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思索の森と空の群青

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2009年 11月 25日

現在、イスラム世界で最も暴力が吹き荒れている国は、パキスタン——宮田律『南アジア』

 “南アジア”の本、少し引用。

 宮田律,2009,『南アジア——世界暴力の発信源』光文社.

 アフガニスタンとパキスタンとインドの歴史と現在。何年に何があって、誰と誰が敵対して、……という“文章”はなかなか頭に入らない。年表のほうがわかりやすい。あと、単純に文章がわかりにくいところもある。

 ちなみにバングラデシュは元<東パキスタン>です。

現在、イスラム世界で最も暴力が吹き荒れている国は、パキスタンといえるだろう。
 この国は、その成り立ちや社会・経済状況から本質的に過激派の暴力と向き合わなければならず、産業的基盤もなく、貧困が社会を覆ってきた。そして、パキスタンは主に貧困層の子どもたちがイスラムの神学校に入り、そこで説かれる急進的な思想が再生産されていったのである
(9頁。強調は引用者、以下同様)。

 テロが頻発しているとも聞くパキスタン。そこでお仕事をされている方のブログ。教育開発の仕事 “パキスタン”と聞くと、反応してしまう。

オバマ大統領はアフガニスタンに対テロ戦争の軸足を移すと語っているが、その背景には対イラン戦略があることを忘れてはならない。オバマ政権は、アフガニスタンでの米軍の配置に厚みを増すことによって、イスラエルや、イスラエルを支援するアメリカに敵対するイランに睨みをきかせ、さらにイラン戦争まで視野に入れている可能性がある」(29頁)。

 本書でアメリカに言及されている箇所は多い。アメリカがアラブ、中央アジア、南アジアでどの国を敵と見なすかによって、この地域の勢力図は変わってくる。昔はこの図にソ連がかなり絡んでいたようだが、今はアメリカのみ、か。

「アメリカにとって、アフガニスタンにおける対テロ戦争にはパキスタン軍部の協力は欠かせないものだった。ブッシュ大統領はムシャラフ政権に対して、アフガニスタンのタリバン政権への支持を放棄すること〔……〕などを求め、その見返りとして巨額の援助を用意した。
 この結果、ムシャラフ政権は親タリバンであった従来の方針を一八〇度転換し、経済的苦境を脱するにはアメリカの支援が必要だということもあって、アメリカとの協調の下にタリバンやアルカイーダと戦うようになったのである。
 ところが、こうしたムシャラフのこうした方針はパキスタンのイスラム過激派やイスラム勢力を激怒させた。そして、ムシャラフ政権の方針を無視して数千人の民兵たちがパキスタンから国境を越えてアフガニスタンに入り、米軍やその同盟国の軍隊と戦闘を開始する」
(88頁。〔〕内は引用者、以下同様)。

 民兵がおそろしいことは1994年のルワンダからよくわかる。

本国に帰っても職に就けない人々は政治や社会に不満をもち、過激な行動に走る可能性がある。実際、バングラデシュのイスラム過激派の活動に入り、インド国内でテロを行うようになった人物の中には、湾岸諸国に出稼ぎに行き、本国に戻ってきた人間が少なからずいる。インド北東部のアッサム州でテロを行っているのは、主にバングラデシュからインドに侵入するグループだとインド軍関係者たちから聞かされたこともある。
 バングラデシュやパキスタンなどインド周辺から侵入するイスラム過激派は、インドの経済発展に対するある種の嫉妬もその背景としてあるのではないかと思う」
(148-9頁)。

 最後の1文は文章としておかしい。もちろん意味は取れるが。

「デオバンド派はパキスタンの最大宗派だが、パキスタンの急進的な神学校の教育も〔インドと〕ほぼ同様である。神学校の教師たちには教員資格というものがない。そのためにいくら急進的な思想をもっていても、神学校では教育できる。つまり、急進的な思想が拡大再生産される構造がパキスタンなど南アジアでは根強く備わっているのだ(187-8頁)。

 なるほど。でも“教員資格”の役割は……国家による統制? 

 以下、付け足し。

 教員資格を付与すれば「急進的な思想」の伝播は防ぐことができるのか。

 パキスタンの教員採用がどのようになっているのかわたしにはわからないが、論理的に言えば<思想>と<資格>は別ものである。「急進的な思想」を持っていても、教員採用試験に通れば教員になることができるし、逆に言えば、保守的な思想を持っていても試験に落ちれば教員になることはできない。どのような思想を持っているかで教員の採否を決するのであれば、たしかに思想は重要な評価規準になるであろうが。

 ここで、(1)「急進的な思想」は問題であり、(2)「急進的な思想」の持ち主でも教員になることができる、としたとき、その「急進的な思想」の「拡大再生産」を阻止するためには、カリキュラム、つまり、教育内容の編制権を誰が持つかがポイントとなる。教える者の資格、ではなく、教える内容が問われてくる。

 カリキュラム編制権を国家政府などではなく教員が持つ場合、急進的な思想は拡大再生産される可能性が高まる。授業で何を教えるかは教員が決めるものだからである。カリキュラム編制権を国家政府なり教育省が持つとすれば、思想的伝播は抑えることが可能となる。とりわけ、思想に直接関わる<宗教>や<道徳>といった科目の編制権の所在が国家政府にある場合は、教員の自由度は減る。もちろん、授業の運用は授業者である教員に委ねられるのであり、そこに教員の思想信条が入り込む余地は残る。

 以上から、著者の、あるいはパキスタン政府の立場に立ったときの“急進的な思想の拡大再生産は問題である”という立場に依拠して考えると、問題は教員資格よりも別のところにあると言うことができる。

 が、教員資格を付与して教員の思想を統制するという方向で国家が動くとすれば、それはちょっとまずい気がする。

「国家が不安定な途上国の場合、国家による教育の統制は正当化されるのだ。何ならナショナリズムを煽ってもいい。国家を揺さぶる異分子は排除すべし。まずは国家統合、国民統合だ」

 本当?

 付け足し、ここまで。

 う、時間がない。17時から某会議。バングラデシュのことなど、もう少し触れておきたいことがあるのだが、それは後ほど。


@研究室

by no828 | 2009-11-25 16:54 | 思索の森の言の葉は


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