思索の森と空の群青

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2012年 07月 14日

わたしがいちばん好きな愛は“ありふれた親切”で説明できそうだ——ヴォネガット『スラップスティック』

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107(567)カート・ヴォネガット『スラップスティック』浅倉久志訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF)、1983年。

版元 → 

原著は Slapstick、刊行は1976年。Slapstick は「どたばた喜劇」といった意味のようですが、「どたばた喜劇」がよくわかりません。たとえばY本新喜劇は、英語だと Yoshimoto Slapstick になるのでしょうか?


 カート・ヴォネガット・ジュニアはいつからカート・ヴォネガットになったのでしょうか?

 個人的にも、「愛」よりも「親切」のほうがわかります。以前、村上春樹が『雨天炎天』においてヴォネガットのこの点に触れていました(→ )。
 愛がそれほど重要とは思えない。
 では、なにが重要に思えるのか? 運命と真剣に取り組むことである。
 ◆
 わたしは愛をいくらか経験した。すくなくとも、経験したと思っている。もっとも、わたしがいちばん好きな愛は、“ありふれた親切”ということで、あっさり説明できそうだ。短い期間でも、非常に長い期間でもいい、わたしがだれかを大切に扱い、そして相手もわたしを大切に扱ってくれた、というようなこと。愛は、必ずしもこれと関わりを持つとは限らない。
〔略〕
 愛はどこにでも見つかる。それを探しにでかけるのは愚かなことだと思うし、また、有害になることも多いと思う。
 世間の常識から見て、相思相愛の仲だと思われている人たちに——あなたがたがもし諍いを起こしたときは、おたがいにこういってほしい。「どうか——愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに
(10-1)


 思考法——何を固定して何を流動させるか、どちらを不変項にしてどちらを変項にするか。この方法はよく使います。
 聞きたまえ——わたしたちの考えのきっかけになったのは、古代文明の謎だった。近代的な動力源も機械もない時代に、どうやって古代人は、エジプトやメキシコのピラミッドや、イースター島の巨石像や、ストーンヘンジの荒削りなアーチを作ったのだろう?
 それはきっと大昔に重力の弱い時代があったからにちがいない、とわたしたちは結論した。その頃には、人びとが巨石を使っておはじき遊びができたのだ。
(63)


 これも上と同じ。
 父は母に、その前日ニュース雑誌で読んだ記事の話をしていた。なんでも中華人民共和国の科学者たちは、人間を小型化する実験にとりかかっているらしい。そうすれば、たくさん物を食べなくてもすむし、大きな服を着なくてもすむからである。(75-6)


 ロシアの小説家フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは、あるときこういった。「幼年時代の聖なる一つの思い出が、おそらくは最高の教育である」と。子供のための即席教育としてわたしに思いつける別のやりかたは、これはこれなりに、有益さにおいてほとんど遜色がない——つまり、おとなの世界で非常に尊敬されている人物に会い、その人物が実は意地の悪い狂人なのに気づくことである(103)


@研究室
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by no828 | 2012-07-14 18:14 | 人+本=体 | Comments(0)


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