2014年 02月 13日
前回のエントリから2週間ほど空いてしまいました。そのエントリの内容を書き終えて、新たに考えるところもあり、翌日に書こうと思ったのですが、それが果たせずにいまに至ります。今回はそれを書きます。頭のなかにずっとありました。 「実務家」と「研究者」との分離についてです。 わたしの専門分野——教育や哲学ではないほうの。わたしは教育-開発-哲学の三幅のなかにいます——では、研究者=実務経験者、研究者=元実務家、といった相貌が色濃くあります。わたしはその位相からは抜け落ちます。わたしはいわば研究者=研究者です。そのため、肩身が狭く、分野の共通理解(=多数派理解)に乗り切れていないところがあります。しかし、そうした研究者=研究者という位置も重要なのではないかと思うわけです。が、それは単に、研究者=研究者である自分を正当化したい、自己正当化したいだけなのかもしれない、という疑いもないではありません。自己正当化は正当化の名に値しないと思います。 その疑いから展開したのが、わたしは本当に“研究者=研究者”なのか、という問いです。 開発においては、わたしは実務の経験はありません。しかし、教育においては違います。現に、大学や短大や専門学校の教壇に立っています。教育の実務に携わっています。教育の研究をしながら、教育の教育をしています。(逸脱しますが、“教育の教育”は自己再帰性の高い・強い営みであります。「このような教師は“よい教師”なのでしょうか」と言いながら頭をよぎるのは「果たしてわたしはそのような教師なのであろうか」です。“教育の教育”は内省という点で自己鍛錬になります。話を戻します。)教育の研究をするわたしは教育の研究者です。そのわたしはまた、教育の教育もします。その意味で教育の実務家でもあります。もちろん、教育の研究者と教育の実務家とを同時遂行することは困難ですから、教育の研究者であるときと教育の実務家であるときとは異なります。“教育の教育”という自己再帰的な行為にならざるをえないにしても、わたしの教育の研究主題は、教育の内容や方法に直結するものではありませんから、自己再帰性の性質も間接的なものに留まるとも言えます。研究したことを教育に直訳的に活用することもなかなかありません。とはいえ、だからわたしは純粋な教育研究者である、と言いきることもできないように思います。 つまりはわたしも実務家ではないか、ということにいまさらながら気付いたわけです。開発において、ではないにしても、です。実務家であり研究者でもある、という位置を実はわたしも共有している、してしまっているのではないか、その位置からしか話を進めることができないのではないか。 ひとりの人間はさまざまな行為をします。役割を負います。その行為には「研究」も「教育」も含まれ、役割には「研究者」も「教育者」も含まれます。「研究者」と「実務家」とを峻別するのは事実上は無理なのではないか。ここから、だから「研究者」と「実務家」とを分けて議論することも無理なのだ、とするのか、だからこそ「研究者」と「実務家」とを規範上は分けるべきなのだ、分けられないからこそ分けるべきなのだ、とするのか、分かれると思います。後者のほうへ行きたいですが、なぜ後者なのかと問われると、よくわかりません。また、自己のなかで複数の役割を使いこなす感覚もまだよくわかっていません。しかし、建前上、便宜上、理論上、個人内部で「実務家」的側面と「研究者」的側面とを分けるのであれば、わたしの分野の研究者と実務家との乗り入れ状況も別に批判的に言及される事柄ではない、個々人が内部で役割を担い分けていればよい、ということにもなります。しかしそれは行儀のよい、さらに言えば浅薄な意見であるようにも思えて、完全には乗れないところもあります。分けられないものを分けているのだからそこには無理があるはずで、その分離を合理化しきることはできないと考えるからです。が、ひとまずは分けるほうへ(なぜか)行きたい。では、分けたときのそれぞれの役割とは何か。「実務家的」と「研究者的」とは、一体どこがどう違うのか。「実務家だから」と「研究者だから」、「実務家として」と「研究者として」とのあいだで決定的に違うのは何か。そういうことも考えなければなりませんが、その前にもまだ考えなければならないことがありそうな気がしています。たとえば、「実務家として」と「研究者として」という区分がそもそも漠然としすぎているのではないか、「研究者」と括ってもそこには多様な姿勢、多様な立場があるのではないか、別の区分を持ち込んで議論しないといけないのではないか、など。おそらくはこういった点が詰められていないがゆえに、立論が錯綜しています。まとめてみます。 1 研究者であるから研究者として発言する(研究者でしかないから研究者として発言せざるをえない)のがよい。 2 しかし、「研究者でしかない」という立場を純粋に採用することはできない。それはわたしもまた実務家としての側面を有しているからである。 3 ゆえに、採用しうる立場は「研究者であり実務家でもある」でしかなく、「研究者であり実務家でもあるがここは研究者として発言する」という姿勢でしかない。 4「研究者として発言する」という点において、1も3も変わりがない(たぶん)。つまり、この点においてわたしとわたしの専門分野の人びととのあいだに違いはない、あるいは薄い。結局は「研究者として発言する」のであれば、両者は同じである。 5 前回のエントリの「研究者」と「実務家」という単純な2分法は失効する。 そして 6 わたしの「わたしは研究者でしかない」という単純なアイデンティティも崩壊する。 わたしは研究者である、わたしは研究者でしかない、というように、わたしは研究者であることに自分の存在根拠のほとんどすべてを賭けてきました、というより、賭けることができてきました。そこに「として」はありません。それ以外にないからです。実務家というあり方もすぐ近くに存在しましたが、それを選びたいとか選ばざるをえないとか、そういう状況にも(厳密にはある時期から)ありませんでしたから、「研究者」は選択する対象ではありませんでした。そこに教育者=実務家という役割、「教育者」として振る舞わなければならない側面が加わりました。わたしは、その新たな役割・側面とこれまでの自己認識との関係をうまく処置できていないようです。つまりそれは、生活と仕事との関係、“生きること”と“生きるためのこと”との関係が発生したことへの自覚と戸惑いです。講義をすることが嫌なわけではまったくないのですが、わたしはここでハンナ・アレントを思い出しています。 人は「として」生きる以外にないのかもしれませんが、わたしはそれに虚しさを感じます。 といった内容を前回のエントリの翌日に考えたような気もしますが、これで全部なのか一部なのか判断が付きません。内容がまだ整理しきれていないようにも思います。思い立ったら、というか、考え立ったらすぐに書くことの重要性を再認識するとともに、頭に残っていないのならその程度のことではないか、とも思ったりも(少し)しています。 @研究室
by no828
| 2014-02-13 19:46
| 思索
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自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
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