで)さらにがんばらなければならないという気持ちの持ち方がわたしにはどうもよくわからないし、できない。

 わたしはただ何も言えず、いや、「何も言えない」とだけ言い、そこに立ち尽くすしかない。彼の現実があり、「彼の現実」を知ったわたしの現実がある。「だから」という接続詞はここでは使わない。だからわたしはがんばろう、とは思わない。そこからは何も接続されない。

 ただただ、身動きが取れなくなる、それだけだ。

 この感覚をここに記すことで何かが生まれるとは思わないし、正直、わたし自身この感覚をここに記すこと自体に完全に同意しているわけでもない。それでも書き残しておくべきことであると思い、わたしの現実に何らかの痕跡を残しておきたいと思い、記しておくことにした。


@研究室

by no828 | 2009-09-11 22:25 | 日日


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