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思索の森と空の群青

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2012年 01月 25日

まず、その涎かけをとりたまえ。話はそれからだ——竹内薫+竹内さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』

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13(483)竹内薫+竹内さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』中央公論新社(中公文庫)、2008年。

※ 単行本は1998年に徳間書店より刊行。10年後の文庫化。

版元 → 


 「哲学小説」と呼ぶべきものです。“哲学の入門書を書く人の物語”と“その人が取り上げる哲学者の考え方の紹介”とが交互に登場します。この本自体が哲学の入門書でもあります。具体的には、ヴィトゲンシュタイン、サルトル、カーソン、フッサール、ファイヤアーベント、廣松渉、大森荘蔵などが取り上げられています。ファイヤアーベントは勉強したいと思ってきましたが、本が安価に入手できません。

 この本では、上掲哲学者の著作からの引用も頻繁になされています。以下は、そこからの孫引きを避けての引用です。

 ↓ サルトル。「アンガジェ」は英語だと「エンゲージ(engage)」。


 あるいは、女子高生の援助交際、満員電車の痴漢、暴走族、どのような行為も、実は、社会全体に影響を及ぼすのであり、「自分ひとりだけならいいだろう」という考えは甘いのだと云わねばならない。みんながやっているから、という言い訳は通用しない。一人ひとりの行動が、世界全体に影響を及ぼすという意味で、人間は常にアンガジェする生き物なのである。
□(69)

 ↓ ソクラテス、を書いたプラトンの「プラトニックラブ」。


 いわゆるプラトニックラブという言葉は、今では「肉欲を抜きにした精神的な愛」の意味に使われることが多い。その用法は、実際、半分は正しい。だが、プラトンの当時の「愛」の理想像は、〔略〕男性同士の精神的な愛のことであって、男女間の愛は含まれていない。つまり、子供を宿す可能性のある男女間の愛は、肉体的であることが当たり前であり、生殖に関係のない男性同士の愛の形態こそが問題だったのである。プラトニックラブというのは、だから、愛の美学のことだといっても過言ではない。
□(105-6)

 ↓ 大森荘蔵。


 大森荘蔵は、その哲学だけでなく、人物のスケールも大きかった。
 学生闘争華やかなりし頃のこんな逸話がある。
 当時、教養学部長をしていた大森の部屋にマスクで顔を覆った過激派の学生たちが乱入してきた。僕が大森の立場だったら、恐怖にかられて取り乱すところであるが、大森は実に毅然とした態度で云い放った。
 「君たち、まず、その涎かけをとりたまえ。話はそれからだ
 顔を隠した学生たちは、ぐうの音もでなかったという。

□(296)

 ちなみに、大森荘蔵は廣松渉——の学説——を嫌っていたそうですが、自分の後任の東京大学教養学部長には“彼しかいない”と廣松渉を指名したそうです。

 そういえば、中島義道の本にも大森荘蔵への言及がありました(→ )。


@研究室

by no828 | 2012-01-25 18:15 | 人+本=体


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