2014年 12月 23日
川上未映子『きみは赤ちゃん』文藝春秋、2014年。45(868) 版元 新刊で購入。良書。 川上本人の妊娠・出産体験の記録。川上の思考――が反映された文章――は、「哲学」という言葉の本来の意味において哲学的で、永井均の本とともに、刺激を受けてきました。そんな川上が妊娠・出産について何を感じ、何を考えたのかが気になって入手しました。とくに気になったのは、出生前診断についてです。35歳の川上は出生前診断とどう向き合ったのか。出生前診断を受ける/受けないという結論よりも、その結論に至る思考の過程、その結論の根拠に関心がありました。 本書は看護学校の講義でも紹介しました。 はじめはそのように、理性からこの本に入ったわけでありますが、それだけで終わったわけではありませんでした。わたしは自分で赤ちゃんを生むことはないし、誰かと生むこと/誰かに生んでもらうことも果たして来るのかどうか、その辺り具体化していませんが、それでも、この本を読んでわたしの内面に到来したのは、非常に温かな気持ちでありました。 ちなみに、文中では息子のことが「オニ」と呼ばれていますが、これはその顔が「おにぎり」みたいだから、です。 というわけで、ぶじに産院も決まって、つわりはあるけどなんとか妊娠も10週をこえたこの時期、わたしたちがどうしようかと悩んでいたのは、「出生前検査」についてだった。 けれども、頭のどこかに、友人のあの話にたいして「そうだよね」と、わたしが本当に思ったその感覚というのはやっぱり残っていて、それがいまでもちょっとだけ暗い気持ちにさせるのだった。 人間が無限に編みだしてゆくすべての関係は、なにがどこに作用したけっか、そうなるのかわからない。誰にもわからない。〔略〕これから自分が生もうとしている人間の、可能性としての加害と被害について考えると、ほんとうにこれ、無限にゆううつになってくるんである。 「野田聖子の人生は、野田聖子の人生だよな」というようなものだった。 わたしの意志で、わたしの都合で、生まれてくる誰かが、いるんだな。(104) わたしがいま胸に抱いているこの子は誰だろう。どこから来た、いったいこの子はなんなのだろう。わたしとあべちゃんが作ろうと決めた彼は赤ちゃんで、わたしのおなかのなかで育ち、そしてわたしのおなかからでてきた赤ちゃんなのだけど、でも、肝心なところ、彼がいったいなんなのか、どれだけみつめても、それはわからなかった。そして、やっぱり彼は、わたしとあべちゃんが作ったわけでは、もちろんなかった。〔略〕わたしはいま自分の都合と自分の決心だけで生んだ息子を抱いてみつめながら、いろいろなことはまだわからないし、これからさきもわからないだろうし、もしかしたらわたしはものすごくまちがったこと、とりかえしのつかないことをしてしまったかもしれないけれど、でもたったひとつ、本当だといえることがあって、本当の気持ちがひとつあって、それは、わたしはきみに会えて本当にうれしい、ということだった。きみに会うことができて、本当にうれしい。(154-5) 目のまえの、まだ記憶も言葉ももたない、目さえみえない生まれたばかりの息子。 いまこの胸に抱いている息子の、わたしは何歳までをみることができるのだろう。 しかしあれやね。親というかわたしというかは勝手なもので、ふだんは「個性」とか「独特の意気ごみとか姿勢」とかを広く善しとしているのに、こういう基本的なこと〔=健診、身長や体重〕に限っては「標準」を強く求めているのだから、なんだかなあ。(199) 小説とか書いて既存の価値観にゆさぶりをかける、とかふだんもっともらしいことを言ってるくせに、この体たらくだよ。自分にがっかりしつつ、さっちゃんに電話をかけて、甥っ子たちがいまのオニの月齢のときの体重をきいて、また心配に。(248) なにが、なぜ、どのように苦しかったり悲しかったり不安だったりするのかを、言葉にしてみることって大事なんだなーとあらためて思う。そうすることで、気づくことがたくさんあるのだよね。(227) だいたい、経済的にも自立していて、夫がいなければならない理由などわたしには1ミリも存在しないのだ。もともと入籍には反対だった(入籍制度、ひいては戸籍制度に疑問があるので)。それなのに、なんでこんな思いまでして男であるあべちゃんと一緒にいなければならないのだろう。大事なことはなにひとつわかりあえない男という生きものと、なぜ一緒にいなければならないのだろう。もう男のご飯など作りたくない。顔もみたくない。〔略〕この時期は、あべちゃんが、というより、男というものが本当にいやになっていたのだ。自分の体験や実感をこえて、世間一般の「男性性」にたいする嫌悪がみるみるふくらんで、それがあべちゃんという個人に逆輸入されるようなあんばいだった。(232) オニがこっちをみている。小さな手をふっている。なにーといいながらオニのそばにいく。抱っこしようと手をのばすと、ウン、といいながらゆっくり立って、一生懸命、歩こうとしている。背をむけて、足を動かして、むこうに一歩を踏みだそうとしている。もう赤ちゃんじゃなくなった。もう赤ちゃんじゃなくなった、オニ。どうかゆっくり、大きくなって。きみに会えて、とてもうれしい。生まれてきてくれて、ありがとう。(288) @研究室
by no828
| 2014-12-23 20:27
| 人+本=体
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自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
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