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思索の森と空の群青

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2012年 10月 11日

聞くことができないのです。聞いた言葉を理解する頭がないのです——岡嶋二人『99%の誘拐』

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150(610)岡嶋二人『99%の誘拐』講談社(講談社文庫)、2004年。

版元 → 

単行本は1988年に徳間書店より刊行、1990年に徳間文庫、第10回吉川英治文学新人賞。


 初 岡嶋二人。タイトル買いというやつです。寝る前に読むのにほどよい軽さです、というのは、貶し言葉ではなく褒め言葉です(本当に)。このほどよさに出会うのは、なかなか難しいです(個人的に)。
 
 でもお前が知りたいと思った時、私が話してあげられるかどうかわからない。慎吾、お前には、自分がどんなことをされたのか、知る権利がある。知るのを拒否する権利ももちろんあるが、知る権利だって持っている。(11)

 「知るのを拒否する権利」は、法的に立てることはできるかもしれませんが、原理的には存在しえない、とわたしは考えています。知らないもの・ことを拒否することはできません。自分にとって知らないもの・ことは何かを知っている、という状況でなければ、拒否することすらできません。それはもう、「知っている」状態なのではないか、と考えるわけです。もちろんこれは、教育という営みとの関係で考えています。

「現在、完全な形の音声応答システムというのは、まだ出来上がっていないのです。コンピュータに言葉を喋らせることはできます。しかし、人間の言葉を聞き取り、その言葉の意味を理解して返答するといったシステムは、現在研究段階で出来上がってはいません。喋ることは今のシステムでもできますが、聞くことができないのです。聞いた言葉を理解する頭がないのです。世界のどこへ行っても、完璧な応答システムはまだ完成していないはずです」(200)

 文脈の存在もあるでしょう。今でもそうなのでしょうか、というのは素朴な疑問です。そうでないとすれば、「聞く」というよりも——むしろ「聞く」ことはできるのでは?——「聴く」というのは、かなり複雑な「行為」ということになります。機械はそもそも行為することはできるのでしょうか。それはつまり、機械は「意志」なるものを内在させることができるのか、ということでもあります。


@研究室

by no828 | 2012-10-11 18:00 | 人+本=体


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