思索の森と空の群青

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2010年 12月 25日

犯罪を作り出しているのは個人ではなくて社会や法律の方だ——京極夏彦『文庫版 魍魎の匣』

c0131823_1872932.gif86(319)京極夏彦『文庫版 魍魎の匣(もうりょうのはこ)』講談社(講談社文庫)、1999年。

版元


 正直に言います、京極夏彦にはまりぎみです。科学の上に文学を乗っけたというか、文学の上に科学を乗っけたというか、マニアックな術語がたくさん使われて、ことば遣いもがちがちではあるけれども、榎木津などがそれを崩す口語を差し挟むからかもしれないけれど、全然読みにくくない。

 あと、文庫の分厚さも好き。分厚い文庫本を手にしたときの感触がよい。今回は本文1048ページ!

 (この分厚さを求めて、来年の手帳はモレスキンの「デイリー ダイアリー(ソフトカバー)」にしました。ポケットサイズ、全400ページ。)

 ちなみに、今回は心理学、精神分析、量子力学などがベースにありつつも、後半に行くにつれて、医学や生命倫理学も/が絡んできます。「できる」ことは「してよい」ことなのか。

 以下、原文傍点省略。


「月光には何か不思議な魔力でもあると云うの?」
「伽噺じゃあるまいし。月は太陽の光を反射しているだけさ。だからね、太陽の光は動物や植物に命を与えてくれるけれども、月の光は一度死んだ光だから、生き物には何も与えちゃあくれないのさ」
「それじゃあ無意味じゃない」
「意味があればいいってもんじゃない。生きるってことは衰えて行くってことだろ。つまり死体に近づくってことさ。だから太陽の光を浴びた動物は、精一杯に幸せな顔をして、力一杯に死んで行く速度を早めているんだ。だから私達は、月に反射した、死んだ光を体中に浴びて、少しだけ生きるのを止めるのさ。月光の中でだけ、生き物は生命の呪縛から逃れることが出来るんだ

□(18)


「兄貴の話に依ると——たぶんバラバラにしている時の精神状態は極めて正常で、寧ろ殺人と云う非日常から普段の生活——日常に戻ろうとしてバラバラにしている場合が多いのじゃないか、バラバラにすることで犯罪者は異常な精神状態の中から正常を取り戻すんじゃないか、とか云っていました」
□(132)


「いえね、動機だけなら皆持ってる、計画するだけなら誰だってする、それがあるからと云って特殊なことじゃない、犯罪者と一般人を分かつものはそれが可能な状況や環境が訪れるか否かの一点にかかっている——と云うような主旨の話でした」
〔略〕
「私にも善く解らないんですよ。ただ兄貴が云うには、動機などの心理的な要因と、環境などの社会的要因、そして犯罪が可能になる物理的な要因は、切り離して考えるべきだろう、と。犯罪を作り出しているのは個人ではなくて社会や法律の方だ、とか」

□(133)


 翌日の午前中に警察が来た。
〔略〕
 不良じゃないんですが、なんせ父親がいないもので、すいません、申し訳ない、云云。
 何故父親がいないことが関係あるんだ! それに父親がいないのは自分の、母親の責任じゃないか。謝るなら頼子に対してこそ謝るべきだ。
そう強く思ったのだが、結局頼子は黙っていた。

□(161-2)


 当初、私は発表した作品に対して加筆したり修正を施したりするつもりは一切なかった。〔略〕
 文章は——いや、文章に限らずあらゆる表現と云うものは、排泄物のようなものだと私は思う。
 私なら私と云う個人が、恰も食物を摂るが如く摂取し続けた、人生と云う名の養分の絞り粕——私にとって私の作品とはそう云った類のものだった。だから排泄してしまった絞り粕にあれこれ手を加えたりすることも何だか無為な作業に思えたのだ。

 だから手を入れるのは厭だった。

□(243-4)

 「表現」とは何か。


普遍宗教とは何だね?
個人を救済の対象とする宗教のことだ。仏教、基督教、回教などがそうだね。通常この三つが普遍宗教、または世界宗教と呼ばれる。これらは人種国籍を問わず、誰でも入信出来る。つまり布教での勢力拡大が可能な宗教だ。僕が今回例として挙げたのはこの三大宗教の伝道者に限らず、布教して勢力の拡大が図れる宗教の信者の意味だから、異端や新興宗教なども含む。普遍と呼ぶには語弊があるが民族宗教とは明らかに違うのだから仕方がない」
その、民族宗教とは何なんです?
普遍宗教が個人を救済するのに対して民族宗教は民族、国家、集落、血縁集団と云った、特定の集団のみを救済する宗教だね。これは布教する必要はないし、また出来ない。本邦の神道などもこの民族宗教に分類される。これに入信するためにはその国に国籍を置くなり、村の住人になるなり、血縁関係を結ぶなりするより他ない。部族間の勢力争いや、別別の民族宗教を持った集団同士の権力抗争などはあるが、基本的に信者を増やして勢力を拡大しようと云う側面は民族宗教の教義には欠落している。〔略〕」

□(296-7)

 「普遍宗教」と「民族宗教」、なるほど。メンバーシップの問題が絡む。


オカルトとは本来〈隠された〉と云う意味だよ。〔略〕日本人はサイエンスとつくとすぐ科学と訳す癖がある。そこで自然科学に対抗した怪しい科学と勘違いしてしまう。たとえばサイキックサイエンスと来ると心霊科学と訳す。間抜けだね。サイエンスは元来知識という意味だから、オカルトサイエンスは隠された知識、サイキックサイエンスは霊的な知識と訳すべきだ。科学は関係ない。〔略〕」
□(303)

 サイエンス(science)の原義については、何回か前の非常勤の授業で話した。


隠されているからこそ意味のあるもの——それこそがオカルトだ。箱に菓子と書いてあるなら、中に塵芥が入っていたとしても、蓋を開けるまでは菓子が入っているのと変わらない。菓子は食うためにあると云って蓋を開けてしまえば嘘が知れるが、上書きを信じて最後まで蓋を開けなければそれは最後まで菓子なんだ。塵芥になることはない。横から他人がしゃしゃり出て、それは塵芥ですなどと口を挟み、折角の楽しみを奪うことはない
□(308)

 量子力学。


「——木場さんは、外見が人を変えてしまうことがあると、お思いになりませんか?」
 陽子はこのうえなく悲しそうな目で木場を見た。

□(623)

 この本は心身二元論を否定する方向を向いている。肉体は不要! 精神だけで生きられたほうがよい! というセリフがあって、それが否定される箇所があったのだが、チェックするのを忘れた模様、見当たらない……。


「例えば——作品と作者は別のものだから、先行する作者像が作品の鑑賞に影響を与えたりするのは良いことじゃないのだろうが、逆に作品から作者の性質や何かを読み取って、作者像を推し量ることはある程度は可能なことだし、それなりに已むを得ないことだと思う。勿論小説は虚構なんだから直截的に作者の主義主張が書かれている訳ではないが、矢張り嗜好や思想的背景などは隠し切れない。これは巧い人程判り難い。逆に下手な書き手程作者の顔が簡単に浮かぶ。〔略〕」
□(697)

 むしろ思想的背景を前面に出すべき、というのがヴェーバーの「価値自由」。


「そう。動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など——こと殺人などは遍く痙攣的なものなんだ。真実しやかにありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加えるような行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想に過ぎない。世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと、何としても思いたいのだ。つまり犯罪を自分達の日常から切り離して、犯罪者を非日常の世界へと追い遣ってしまいたいのだ。そうすることで自分達は犯罪とは無縁であることを遠回しに証明しているだけだ。だからこそ、その理由は解り易ければ解り易い程良く、且つ、日常生活と無縁であればある程良い。〔略〕」
□(717)


満足とは如何なる時も自己満足だ。それ以外に満たされることなどない!
 京極堂は厳しい声で云った。
「満足や幸福が主観以外の外的基準で量れると思っているならそれこそ幻想だ。あなたこそそう云う唯物的な姿勢で自分の気持ちを誤摩化している! 欺瞞だ。〔略〕」

□(938)

 Gross National Happiness (GNH)というのがある。わたしはほとんど信用していない。なぜわざわざ計測・評価するのか、からしてよくわからない。とはいえ、この幸福の計測・評価の作業から理論が撤退してよいとも考えていない。


「美馬坂! 手も足も、腸も切り取って、それで生きてて何になる! それが人間か? 大体手足切ったって二日後にゃ死んじまうんだろうが! それでずっと生きる訳じゃねえだろう! 高高一日二日のために施す処置か! 人の身体新巻鮭みてえに切り刻みやがって、それでもてめえ人間か!」
馬鹿者! 人間は五体満足でないといけないとでも云うのか? 身体のどこが欠損しようと、命ある限り人間は人間だ! 生命の尊さに変わりはない。加菜子は、傷んだ部分を除去しただけだ! 仮令一分一秒だって延命するのが医学者の務めだ

□(951)


「あなたは科学者でしょう。僕は科学者としての美馬坂幸四郎は評価するが、伝道師としての美馬坂幸四郎は評価出来ない。科学は技術であり、理論であって本質ではない。科学者が幸福を語る時は、科学者の貌をしていてはならないのです。至福の千年王国などと云う科白は——あなたが口にして良い言葉ではない」
□(995)


@研究室
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by no828 | 2010-12-25 19:32 | 人+本=体


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