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思索の森と空の群青

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2013年 06月 19日

ぼくはどうやら、他人がその仕事をしている限りなら——丸谷才一『たった一人の反乱』

ぼくはどうやら、他人がその仕事をしている限りなら——丸谷才一『たった一人の反乱』_c0131823_1538712.jpg丸谷才一『たった一人の反乱』上下、講談社(講談社文庫)、1982年。54(709)

単行本は1972年に同社より刊行。カバー画像は単行本のもの(文庫版が見つけられなかったため)、上下分冊文庫版もこれと基本的に同様。

版元 →  ただし、講談社文芸文庫バージョン。


 故 丸谷才一(まるや さいいち)の長篇小説。丸谷の日本語表記にはこだわりがありますが、本書にはそのこだわりが貫かれていません。わざと?

 通産省のキャリア官僚 馬淵英介が防衛庁への出向を命ぜられたのにもかかわらず断って(少し時間を置いてから)民間企業へ天下った、そのあとの話。時代は(おそらく)1960年代後半。機動隊に石を投げる人たち、ヘルメットを被ってそれを撮影するカメラマン(カメラパーソン?)が出てきます。

 丸谷才一の市民論、市民社会論。近代との向き合い方。

「君は何を連想した? 市民で」
「フランス革命」
「これはまた正統的な」
「何しろ大学では社会学を研究しましたので。〔略〕市民てえのは何だろう、とか、シミンのシはシトワイヤンのシ、とか、そんな変なことを考えていた」
 そこまで言って小栗は冷酒を一気に飲みほした。ぼくは、
「シトワイヤンのシ」
 とつぶやき、マヨがすぐに、
「サクラのサ」
 とつづけ、そして小栗は濁った声で馬鹿笑いをした。
(上.32-3)

 官僚としてのぼくの経験から言うと、既成事実がある程度以上できあがった場合は、周囲の情勢がやはりそのことをよしとしているのだから、そういう「時の勢い」を尊重するほうがいいので、たとえ気に入らなくても軽々しく反対するのは禁物である。いつまでもそれに従うというわけではないが、うまい機会をつかまえるまでは逆らわず、さりとて賛成もしないで、不即不離と言うのか、とにかくぼんやりしていることが好ましい。(上.206)

 つまりぼくは……自分が社会という複雑な機構のなかにいることに対し腹を立てていたようだ。もし社会というものがなければどんなに楽だろうかと、コニャックの匂いを嗅ぎながら一瞬ぼくは深い吐息をついたのだ。(上.293)

 この年の八月と九月はそれまでぼくが体験した最も辛い二ケ月かもしれないし、しかもその辛さの原因が、女中が暇を取ったという他愛もないことであるだけ、なおさらやりきれなかった。いっそ悩む以上、資本主義か共産主義か、とか、神は存在するか、とか、何かもうすこし格式の高いことを苦にするのならどんなによかったろう、という感想が浮んだくらいである。(下.76)

が、そのすぐあとで浮んで来た考えは思いがけないもので、ぼくをはなはだしく驚愕させることになった。それは、女中という名の奴隷によって成立していたのがいわゆる市民的家庭ではないか、という重大な疑惑なのである。ぼくは最初、そんなことはないと否もうとした。健全で着実な市民社会の基礎が、実は奴隷の労働であると見なすのは恐しい冒瀆のようで、とても堪えられなかったからである。〔略〕要するに市民社会とは奴隷のおかげで存立していたものではないかという根本的な疑念が湧いて来た。(下.91-2)

「その『告白』のなかに〔略〕時計に関する二つの注目すべきエピソードが記されています。一つは、下宿の女中で彼の終生の伴侶となったテレーズに時計の読み方を教えようとして、いくら努力しても駄目だったという話で、ルソーはこのとき明らかにテレーズの無知を愛し、讃美しています。いや、羨んでさえいるかもしれない。第二は、その数年後、パリを去って隠遁生活にはいったとき、もう時刻を知る必要はないんだと思い、有頂天になって時計を売ってしまう話であります。それを売り払った瞬間こそは生涯における最も幸福なときであった、とルソーは述べていました。〔略〕売り払われた時計は、市民生活の秩序と原理に対する彼の反感を、この上なくあざやかに示しているのであります。事実、彼は市民社会に生きながら、市民社会を嫌っていました。市民であることを誇りとしながら、市民であることを逃れたいと願っていました。野蕃人の自然で素朴な状態に熱烈に憧れていた彼にとって、時計を読めない、しかし美しくて優しいテレーズは、野蕃人の美徳を保証するものにほかならなかった。ルソーは自然的人間と市民的人間を対立させました。そして……両者を何とか調和させようという企てに生涯を費やしたのであります(下.186-7)

 ここで職業の自由の話に戻ることができるわけだが、ぼくはどうやら、他人がその仕事をしている限りなら、自衛隊という一種の軍隊があってもいっこう差支えないと考えていたらしい。そして、しかし自分がその軍隊に直接かかわりを持つのは厭だと、あのとき直感的に判断したものらしい。〔略〕自分は通産省の仕事をしたいからこそこの官庁にはいったので、何も軍隊の資材の買付け係になりたくてはいったわけではない。どうもそんな気持だったようである。それは比喩的に言えば、国家にとっては対外的には軍隊という厭なもの、対内的には裁判所とか刑務所とかいうこれも厭なものがどうしても必要なことを認めていながら、そのくせ自分が看守になったり刑務所長になったりするのは御免こうむるという感じに似ているのではないか。我儘だとかエゴイズムだとかいろいろ悪口は言われるかもしれないが、厭なものはやはり厭なのだからそういう自由は認めてもらわなくては困る。言葉にすれば大体そんなふうになることを、ぼくは無意識のうちに前提としていたような気がしてならないのである。(下.248-9)

「国家という別の要素がはいるから、話が厄介になりますがね」
 とぼくは答え、
「いや、かえってすっきりするかもしれないな、そのほうが。だって、市民社会というのは発生的にも、そのあとも、ずっと近代国家のものなんだから、イギリスだって、フランスだって。アメリカもそうでしょう。そういう実際的な土台をぬきにして考えるのは、やはり間違いでしょうね」
(下.252)


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by no828 | 2013-06-19 16:34 | 人+本=体


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