人気ブログランキング | 話題のタグを見る

思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
ブログトップ
2010年 05月 26日

だがな——やはりあれは和枝なんだ——浅倉卓弥『四日間の奇跡』

 ふー。

だがな——やはりあれは和枝なんだ——浅倉卓弥『四日間の奇跡』_c0131823_2031910.jpg

 版元

 44(277)浅倉卓弥『四日間の奇跡』宝島社(宝島社文庫)、2004年。
 * 単行本は2003年に同社より刊行。

 某ブックオフで購入。非常勤の行き帰りで読了。「第1回『このミステリーがすごい!』大賞」の大賞金賞受賞作、らしい。

 薬指を失ったピアニストの男と、ピアノを弾く能力が人並みはずれた「知的障害」の少女。ある病院(研究所)に慰問でピアノを弾きに行ったときの「四日間」。

 わたしが死にそうなとき、駆け付けてくれる人がどれだけいるか。わたしがそのまま死んだとき、わたしのために涙を流してくれる人がどれだけいるのか。それらをわたしは決して知ることができない。
 けれど……。
 もし、それを知ってから死ねるのなら、それは幸せなことなのかもしれない。もちろんそれは「わたし」によるのだが。



「だいたい〔病院への〕視察っていっつもそうですよね。ヘリで来て、二時間くらいで大急ぎで下とここと回って、しかもつまんなそうな顔でです。いったい何を見にいらしてるんだか。あたしにはなんだか、ヘリに乗るのが一番の目的みたいに見えますけど
「岩村君——」
「だって言いたくもなりますよ。どうせ見るんなら、あたしたちがうんちの始末してる現場でも立ち会ってくれればいいんですよ。あれが一番強烈です。一人でできたことができなくなる、というのがいったいどういうことなのか。それを支えるために周囲がどれだけ我慢し、努力するか。そういうところを見ないで、いったい何が視察なんですか
「いや、しかし——」
「言ってもしょうがいないことはわかってますけど、だったら来ないでくれた方がいいです。だってね、大人のなんですよ。赤ん坊や犬のを始末するのとは訳が違います〔略〕」
「岩村君——気持ちはわかる。だけどな、食事中にそれはちょっと勘弁してくれないか」

■(198)

 

□外科→脳外科の医師の話。植物人間になった妻を延命させている。
「和枝の場合はな、大脳新皮質の八割から九割が活動を停止している。それだけの脳細胞が死んでいるということだ。知っているかとも思うが、脳細胞というのは再生しない。細胞が古くなったからといって新陳代謝することをしないんだ。幼児期の急激な発達が終わった段階で、人はそのできあがった脳細胞と一生付き合うことになる。
 記憶が増える、あるいは思考能力が高まるというのは、つまり脳が成長するのではなく脳内のネットワークが発達するんだな。シナプスとかニューロンというのは聞いたことがあるか? それが言わば回路のようなものを形成し、その組み合わせを刻々と変えるんだ。どんどん複雑化していくと言った方がいいのかな。
だが死んでしまった細胞には、その活動ができない。だからといって代わりができあがっては来ない以上、体外に排出されることもない。死滅したまま頭骨の中に存在し続ける。そういう宿命なんだ。これは大脳だろうが延髄だろうが同じだ。
 もちろん脳のすべてが死んでしまえば人は死ぬ。だが植物人間というのはな、小脳や脳幹といった箇所はぴんぴんしてるんだ。自分で呼吸もするし、食物が体内に入れば胃腸は消化活動を始める。したがって排泄だってする。それらを統御する交感神経副交感神経を支配しているのが、延髄や視床下部だからだよ。要するに脳の比較的内側の部位、ということだ。
 だがな、自発的に何かをする、ということはまるでできない。〔略〕
 それでも和枝は生きている。体を維持するための栄養さえ与えられ続ければ、肉体が活動を止めることはおそらくない。〔略〕」
〔略〕
「——そして当然、口をきくこともしない。俺は毎日あいつに話しかけるが、返事もなければ、そもそも俺の言うことを理解しているのかどうかもわからない。あいつが今も自我というようなものを持ち続けているのかどうかさえ、正直に言えば時折疑ってしまうよ。
 だがな——やはりあれは和枝なんだ。不思議なことだがな、時折体を拭く際など、こちらが手を握ってやることがある。するとそこにかすかな力が込められるのがわかるんだ

■(294-6)

 “あなた”が“あなた”であるための条件。“わたし”が“わたし”であるための条件。

 無脳症の勉強をしたときに、人間の脳は大きくふたつに分けられることを学んだ。ひとつは上部にある大脳新皮質、もうひとつは下部にある脳幹。前者は人間の意識などを司り、後者は人間の純粋に肉体的な機能を司る。無脳症は、脳がまったくない状況を指すのではない。無脳症は、脳幹はあるが大脳新皮質がない状態を指す。つまり、意識はないが、肉体は動く。実際、産まれてもそう長くは生きられないらしい。

□農家に嫁いだことのある岩村真理子の話。
「そして何よりもね、毎日疲れ切ってぐっすり眠れるっていうのが、実はとっても幸せだったんです。だってね、不安とか猜疑とか苛立ちとか、そういう自分を苛むような感情に付き合ってる余裕がないんですよ。現実にはやっぱり狭い社会での人と人との関わりですから、相性の悪い奥さんがいたり、お爺ちゃんの頑固さに閉口したりということはしょっちゅうありました。だけどね、もうその場で忘れるしかないの。だって疲れてるからすぐ寝ちゃうんですもの。そういうの一眠りしたら、どうでもよくなっちゃいますよ。
 だからあたし思うんですよ。忙しくて忙しくて、それでもまだすることが山積みだっていうのは、実は幸せの一つの形なんだなって。充実感というと少し違うんですね。いったいあたし何のためにこんなに忙しくしてるんだろうって、やってる時は思いましたから。でも、失くしてしまうと不思議に、辛かったというよりもむしろ懐かしいという気持ちの方が強かったです」

■(314)

 考えないことの幸せ、か。

□さっきの医師
「では、人と動物とを決定的に分けているものとは、いったい何なのだろう。〔略〕」
〔略〕
「俺の答えはこうだったよ。おそらく人間だけが、たとえ親子という関係で結ばれていない、言わば生物学的にまったく無関係な他の個体のためにでも、己の快不快の原則を裏切ることができるのではないか。そう考えたんだ。
 他の個体のために自らを危険に晒す。〔略〕人間だけがそれをできるんだ

■(382-3)

 うーん、一理ある気がする。理性、義務論、……。カント先生を思い出すなあ。


@研究室 

by no828 | 2010-05-26 20:18 | 人+本=体


<< 誰かが傍にいてくれるのも、誰か...      あっ、うちのこと見ててくれる人... >>