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思索の森と空の群青

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2011年 12月 22日

情事OLの1984年——田口久美子『書店繁盛記』

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139(461)田口久美子『書店繁盛記』ポプラ社、2006年。

版元 → 




 リブロからジュンク堂へと働き歩いたリアル書店員によるリアル書店の具体的な日常。そう言えば、巨大リアル書店に最近行っていないなぁ……(古書店を除く)。

 売上調査カードが本に——挟まれていたのではなく——印刷されていたのがおもしろかった。“だからこそのユーモア”、今回で言えば“本屋さんだからこそのユーモア”だが、そういうのは割と好き。割と? いや、結構好き。


 出版社が、アマゾンの「一五〇〇円以上の本、送料無料」という設定にあわせて、単行本の定価付けの最低ラインを一五〇〇円にあわせようとしている。価格の変化が、今静かにおきているのだ。
□(はじめに)

 今は、基本的に送料無料のアマゾン。1,500円以下の洋書(いわゆる「原著」)をさきほど注文したばかりだが、とくにオプションを付けないコンビニ受取で送料無料であった。


 それにしてもアマゾンがブロックする本のリストを誰か作らないかなあ。
□(18)

 今もあるのかなあ。


 それにつけても、その頃の書店の棚は作りやすかったろうな。純文学、中間小説、大衆小説(清張の推理小説はここに)、時代小説、各々垣根がはっきりしていた。文学と小説ってどう違うの? とは誰も問わなかった。えーい、もうこんなに垣根が曖昧なら、みんな、オトコもオンナも、純も中間も大衆も一緒に作家の五〇音順だー、なんていうこともなかったろう。
□(81)

 ジャンルの問題。カテゴリの問題と言ってもよいであろうが、ジャンルはいずれ崩壊する運命にあると思うし、少なくとも学術書に限って言えば、書いた人がすでにひとつのジャンルだと思うから、五〇音順、アルファベット順でオーケーではないかと思う。


 比べて、人文はちょっと外れて、アカデミズム&在野の実用・趣味書なのだ。リブロに入社した頃「人文」とはなに? ときいたら、個人としての人間そのものに関わる学問、といわれた。「社会科学」とは? 人が複数集まったときに発生する学問、と重ねて聞かされた。今でも覚えているので、二十代の私にとってはとても根源的な答えだったのだ。だから、と教えてくれた人は(もう誰だったか忘れたが)続けた、「人文」には在野(もうこんな言葉はなくなったのだろうか)で勉強している人が多いんだよ、要は、趣味書なんだから、と。
 言葉を変〔ママ〕えれば、人文書は「その枠組み自体を問う学問」ともいえるし、アカデミズムを常に在野が突き上げているジャンル、ともいえる。だから在野が元気だった八〇年代、いち早くそれを察した今泉正光がリブロで独自な書棚を作ることができた。こう考えると、今泉がリブロに出現した意味が腑に落ちる。あのリブロ人文書全盛期に、「この解釈で行く!」と独裁者今泉が押し通し、顧客が支持したときに、棚が意味を持ったのだ。この間の記録は拙著(『書店風雲録』)に書いた。

□(244)

 棚で言えば、最近は丸善丸の内本店の松岡正剛プロデュース松丸本舗。眺めるだけで勉強になるし(これの隣にこれがあるとは! とか)、もっと勉強したい気持ちになる。

 ところで(!)本棚は大事。自分の内側を外側に出したものが本棚だから、できれば見渡せるようにしておきたいとわたしは願う(実現する見通しは立っていない)。


私が笑ってしまった問い合わせのダントツは——。お客さんがメモを見せた、「情事OLの1984年」と書いてある。「すみません、ジョージ・オーウェルの『1984年』(ハヤカワ文庫)でしょうか」「そう書いてあるでしょう」
□(305)

 傑作。

 参考:オーウェル『1984年』 → 
 参考の参考:伊藤計劃『ハーモニー』 → 


@研究室

by no828 | 2011-12-22 13:35 | 人+本=体


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