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思索の森と空の群青

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2012年 09月 21日

雨の朝の講義のあと

雨の朝の講義のあと_c0131823_13434457.jpg 特筆すべきことがない、というか、わざわざブログに書くまでもない、というか、そういう日常的な「日々」が過ぎています。本当はあるのかもしれません。起きたことを整理して書く思考的余裕がないのかもしれません。研究は、現在入力期間でして、「読む」と「考える」の繰り返しで、出力のかたちを模索しています。来月の15日に締切のある論文と20日の研究会の発表原稿と、その2つを念頭に置いています。前者の構造はほぼ定まっているのですが、後者は……です。投げられた問いはまともに引き受けられないほどに大きなものなので、どう限定するか、どう枠付けるか、そこを考え中です。


雨の朝の講義のあと_c0131823_1425358.jpg その後者の一環にするかもしれませんが、現在的な思想上の問い(これはすでにわたしのなかにある)を歴史に投げ入れたときにどういう答えが返ってくるか、という思想史の方法に関心を持ちはじめたので、いまはその妥当性と可能性に探りを入れています。問題Aを自分で考えることがまずは大切ですが、(必ずしも問題Aについて考えたわけではない)過去の哲学者がこの問題Aを考えたとしたらどういう認識が得られるか、という問いの立て方は(もちろん文脈の違いは踏まえたうえで)強力な補助線、さらにはわたしの主張を支える“根拠”になりうるのではないか、と思うようになりました。また、このわたしが“わたしなりに”議論を展開してもなかなか耳を傾けていただけないということもあって(しくしく)、であればすでに名の通った哲学者の(威厳を後景に置くというとあれですが)思想に自分の考えを重ねるというのもありなのではないか、と思うようにもなりました。学問の(たぶん人文学・社会科学の、たぶんさらにその一部の)世界の根拠は、「データ」よりも/に加え、「権威」かもしれません。教育学の学的構造を以前講じたことがあるのですが、経験科学的教育学の主張の根拠は「データ」だ、とすんなり言えたのですが、規範的教育学の主張の根拠は、と考えたときに、煎じ詰めると、もしかして「権威」か? となってしまいました。何が語られているか、よりも、誰が語っているか、というより、誰の語った何なのか。学問に「権威」は関係ない、というのがわたしの基本的な考えではあるのですが。ちなみにここでの「権威」は「先行研究」ともちょっと(かなり?)違います。(写真のつけ麺のお店はTべログ → 


雨の朝の講義のあと_c0131823_14103095.jpg 本日金曜1限の講義は9時からでした。それも来週で終わりです。再来週に試験となりますが、それには出講する必要はありません。

 この看護学校では、講義後に学年担任の先生と世間話をするというのが風習になっていて(先生からすれば義務?職務?)、大体30分くらい話します。わたしの非常勤講師先にこういう学校はほかにないため、“先生方にも他に大事な仕事があるのではないか”、“実はとくに話したいと思っているわけではないのではないか”と思ったりもします。半分くらいの申し訳なさを抱えながら、質問(学生の調子はどうですか、など)に答えたりしていると、時間は経っていきます。

 今日は、いただきもののチョコレートをいただきました(やや、ややこしい)。女性教職員のみなさん(というか、女性しかいません)はブラックのチョコレートをほとんど食べないそうで、そのブラックと、なぜかTロルも。教員控室でホット・コーヒー(もちろんブラック)と一緒にブラック・チョコレートを2つ食べました。「先生、持ってってください」とすすめられましたので、出されたぶんを遠慮なくいただいて帰ってきました。


 雨ですね。


@研究室

by no828 | 2012-09-21 14:36 | 日日


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