2014年 07月 03日
養老孟司『唯脳論』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1998年。161(816) 版元 → ● 単行本は1989年に青土社 人間の行動は脳の法則性に依拠するのだから、科学をするにも社会を理解するためにも、出発点は脳なのだ、という主張が展開されています。 「死(体)」の定義の困難あるいは不可能あるいは恣意性について論及しているところがあります。ここに開示されている考えは、養老の著作で繰り返し表明されています。わたしも同じように考えます。元来関心はあり、講義をするためにも考えてきたところがあります。 付記 せめて上半期中に昨年読んだ本(研究関係以外)を記録・整理してアップロードしようと密かに意気込んでいたのですが、無理でした。あと10冊弱です。もう少し昨年分が続きます。 ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場を、唯脳論と呼ぼう。(12) 一般に自然科学者は、考えているのは自分の頭だということを、なぜか無視したがる。客観性は自己の外部に、つまり対象にあると思いたがるのである。〔略〕 脳と心の関係の問題、すなわち心身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰着する、ということである。〔略〕 では、なぜヒトは、脳つまり「構造」と、心つまり「機能」とを、わざわざ分けて考えるのか。それは、われわれの脳が、そうした見方をとらざるを得ないように、構築されているからである。唯脳論は、そう答える。これは逃げ口上ではない。生物の器官について、構造と機能の別を立てるのは、ヒトの脳の特徴の一つである。(30) また、解剖学実習で、「肛門だけ」切り取って重さを測れ、と言われた学生は、よく考えると、往生するのである。よく考えない学生なら、周囲の皮膚を切り取ってくるであろうが、それはもちろん、ダメである。肛門に重量はない。なぜなら、肛門に「実体」はないからである。これはいわば、消化管の「出口」である。(31) われわれの脳は、いつも同じものではない。絶えず変化しているのである。脳が世界を造っているにしても、それはつねに変る。哲学者がそれが嫌で、静止した、永遠の真理が欲しいと言うのであれば、死ねばいいのである。私がその脳を頂いて、保存してさしあげよう。(40) 〔略〕私の意見では、構造と機能とは、われわれの「脳において」分離する。「対象において」その分離が存在するのではない。(44) 私が言いたいことは、死体の定義は、いまだ相変らず、明瞭ではないということである。「機能が不可逆的に回復不能になる点」を死の時点とする。そうした定義を作ってみても、後に述べるように、すでに胎児にすら、プログラム化された細胞死が中枢神経系の中においても存在している。われわれの脳は、ひょっとすると、細胞死によって機能を確保している。その可能性すら、いまでは議論されているのである。いずれにせよわれわれは、この世に生じた時点から、死に向かって、すなわち「不可逆的な機能の喪失に向かって」、一本道を歩いている。右のような死の定義によるとすれば、その一本道の、いつの時点で「死」を定義したところで、論理的には差し支えないようなものである。(45-6) 「脳死を死と定める」場合の問題点は、ここにある。つまり、脳が死ぬことが個人の死であるならば、逆に、脳だけを救えばどうか。個人の生命を救うことが医学の目的であるとすれば、医者が「脳だけを救う」という目的に向かって、努力を集中しないという保証がどこにあるか。(60-1) 教えなければならないということは、計算のような能力には、後天的な部分がかなり含まれている、ということである。言語の研究家は、言語の基礎には、ある構造があるという言い方をする。その構造は、私はじつは脳の中にあると思っている。構造主義における構造とは、しばしば脳の構造に他ならない。もっとも私は、その構造の存在を「前提」にしているわけではない。「教え込まれる」ことと、「基礎構造の成立」とは、同時に起こる過程かもしれないからである。ウィトゲンシュタインに言われるまでもない。(76) 動物の行動は、程度の差こそあれ、合目的的である。なぜなら、行動はそうなる(見える)ように進化してきたからである。脳の進化はその延長線上にある。なぜなら、脳は行動を支配し統御するように進化してきたからである。われわれの脳は、それをついに「目的論」として表明するようになった。(228) @研究室
by no828
| 2014-07-03 20:10
| 人+本=体
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自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
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