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思索の森と空の群青

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2010年 08月 24日

自分が何かゆうてみい——川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』

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 版元

 59(292)川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』講談社(講談社文庫)、2010年。
 * 単行本は2007年に同社より刊行。
 ** 芥川賞候補、坪内逍遥大賞奨励賞、らしいです。

 不思議で、ちょっと怖い小説です。あるいは、私/わたし/わたくし、をめぐる哲学的洞察、と言ってもよいかもしれません。他でもないこの“私”とは何なのか。


 お母さんは、中学生のときに、図書館で、青木とはじめてしゃべりました。
 青木は、雪国、という昔の日本の小説の、〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった〉、という書き出しをお母さんに見せて、この文章の主語はなんだと思いますかと聞いたのです。これは、とても素敵な文章で、この文章だけは他の国の言葉にはうまく訳せないのだと、青木は笑いながらいいました。この文章の主語は、トンネルをくぐってゆく列車でも主人公の島村という男でも、ないよ。青木はそう云いました。その話を聞いてから、お母さんはなんだかよくわからない、不思議というような気分になって、でもなにか、そこには、お母さんが知りたい秘密のようなものが、いつでもあるような気がしているのです。今でもずっとしているのです。

□(50-1)


自分が何かゆうてみい、人間が、一人称が、何でできてるかゆうてみい、一人称なあ、あんたらなにげに使うてるけどなこれはどえらいもんなんや、おっと〔ママ〕ろしいほど終りがのうて孤独すぎるもんなんや、これが私、と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私!! これ死ぬまでいいつづけても終りがないんや、私の終りには着かんのや、ぜんぶが入ってぜんぶが裏返ってるようなそれくらい恐ろしいもんなんや私っていうもんは考えたら考えるだけだだ漏れになっていくもんなんや私ってもんはな、そうなんや、そやから苦し紛れにな、みんながんばって色々を決めてきたんや、なあ、自分で考えてゆうてみい、そこになんでかこうしてあるそのなんやかやの一致の私は何やてほれ今ゆうてみい、わたしは歯って決めたねん、私は歯って決めたんや、おうおうおうおう歯やからゆうて阿呆らしいとか思うなや、歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったったらその個体のしくみがまるままわかってしまうんや、全部ばれてしまうんや、歯はこれこの生命にとってな、最も最も最も最も本質的な器官なんや、そうやそやからわたしは決めたんや、命と本質と最もがわたしの中で一列んなってそれがずばっと歯やったんや、そらわたし歯に飛びついたっちゅうねん、〔……〕私からは誰ひとり逃げられへん、逃げる必要もないかもしれんけど、逃げられへんのや私からは、これいったいなにがどうなってるんかこんな無茶苦茶なもんほかにあらへんやろが、世界に一個のなんでかこれが、なんでか生まれてぜったい死ぬてこんな阿呆なことあらへんやろうが、こんな最大珍事もあれへんやろが、なあ、なんでかこれのこの一致! わたしと私をなんでかこの体、この視点、この現在に一緒ごたに成立させておるこのわたくし! ああこの形而上が私であって形而下がわたしであるのなら、つまりここ!! この形而中であることのこのわたくし!! このこれのなんやかや! あんたら人間の死亡率うんぬんにうっわあうっわあびびるまえに人間のわたくし率こそ百パーセントであるこのすごさ! ああ! わたしはいまや、なんでか不快であったわたくし率がなんでか愉快でたまらん気持ちになってきた! ああこれこそ! 正味よ! あんたらは何が何をするんが人生やって思ってんねん、これは大事なことやねん、これがわたしの問題ねん! 夢の中で蝶々になってもそれがいったいどないしたんや、蝶々になろうが何になろうがそれそこにある私はいっこもなんも変わらんままや! わたくし率はなんもかわらん、蝶々がなんやの、私は奥歯や、わたくし率はぱんぱんで奥歯にとじこめられておる!!
□(82-4)

 永井均の独我論の影響を見てとることもできるような。


@研究室

by no828 | 2010-08-24 19:42 | 人+本=体


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