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思索の森と空の群青

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2010年 03月 30日

近くの小さな不平等と遠くの大きな不平等——本日のトクヴィル(承前)+α

 読書会終わり。なぜわれわれは不平等を感じるのか、など。それはね、“われわれは平等であるべきだ”という先入見があるから。“われわれは平等であるべきだ、にもかかわらずそれが実現されていない。不平等だ、不満だ、何とかしろ”ということになる。“われわれは平等であるべきだ”がなければ、“不平等だ”とは感知されない。このときの“われわれ”とは一体なぜ、何ものとして、どのようにして意識されるのか。

 例によってトクヴィルとは直接関係ないことまでしゃべりすぎた。反省(少しだけ)。 

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 版元


 民主的な国では、どんなに富裕と思われている人も、ほとんど常に自分の財産に満足していない。というのも、自分は父親より豊かでないと思い、息子たちは自分より豊かでなくなるかもしれないと恐れるからである。デモクラシーの下にある金持ちの大半はだから富を増やす手段を不断に夢に見、目を自然に商工業に向ける。それが富を手にするもっとも迅速で有力な手段と見えるからである。この点で彼らは貧乏人のぎりぎりの欲求はもたないが、貧乏人と同じ本能を分かちもっている。あるいはむしろ、あらゆる欲求の中でもっとも圧倒的な本能、今より落ちぶれたくないという欲求に動かされている。
■(264)

 トクヴィルは、民主政の国を貴族政のそれと対比させながら説明することが多い。それを読むと、貴族政は安定した社会、民主政は不安定な社会だということが伝わってくる。

 貴族政社会は、身分の交換可能性(たとえば平民が貴族になるとか)はほぼゼロである。だから、貴族政社会では“不平等だ”という意識は芽生えにくい。平民に“貴族はずるい”という感情はあまり起こらない。平民同士で“あいつばかり儲けてずるい”はあるかもしれないが、そのような感情は貴族に対しては生起しない。なぜならば、平民が貴族になることはありえないからである。平民は、そして貴族も、固定的な社会以外の社会を知らないのである(もしかしたら貴族は知っているかもしれないが、それを平民に教えるわけがない。なぜって、自分の首を締めることになるから)。ここでの“われわれ”の範囲は、貴族にとっては貴族であり、平民にとっては平民であった、に違いない。

 翻って民主政社会。“もしかしたら身分がひっくり返るかもしれない”、“貴族だって同じ人間だ”という意識と知識が外発的にでも内発的にでも発生したことから(少なくともトクヴィルの想定する)民主政ははじまったのではないか。だから社会は流動化する。(旧)平民が“わたしもあの人みたいになれるかもしれない”という憧憬の念を(旧)貴族に対して抱くことが普通に起こるようになる。ここでの“われわれ”はある政治社会の構成員全体を指すようになる。その“われわれ”は平等であるべき集団である。だから不平等に敏感になる。この不平等感は“わたしにももっとできるはず(だからもっとがんばろう)”という方向に働くかもしれないし、“あの人ばっかりずるい(引きずり降ろしてやる)”という方向に作動するかもしれない。それはわからない。前者のような気持ちを持てと、国家と市場は言う。それが成長だと、教育者も言う。

 貴族政社会は安定した社会であったのに対し、民主政社会は不安定な社会である。“自分はどうなるかわからない”という不安が個々人の精神に付着して離れないようになる。だからこそ、“自律”が説かれるのかもしれない。そして、自律できる人とできない人に分けられる。できる人は成長していると見なされ、そうでない人は見捨てられる。そのあいだで“格差”が感得されるようになる。逆に言えば、“われわれ”意識が及ぶところでしか“格差”は感じられない。貴族政社会には今日われわれが認めるような“格差”はなかったのだ、とさえ言ってもよいであろう。民主政社会だからこそ“格差”が発生したのだと言ってもよいであろう。“何とかなるはずなのに何ともなっていない”という実感があってはじめてわれわれはその何とかなるはずの隔絶を“格差”と呼ぶ。何ともならない隔絶をわれわれは“格差”とは呼ばない。

 しかし、民主政社会においても“何ともならない隔絶”が出現することがある。某ヒルズに住む経営者と風呂・洗濯機共同のアパートに住む大学院生のあいだには、“何ともならない隔絶”がある、と少なくとも院生のほうは感じる。だから、院生はもはやその隔絶を“格差”とは呼ばない。院生の“われわれ”意識から某ヒルズ経営者は除外される(すでに経営者の側の意識からは院生は除外されているであろう)。院生の“われわれ”意識はひどく縮減される。たとえば、近くの別の院生集団。論文何本書いたか、公募はどうか、……。近くの小さな不平等に敏感になる。遠くの大きな不平等には無頓着になる。それはひとつの防衛反応かもしれない。遠くの大きな不平等を感じ続けることは精神的によろしくない、だから感じないようにしようという防衛反応かもしれない。実態としては、今の社会は貴族政社会になっているのかもしれない。貴族は平民同士の争いに関心を持たないであろう。

 どうすればよいのか。歴史が示すのは、というより、そこにある歴史からわたしが読み取るのは、このような場合は社会自体の仕組みがおかしくなっている可能性がある、ということだ。貴族政から民主政への移行は、その意識の芽生えが端緒になったのではないか、ということは先に見た。小さな範囲に“われわれ”意識を限定し、その中で不平等感を募らせるのではなく、もう一度大きな範囲での“われわれ”意識を“取り戻し”、その中で不平等感を減らしていこう、たぶんそういうことになる。

 しかし、このときの“われわれ”とは一体何なのか。結局国家国民なのか。それはナショナリズムのなぞり書きではないのか。

 逆に、だからこそ“われわれ”意識なんて捨ててしまおう、他者との比較など無意味だ、自分が思うように生きていけばよいのだ、そのような提案も説得力を持つ。だが一度“われわれ”意識を抱いてしまった人が、その意識をなしにすることは困難であるとわたしは思う。自分は自分、他人は他人、そのような考え方にスイッチすることは難しい。もちろん、そうした考え方を意識的に取り込んでいくことは可能であろう。しかし、完全にスイッチすることはたぶんできない。ふたつの考え方のあいだで揺れ動くのもなかなかに忙しい。

 しっくりくる答えをここでは出せないが、トクヴィルを経由して、すでに言われていることを含め、自分なりに考えてみるとこういうことになる。


@研究室

by no828 | 2010-03-30 17:44 | 思索


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