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思索の森と空の群青

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2012年 04月 25日

ぼくは、よそからミラボーに来た人々のことをあまりよくは思わない——ジェフ・アボット『図書館の美女』

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64(524)ジェフ・アボット『図書館の美女』佐藤耕士訳、早川書房(ミステリアス・プレス文庫)、1998年。

版元 → 

原著の刊行は1995年、原題は The Only Good Yankee


 『図書館の死体』(→ )に続くシリーズ2作目。アメリカの北部から「ヤンキー」が南部を「開発」しにやってきた、という話です。世界の「北」と「南」の議論にもあてはめながら読みました。

「エルナンデスさん、基本的にぼくは、よそからミラボーに来た人々のことを、あまりよくは思わないことにしているんです。ぼくらから土地を買おうとする人々も、それを売らないようにと説得する人々も。それにぼくらのことを、こいつらは間抜けで自分じゃなにも考えられない、なにをしたらいいか人に教わらないとなんにもできない田舎者だと思う人々も(41)

「必要ないわ! こんな開発なら!」トゥワイラが横から割って入った。「ビッドウェル、わたしだって開発そのものが悪いことだとはかならずしも思わないけど、開発の進め方については町のみんなが管理できるようにしたいのよ。だって、どこの馬の骨かもわからないような人間に土地を売って、土地も川もめちゃめちゃにされたらいやでしょう」(97-8)


 “内発を謳った外発”ということをよく考えます。“みなさん、大事なのは内発です”と言って外から入り込んでいく開発のありようです。“内発であればよい”というとき、それを言うのは誰か、ということも一緒に問われるべきでしょう。外発がすべて悪いとは思いませんけれど。

「魅力なんてのは移ろいやすい売り物だよ。背丈はそうじゃない」(69)

べつに白人と黒人が特別なかよくしなくちゃいけないとも思ってなかったし、マイケル・アディは友だちでもなんでもなかったけれど、そのとき、こう思ったことだけはたしかだった。もし父さんが、同級生がいじめられているのにぼくがなにもしないで突っ立っていたと知ったら、さぞがっかりしてぼくのことを怒っただろう。それまでの経験からすると、それは確実にありうることだった。(80)


「たぶん? 愛にたぶんはないわ。愛しているか愛してないか、それだけよ(74)

信頼と愛はちがうと思うわ。でも、信頼は愛の基本よ。男にはそれがどうしてもわからないみたいだけど」(340)

「あなたってほんと、救いようがないわね」キャンディスは首を振った。「愛はするものじゃないわ。お昼を食べたりテストでいい点を取ったりするのとはわけがちがうの。ただ愛せばいいのよ。ちがいがわからない?」(342-3)


 「愛(love)」は覚悟だと目下のところ考えていますが、本当のところ(← 傍点を打ちたい)はよくわからないものかもしれない、とも思っています。解釈学的に、実際に「愛」に付与されてきた意味を取り出してくるのもひとつの方法で、このブログでしていることもそういうことですが、いまのところ納得には至っていませんし、解釈学は納得を目指すものではないのかもしれないとも思います。


@研究室

by no828 | 2012-04-25 18:18 | 人+本=体


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