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思索の森と空の群青

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2014年 10月 05日

救ってくれさえすればなんでもよかった——ハウス加賀谷・松本キック『統合失調症がやってきた』

救ってくれさえすればなんでもよかった——ハウス加賀谷・松本キック『統合失調症がやってきた』_c0131823_2142988.jpgハウス加賀谷・松本キック『統合失調症がやってきた』イースト・プレス、2013年。21(844)


版元 → 


 松本ハウスの存在は知っていましたが、ハウス加賀谷にこんなことが起きていたとは知りませんでした。幻覚、幻聴、通院、グループホーム、入院、閉鎖病棟、……。そして、復活。


 一九九九年、十二月末。
 松本ハウス結成から八年。
 ハウス加賀谷は、突如としてテレビの世界から姿を消した。
(8)

 ぼくは小さい頃から、自分の正直な気持ちを口にしたことがない子供だった。
 いつも親の顔色をうかがい、求められるであろう、ベストな選択肢を先読みして答えていた。

「バイオリン習ってみる?」
「うん、やってみる」
「水泳教室に行く?」
「それいいね、行ってみるよ」
 良い子でなければいけない、親を喜ばせなければならない、そう思い返事をしていた。
 いつから親の顔色をうかがうようになったのかは分からない。
〔略〕ぼくは、親のプレッシャーをすぐさま感じ取り、良い子にしようといつもしていた。
(16-7)

 当時、ぼくの父さんは荒れていた。
 お酒が入った父さんが、母さんと喧嘩をするようになっていた。〔略〕
 ぼくはその光景を見ていることしかできなかった。〔略〕
 あまりに辛く、ぼくは母さんに聞いたことがある。
「父さんと、離婚しないの?」
 母さんは、諭すようにぼくに言った。
「ママの経済力ではね、あなたを習いごとに通わせてあげる力がないの。潤ちゃんのためなの」
 ぼくは加賀谷家の生命線なんだ。母さんの期待に応えるため、もっと頑張らなければいけない、と思った。
「一流の大学に行き、一流の会社に就職することが、潤ちゃんの幸せになるの」
 それが母さんの口癖だった。母さんの願いの強さはよく伝わっていた。ただ、一流企業に勤めている父さんの姿を見ると、その言葉の意味は分からなくなった。〔略〕
 一流になることが果たして本当に幸せなのか、ぼくには分からなかった。
(20-1)

 両親に対する反抗心は、自分自身に向けられた。ぼくは、親からもらった自分の体が嫌いだった。脳みそも含めて、ぼくという存在そのものが大嫌いだった。
 なのに、世間で認知され、評価されていく。
「加賀谷くん、面白かったよ!」
 そう言ってもらえるとうれしいんだけれども、同時に、こんなぼくを評価しないでくれとも思った。
(100)

 大嫌いな自分を認めてほしいから頑張る。
 頑張ると評価され、認められていく。
 認められるほど、自己否定は強大になっていく。
(102)

 どうしてぼくは、そこまで悪くなってしまったのだろう。
 振り返ると、一つの理由に突きあたる。調子を崩した原因は、勝手に薬の量を調節してしまったことだ。ぼくは、本当にいけないことをしていた。〔略〕
 ぼくのしていたことは、きつい言葉を使うと、「薬物濫用」だ。〔略〕
 個人で分量を変えることは、絶対にしてはいけない。
 今のぼくは、声を大にして言いたい。薬を飼いならせると思ったら大間違い。
(119)

 人を怨む、世間を呪う「負の力」で生きていたぼくは、「負」の恩恵しか授からなかった。
 自分以外を攻撃することで、正当化し、作り上げた自分はもろい。〔略〕
 一人で生きているわけじゃない。人に感謝し、人に喜んでもらおう。
(120)

 ぼくは、救ってくれるものならなんでもよかった。生きるための答えを与えてほしいと切に願った。〔略〕
 なんでもよかった。救ってくれさえすればなんでもよかった。
(136-7)

 季節が変わると、キックさんが電話をかけてきてくれた。
「何してんのや? どうや調子は?」
 電話に出る直前まで、どんよりと落ち込んでいたけれど、ぼくは明るく返事をした。
「大丈夫ですよ! 元気ですよ!」
 心配させてはいけないと思った面もあるが、電話をかけてきてくれたことが、純粋にうれしかったからだ。
 その後もキックさんは、三か月に一度のペースで電話をくれた。
「まあ、季節が変わった頃に電話するのがちょうどええかな思って」
「キックさんの電話で、『季節が変わったんだなあ』って気づくようになりましたよ」
 くだらないことで笑えるようにもなっていった。直接会うことはなかったが、年に四回程度の電話で、ぼくとキックさんはつながっていた。
(168)

 しかし、結局は、加賀谷に何もしてやれなかった。してやれなかったという表現は適切でないかもしれないが、壊れてしまうまで気づかなかったのは事実。起きてしまったことは仕方がない。
 だからこそ、どうすべきか、何をすべきなのか。冷静かつ慎重な判断が必要だった。
 芸人に戻るということは並大抵ではない。舞台に立てば、「外しちゃいけない」というプレッシャーもかかるし、生活時間も不規則になる。
 精神疾患で入院していたとなれば、世間から好奇の目で見られてしまうかもしれない。心ない人が多いわけではないが、いないということもない。芸人という仕事は、加賀谷にとって負担が大きい。
 俺から誘うことはできなかった。
 加賀谷自身から、「どうしても復帰したい」という言葉がない限り、松本ハウスの復活はありえなかった。
(205-6)

 社会の偏見は根深く、なかなかなくならない。
 だけど、ぼくは、偏見がなくなることを期待するより、
 自分がどう生きるかが大事だと考えてるんだ。


 ぼくは、もう一度、ぼくのやりたいことに飛び込んだ。
 現状を動かしたいと思って飛び込んだ。
 正直、後先のことは考えていなかったけど、動くことで、何かが変わることもある。
(230-1)


@研究室

by no828 | 2014-10-05 21:06 | 人+本=体


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