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思索の森と空の群青

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2009年 11月 06日

受胎したときに、はじめて自分の好む男の顔に指を突き立てることができる——司馬遼太郎『箱根の坂(上)』

 前回引用分で長らく放置しておいた本のレヴューはおしまい。

 80 (213) 司馬遼太郎『箱根の坂(上)』講談社文庫、講談社、1987年。

 10月25日読了分、というわけで、以降最近のものになる。ということは、そんなに頻繁にレヴューしなくなる、ということである。

 司馬作品に特徴的なことかもしれないが、はじめはどの人物が主人公かわからない。とりわけ幼少の頃から書き起こされると、「幼名」のために誰が将来の有名人物なのか判定が難しい。

 今回もそれで裏切られた。

 主人公は山中小次郎ではなく、伊勢新九郎、のちの北条早雲。

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「幕府にはな、政所あれど、洗いながせば問注所なのじゃ。六十余州の大小名の土地あらそいの訴えを裁いておる。鎌倉のときもそうであり、室町〔いま、とルビ〕もそうじゃ。一所の土地を兄と弟が争い、叔父と甥があらそい〔ママ〕、それを鎌倉のころは鎌倉に訴え出、室町〔いま〕は室町に訴え出る。将軍に裁いて頂く。だからこそ将軍がある。日本国の政治とは、それだけのことじゃ。民のことは無い(62頁。強調および〔〕内は引用者、以下同様)。

 この当時も「日本国」という言葉があったのかしらと思ったら、当時「明」であった中国の対外秩序(=国際社会)では「日本国」と称され、足利義満などは「日本国王」として明には認識されていたらしい。

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「〔千萱(ちがや)が〕気に入らないのは、〔足利義視の〕落ちつきのない目の光だった。先刻からの話は漏れ聴いているから、ひとつは情勢についてのおびえがあるのだろうが、それだけではない。自分がない。無いはずの自分だけが可愛く、自己愛だけが自己で、風の中に草のようにふるえているように感じられる(138頁。傍点は省略、以下同様)。

「自己愛だけが自己」、哲学書を読んでいるようだ。が、難しいことを言っているわけではない。そういう人は少なくないであろうと思う。
「わたしはあなたのことが好き」は、「わたしはあなたのことが好きなわたしのことが好き」であることがあり、その場合、「わたし」には自己がないことがほとんどではなかろうか。
 ……ちょっと待て。さっき引用した本には「愛」とは(≒)自己の消滅と書いていなかったか。自己がない人は愛の人なのか。

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この時代、婚姻は男から通う——婿入りする——ものとされていた。とくに箱根から以西、京をふくめ、九州、南西諸島までがざっとそのようで、関東ではむしろ、嫁入婚のほうがやや多かったかもしれない。
 千萱は、すでに熟れはじめた上は、通う者を待つ身となっている。が、村の娘たちのように、誰が通うかという心のときめきはない。通うかもしれない者は、すでにきまっている。義視だけであった。わが身のこの境涯についての疑いは、生いたちとして育ちにくかったのか、それとも心のどこかが欠けているのか、さほどには持たない。
 夜、男が、忍んできてもかまわない。が、できれば干魚のような義視よりも、甘瓜が日照りの下で皮をはちきらせているような小次郎のほうがいい。しかし小次郎が来るべうもない。来るべうもなければ、いっそ新九郎のほうがいい。
(あれは、兄ではあるまい)
 と、ちかごろひそかに感じはじめている」
(149頁)。

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この時代、娘を拘束するものとしての操の倫理が明快でなく、娘はただ自分を好く者を受け容れるだけであり、ときに新九郎をふくめた複数であってもよく、むしろそのほうが自然であった。誰が最初にきたかということは男側の課題であるにすぎない。
 娘の立場は、わるくないものであった。受胎したときに、はじめて自分の好む男の顔に指を突き立てることができる。

 もし新九郎があとからきてくれるとして、しかも受胎したとなれば、千萱はたれの顔に指を突き立てたものだろうか。千萱が悩むとすれば、その課題になってからである」
(163-164頁)。

 今ではちょっと想像しにくいし、正直若干グロテスクにも思われるが、この時代、妊娠、出産、育児、子どもというものが、あるいは女性が、そして男性が、共同体のものであったのかもしれない。個体はあったが、しかしその個体を所有するのは現在のようにその個体の「持ち主」である個人ではなく、共同体であったということかもしれない。私的所有ではなく共同所有。近代以前。そうすると、今日自明視されている私的所有という考え方も、時代と場所に拘束された「ひとつの考え方」ということに気付かされる。
 ところで、社会主義思想にもこういう「女性の共同所有」のような考え方があったはずだが、詳しくは覚えていない。ただ、一夫多妻とか、そういうことではなかったと記憶している。

 赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』も参照。

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「『骨皮どの。なぜわしが、御厨子党と〔ママ〕一味だということを疑わない』
と新九郎はいった。
『わしは疑わぬ。人間など疑えば、きりがないのだ』
と骨皮道賢がいった。
『わしらは、失うものは何一つもたぬ身だ。室町御所のひとびとのように、位階で人を見ぬ、所領で人を見ぬ。人をば、この目玉でじかに見る』
『わしが裏切り者であったとすればどうするのだ』
『われらが、亡ぶだけだ。人を信じたために亡ぶならたれも恨むこともない』

(おそれ入ったな)
 こういう思想も、室町御所のひとびとはかけらも持たない。
『わしも、手伝おう』
と、新九郎は、こみあげてくる客気ともなんとも形容しがたいものにつき動かされて言った。新九郎はいままで人の言いなりのままに生きてきたが、うまれてはじめて自分の情熱と考えで行動するというこの以上な運〔め、とルビ〕にぶちあたって、われにもあらず、昂揚してしまった」
(192頁)。

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@研究室

by no828 | 2009-11-06 20:02 | 人+本=体


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