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思索の森と空の群青

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2014年 04月 24日

知識人を導くのは、保守的な精神ではなくて、革新的な精神でなければならない——萩原延壽『自由の精神』

知識人を導くのは、保守的な精神ではなくて、革新的な精神でなければならない——萩原延壽『自由の精神』_c0131823_17355543.jpg萩原延壽『自由の精神』みすず書房、2003年。138(793)


著者の名前の読みは「はぎはら・のぶとし」
版元 → 


 在野の思想家。革新的な、根源的な、という言葉の意味がそれこそ根源的に考えられています。共感する部分がありました。

 ちなみにこの本は、在野を主体的に選択するか、在野を選択せざるをえないか、そんなことをわたし自身が考えていたときに入手したものです。「考えていた」と書きましたが、それは過去のことではなく、いまも考えています、というか、考えざるをえない。


 第九条は一種の「良心的兵役拒否」の宣言にひとしい。
 しかし、ここでわれわれは、「良心的兵役拒否」に伴う「苦役」、さまざまな代替義務をすすんで引き受ける用意と準備を整えてきたが、そのための具体的な方策を講じてきたかという深刻な反省に直面せざるをえない。
 個人の「良心的兵役拒否」を制度的に認めている国々でも、その審査はきびしく、且つこれには「苦役」が伴う。日本の場合は、国家としての「良心的兵役拒否」であり、これを国際社会に認知してもらうためには、たいへんな努力、「苦役」を甘受する努力と、その努力の蓄積が必要となろう。ことは資金面の協力だけですむことではないと思われる。
(5)

 このように、革新的であるということは(それが Radical という英語に対応する表現であることを承認した場合)、言葉の原義からみても、歴史的な用例から判断しても、必然的に特定の世界観や政治思想と直結するものではなくて、むしろ、一つの精神態度、さまざまな世界観や政治思想に対決する一つの姿勢、に関係するものであることが理解される。そして、これに付け加えていえることは、なんらかの意味で、現在の変革を志向する精神態度だということだけである。その「変革」の対象となる「現在」は、資本主義の場合もあり得るだろうし、社会主義の場合もあり得るだろう。しかし、精神態度である革新は、一定の世界観を含むイデオロギーとしての社会主義とは、必然的に結びつかない。(14.傍点省略)

 結局、経験的には証明できない未来についてのヴィジョンをもって、国民に訴えかけねばならない――、革新はつねにこの負い目を背負っている。いや、この負い目は、つねに意識していなければならない。そうすることによってはじめて、革新は傲慢さから救われるのである。「過去」の歴史と「現在」の事実を引き連れた保守の立場は、すべて「既知なるもの」によって、武装しているだけに、「未知なるもの」に頼らねばならぬ革新にくらべて、通例、説得力においてすぐれていることはやむを得ない。(24)

 しかし、政治が本質的に保守的な態度を要求するのにたいして、思想の生命は革新にしか求められない、といってよい。なぜならば、不断の懐疑と詰問によって、絶えず新しい認識の次元を開拓してゆくこと、つまり、「既存のもの」の享受や維持ではなくて、その批判と克服が、思想活動に従事するものの任務だからである。すなわち、知識人を導くのは、保守的な精神ではなくて、革新的な精神でなければならないことになる。(30)

いいかえれば、日本社会における社会党の存在理由について、もっと懐疑的になるべきではないか。もちろん、それらを承認した上で、「それにもかかわらず」と、不退転の叫びを挙げるのが真の社会主義者である。しかし、いまはまず、徹底的な懐疑が必要であり、それを踏み台にしてしか、吉田松陰が示したような革新的な精神は生まれないのではないか、これがわたしの感想である。革新的であるというのは、自己を批判し切る能力と情熱でもあるのだ。(185.傍点省略)

 一九四五年七月といえば、すでにナチス・ドイツは崩壊し、日本の幸福も目前にせまっていた時期である。イギリスの生存を賭したきびしい試煉の日々も、いまや勝利の裡に終ろうとしていた。そこで、戦時の挙国一致内書くをひきいてきた首相チャーチルは、戦争のために延期されていた総選挙をおこない、戦後の時代にのぞむイギリスの民意を問うことにしたのである。その結果は、アトリーのひきいる労働党の圧勝であった。チャーチルのひきいる保守党は、イギリス政治史上に前例を見ない一八〇議席(この時の下院の議席総数は六四〇)という大差をつけられて、惨敗したのである。〔略〕A・J・P・テーラー〔略〕戦争の終結が目前にせまった時、イギリス人の関心は、もはや国際問題からは離れていった。いまやイギリス人の関心は、もっぱら、自分たちの将来の生活のこと、つまり、住宅であり、完全雇傭であり、社会保障の上に注がれることになった。そして、この点についていえば、労働党は、保守党にくらべて、いっそう頼み甲斐のある政策をかかげたのである、と。(195-6)

 書評の場合にひきうつしていえば、とり上げられた書物の著者と主題にたいする習熟度という居住者の倫理に加えて、批評するものもまた同じ主題の追求に参加するという共同作業が、書物(あるいは著者)とのあいだに成立しなければならない。この共同作業があってはじめて、書評にパースペクティブというひろがりや奥行が生れてくるだろうし、評価を下す判断の基準もあたえられることになるだろう。(283-4)

萩原――ただ在野と言っても、それほど自覚的に在野になったわけではなくて、外国から帰ってきたら職がなかったところからはじまって、その後光栄にも三回ぐらい大学からオファーがあったんです。それを自覚的に在野でいるんだということで断ったのではなくて、いま考えると、行っておけばよかったと思っているぐらいです。たまたま、そういうオファーがきたときに、何か非常に忙しい用事があって引き受けられなかったというのが実情なんです。(332)

横山〔俊夫〕――日本だと、森銑三さんとか、何人か……。あの方もやはり、大学から離れたところにおられましたね。
萩原――在野ですね、まったく森さんなんかは。
横山――本当に味のあるお仕事をしておられたけど、それが大学の研究のおもな流れのなかには入っていかないという……どうしてなんですかね。
萩原――やはりイデオロギー過剰だったのかなぁ。
横山――研究する前にどういう形のストーリーになるかというのが、どうも決まっていたような気がするんですね。
萩原――もう結論がわかっているようなところがあるわけですから。
(345)

萩原――それから、〔ジェフリー・〕ハドソンの言った忘れられないアドバイスは、書かなければいけないことは本文で書け、書く必要もないことは注でも書く必要がないと。(351)


@研究室

by no828 | 2014-04-24 17:49 | 人+本=体


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