126(448)村上春樹・佐々木マキ『ふしぎな図書館』講談社(講談社文庫)、2008年。
※ 初出は(たぶん雑誌)『トレフル』1982年6月号-11月号。2005年、初出からなぜか20年以上も経過ののち、同社より単行本が刊行。
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大人向けの絵本。だから引用箇所もとくにないが、1箇所だけ。ちなみに、題名のとおり舞台は図書館。本を借りに来た少年をめぐる物語である。
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「いかような本をおさがしになっておられますかな、坊ちゃん?」
「オスマントルコ帝国の税金のあつめ方について知りたいんです」
□(頁数不明)
「オスマントルコ帝国の税金のあつめ方」というのがすごい。よく思い付いたな、というのが率直な感想である。
村上春樹には、“こちらの世界”と“あちらの世界”とが設定されることが多い気がする。本書もそうだ。ただ、“あちらの世界”と言っても、“死後の世界”のことではない。それは何というか、“想像力で作られた世界”のことだ。村上春樹は、想像力の大切さを小説のなかで繰り返し書いているようにわたしには思われる。しかし、想像力だけが大切なのではない。想像力を育み、使う側の人間が“こちらの世界”、つまり生身の触れたこの現実世界の日常を丁寧に生きているかどうかがまずは大切なのだ。想像世界だけを重んじ、そこを生き、現実世界を蔑ろにするというのではいけない。現実世界を軽んじたときの想像力は、人間をますます現実世界から引き剝がし、想像世界に引き込んでしまう。村上の言う想像力は、そういうものではない。村上の言う想像力は、具体的な日常を丁寧に生きる人間が育み使うものである。村上が作品のなかで具体的な日常を丁寧に描写している理由もそこにあるように思われる。
本書の通奏低音もまた、それである(たぶん)。
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