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思索の森と空の群青

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2012年 08月 23日

学生時代や院生時代は行動圏内の古書店は毎日のように虱つぶしに通う——「図書」編集部編『書斎の王様』

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131(591)「図書」編集部編『書斎の王様』岩波書店(岩波新書)、1985年。

版元 → 


 椎名誠、下村寅太郎、立花隆、由良君美など、さまざまな人の「書斎」が紹介されています。書斎がほしいです。

 ↓ こういう考え方は割と好きです。孫引きです。原書はこちら(版元 → 
 現実。それは「哀しみ」の異名、である。空想の中でだけ、人々は幸福と一しよだ。私は現実の中でも幸福だ、といふ人があるかも知れないが、さういふ人は何処かで、思ひ違ひをしてゐる。(中略)正確に、現実の中でだけ幸福だ、と言ふ人があれば、それは遠い祖先の猿から、あまり進歩してゐない人である。(森茉莉『贅澤貧乏』)(小泉喜美子「夢みん、いざや」61)


 ↓ 大きなテーブルがほしいです。就職したら、食卓用のテーブルを研究用に転用する予定です。
 この判断は正しかった。いまでも私はこのテーブルが日本で入手できる最高の机だと思っている。そして、いい机という条件が、もの書き稼業にとってこんなにも大切なものかということを日々に痛感させられている。(立花隆「わが要塞」133)


 ↓ 「執念」かあ、と思いました。
 考えてみるとすべてのことは、私が物を書かずにいられない点から発している。いろいろの来し方の私の姿は、何としても書きつづけようとする執念にもとづき、そのことによって断崖を登りつづけているのである。
 物を書くという仕事は、少なくとも自分自身の考え方をきちんと彫りつけようとすることであり、「我」を確立したいことでもある。つまりは登ろうとして断崖にハーケンを打ちこむことにほかならないだろう。
(永瀬清子「女なのに書く場合」146-7.章題の傍点省略)


 ↓ 状況が認識を選ぶ、認識が状況を選ぶのではなく。むむむ。
 評論家になってからずっと、マルクス主義の立場から戦後を見、評論してきた。六〇年代安保までは見えていたのに、高度成長がはじまると何か見えなくなった。暗黒のトンネルの中でふっと見えだしたのが、一九七〇年の公害の噴出である。(山田宗睦「書斎七遷」196)


 ↓ 近くにほとんど古本屋がない!
その点、学生時代や院生時代は暇があったから、自分の行動圏内の古書店は毎日のように虱つぶしに通うことができ、どの棚に何があるか番頭以上に暗記できたものである。こういう探し方は時間がかかるようでいて、実はその逆。暗記しているからこそ棚の本の様子が少しでも昨日と相変〔さまがわ〕りしていると、ゲシュタルト認識のように一見してパッと分るから、変えられた箇所だけを見れば済むわけで、かえって時間はかからないものなのだ。(由良君美「縁・随録——集書の不思議」205-6)


@研究室

by no828 | 2012-08-23 18:08 | 人+本=体


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