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思索の森と空の群青

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2013年 12月 07日

一次情報にしか価値をおかない——高野秀行『怪魚ウモッカ格闘記』

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高野秀行『怪魚ウモッカ格闘記——インドへの道』集英社(集英社文庫)、2007年。87(742)

版元 → 

文庫オリジナル


 インドの謎の魚「ウモッカ」を探す旅、というより、見つけ損ねる旅です。“あ、結局見つからなかったのね”という感想を正直抱きましたが、見つけられなかった、というのも1つの結論ですし、それを書いておくことにも意義があると思っています。こうするとうまくいく、うまくいった、というのはもちろん論として立てられますが、こうするとうまくいかない、も論として立てられてよいでしょう。研究論文では、前者が多く、後者が圧倒的に少ない。ここから出発してここを通ってそこへ行こうとするとうまく行かない、と論じて、「ここから先、行き止まり」の標識を立てることにも意義があると思います。「ここから先、インドへの道、行き止まり」のように。

 探し物の基本その一は、「一次情報にしか価値をおかない」である。(28)

 研究は、research すなわち re-search すなわち もう1度探す。「探し物の基本」は、研究にもあてはまるでしょう。

「ウモッカはすごいですよ。もし見つかればシーラカンス以上の世界的大ニュースになります。もしかしたら戦争も一時的に止むかもしれない。未知の巨大生物が発見された! なんて聞いたら、『あ、オレたち、なんで戦争なんかしてるんだろう?』って思うかもしれない。我にかえるっていうか。そういうパワーをぼくはUMA、特に今回のウモッカに期待しているんです
 私はこれを聞いて思わず胸打たれてしまった。
(37)

 まず、やるべきことは「現地語学習」である。
〔略〕あくまで最低限、つまり「その言語だけでなんとか生活ができる程度」の会話力が目処である。
〔略〕
 私も現地では通訳を使うつもりではいる。でも、通訳を二十四時間拘束するわけにもいかない。
 それに、通訳は諸刃の剣だ。通訳というのは、長く使われればそれだけ日銭が稼げる。だから、何かを探す場合、自分のところにたくさん情報が集まるように操作することがあるのだ。彼の周辺で「ウモッカらしき魚がいる」という情報が集まれば、私たちは彼の村や町、あるいはもっと狭く、彼の親族や仲間のところに張り付くことになる。そうすれば、彼はどんどん儲かる。
 また、通訳やガイドというのは、けっこう現地では「異端」であることが多い。村や共同体で異端だからこそ、外国人と付き合うという人間が少なくないのだ〔略〕。
 そんな場合、通訳は他の現地人から快く思われて〔い〕ないので、情報が得られない可能性もある。
(85-6)

 ならば、まずウモッカの絵を見せて「これ、知ってます?」と訊ねて回るのが常道だろう。誰でもそう思うが、そう簡単にはいかない。
〔略〕絵を見ればそれが何か判断できると私たちは当たり前に思っているが、そんなことはない。それは私たち日本人や他の先進国の人間が学校教育で習っているからだ。
 途上国に生まれ育ち、学校へもあまり行って〔い〕ない人は、二次元(平面)の絵から三次元(立体)の物体を読み取るという訓練をしていない。
(98)

 ジェナさんに聞いて驚いた。「インド人は伝統的に海の魚を食べない」というのだ。
 ナマズやコイといった川魚の名前はオリヤー固有の言葉がある。だが、海の魚は食べないがゆえに名前がなかったらしい。
〔略〕
 ここで私はピンとくるものがあった。
 では、海魚を捕らえて生業にしている漁師というのは一体どういう存在なのか。
〔略〕
 一般人が決して口にしなかった海魚を食べ、今でも一般人が絶対口にしないサメを食べる。そんな人々はカーストが低いどころでは済まないのではないか。
「ノリヤ(ウモッカタウンの漁師)は不可触民〔アンタッチャブル〕じゃないのか?」と訊いたら、ジェナさんはしぱし沈黙したあと、「そうだ」とうなずいた。
〔略〕
 つまり、一般人は漁民の暮らしを知らない。漁民の村にも簡単に足を踏み入れない可能性が高い。
〔略〕
 ということは、漁民がすごく珍しい魚を日常的に捕まえて食っていても、外部の人間は全然気づかない可能性が高いということだ。
(129-30)

 やっぱりインドになんとか入国するしかない。何か手はあるはずだ。
 ……と、話は元にもどる。失恋した男がどうしても諦めきれず何度も電話やメールをしたり、しまいにはストーカーになってしまう心理にもよく似ていた。それは非常識だからとか非社会的だからではない。
「世の中頑張ればなんとかなる」「努力したものは報われる」「真心は必ず通じる」というふうに子どもの頃から学校や家庭で、長じては社会人になってからも常に職場や仕事先で教えられているがゆえにそうなるのである。常識や社会道徳にとらわれているからこそ起こってしまうのだ。
(214)


@研究室

by no828 | 2013-12-07 19:01 | 人+本=体


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