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思索の森と空の群青

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2012年 02月 24日

夢に向かって頑張っていないと駄目なのか、何かを作っていないと駄目なのか——西加奈子『通天閣』

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28(498)西加奈子『通天閣』筑摩書房(ちくま文庫)、2009年。

※ 単行本は2006年に同書房より刊行。

版元 → 


 大阪を舞台にした小説です。主人公は男女2人。男の節、女の節と、交互に展開していきます。そして展開するほどに節の長さが短くなっていきます。つまり、男の残像を引きずりながら女を読み、女の残像を伴いながら男を読む。残像が濃くなる。そのため、男と女のあいだに横たわっていた“距離”も短くなっていくような印象を強くしていきます。2人は実際に物理的にも近づいていくわけですが、それは恋愛関係ということではありません。結末において浮かび上がるその関係は、実は物語の最初からその背後に描かれていたわけですが、前面に出てくるのは、最後にぐわっと、です。

 論文では、こういう構造の採用と効能への期待は、難しいかもしれません。(本にするときには、できるかなぁ……。具体的な例もアイデアもないですが。)

 ちなみに、西加奈子はテヘラン生まれ、エジプト育ちと著者紹介にありました。18歳まで同じところで育った(にもかかわらず(?)国際的な事象に関心を抱く)わたしは、そういう生まれ方・育ち方に憧れます。

 ↓「冷酷な」というか、「冷徹な」というか、こういった類の形容詞をその前に付加してもよいほどの 洞察 だと思いました。以下、3連続。気付けば、女の節からのみになりました。


 たまに思う。ううん、よく思う。何故、辞めてしまわないんだろう。
 でも、答えは分かっている。日本に残された私が辛い思いをすればするほど、マメへの気持ちが、とても崇高で、清らかなものになっていく気がするからだ。マメは、遠いアメリカでがんば〔ママ〕っているのだから、私も、嫌な仕事くらいこなさなければいけない。マメよりもきっと嫌な仕事をこなしていることを、マメは申し訳なく思ってくれるだろう。日本に残してきた私が、クソのような仕事をマメのためにしているのだ。マメは私のことを、いつも思い出すだろう。
 頑張〔ママ〕れば頑張るほど、ふたりの関係が、確固たるものになる。私はいつも、そう思っている。そう、この、気が遠くなるほどの、長い距離を越えて。

□(86)

 私はもう、何も信じない。
 マメのことを、信じていた。本当に、心から。マメが映像作家になりたいと思っているのなら、それでいいと思った。「何やの。それ?」そう思う気持ちを、胸の奥にしまって、「頑張れ」と、そう言い続けてきた。あなたのことをいつまでも待っている。だから、思う存分頑張ってください、そう思っていた。いや、そう思っていたら、マメが帰ってきてくれると思っていた。そういう内助の功、みたいなものを、男の人は好きだと思っていた。

□(169)

「めっちゃ頑張ってはんねん。作る映像も、なんていうか、新しいんや。」
 何を言いさらす。頑張ってて、新しい映像を作れば、あんたは好きになるのか。尻が大きくてそそるとか、セックスがうまそうだとか、甲斐甲斐しく身の回りの世話をしてくれるだとか、そういうことを言え。
 頑張ってるときの目がきらきらしてる?
 本人より作品に惚れたと言ったほうが正しい?
 じゃかましい!
 夢に向かって頑張っていないと駄目なのか、何かを作っていないと駄目なのか。自転車でバイト先に向かい、阿呆の相手をして、マメのことだけを思って眠る生活をしている私は、駄目なのか。
「きらきらと輝いて」、いないのか。
 どれだけ泣いても、涙が止まらなかった。もったいない、そう思った。マメに見られていないのに泣くのは泣き損だ。でも、私がこんな風に泣いたり、笑ったり、怒ったり、眠ったり、拗ねたりしているところを、マメが見ることはもうないのだ。
マメはニューヨークというところで、刺激的な毎日を送り、いつか映像作家になれるよねと、同じ夢を持っている「同志兼尊敬できる人兼好きな人」と、日々を過ごすのだ。
 なんたることだ。なんたる。

□(170-1)

 ↓ 解説は津村記久子(→ )。


 世界はこのようなものであるというところを、西さんは正確に言い当てる。そこに虚飾や容赦はない。けれど、そこに一ミリの希望を付与する。このようなものである世界に失望し続けるのは簡単だけれど、『通天閣』はそれをよしとはしない。ぐしゃぐしゃの街とわけのわからない出来事にまみれながら、人間が生きているということを肯定し、そこからでも光はつかめると気付かせてくれる。それがたとえば、「きらきらと輝いて」夢を追うことなどではなくても、無価値なものでは決してないのだ。
□(270)


@研究室

by no828 | 2012-02-24 16:37 | 人+本=体


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