2015年 09月 10日
村上春樹『シドニー! ワラビー熱血篇』文藝春秋(文春文庫)、2004年。7(929) 単行本は2001年に同春秋 版元 この本を読んだのは今年のはじめですが、いまこうして振り返っていると、日本の現況と重なるところがあって、うなずきながら書き留めることになりました。 そういうわけで、僕らはオリンピックで活躍する代理のアスリートを懸命に応援し、それによって闘争心を代理的に満足させるという、考えてみればかなりまわりくどいことをやっているわけだ。しかし原理的にはややこしい行為ではあっても、表現の方法はきわめて簡単である。大声で叫んで、旗を振りまわせばいいだけだ。(10) 僕もちょっと信じられない。現代のマラソンというのは、ものすごいところまで来ているんだなと実感する。その昔は「四十二キロを人が走る」というだけで人は感動した。今では「こんなひどい季節に、こんなひどいコースを、人がこんなに速いスピードで四十二キロ走る」ということで、人は感動する。これはマラソン競技にとって正しい進化なのだろうか? 僕にはよくわからない。(16) 彼女〔高橋尚子〕はリズムをつかんでいる。というか、リズムがすべてになっている。内在的なそのリズムの中に、自分自身を溶け込ませている。それより上には行かないし、下にも行かない。リズムを損なわないこと、彼女が考えているのはそれだけだ。背中を何かに軽く押されているみたいに、無駄のないフィームで走り続ける。(23) 同時に、彼女の中で何かが溶け始める。静かに、しかし確実に溶け始める。彼女はやっと手を大きく上にあげる。もう一度あげる。まだ笑みはこぼれない。顔はこわばったままだ。でもフェンスに沿って走っているうちに、小さな目盛りひとつずつ気持ちがほぐれていく。客席のいちばん前にいた家族と手を取り合い、抱擁する。知っている人々の温もりを受けて、やっと自分というものが戻ってくる。表情がゆるみ、穏やかな笑みが湧き水のようにしみ出てくる。彼女は両手をあげる。そして何かを叫ぶ。それだけキャシー・フリードマンが深く悩み、傷つき、迷いさまよっていたのだということが、僕らにも理解できる。彼女は誰よりも重い荷物を背中に背負っていたのだ。 でもそれは筋が違うと僕は思う。タチアナ・グリゴリエワ(棒高跳びの選手)は自らの意志でオーストラリアに帰化したのだ。ところがキャシーが代表する人々は六万年も前からここにいた。あとから来たのはヨーロッパ人の方なのだ。自分たちの民族を表す旗を持ち出す権利は彼女にはあるはずだ。権利というものは、自分の手でつかみ取るしかない。誰も「はい、どうぞ」とは与えてくれない。アメリカのマリオン・ジョーンズだって、母親の母国であるベリーズの旗を、星条旗とともに持って走った。(53) 僕のささやかでシンプルな提案は、競技種目を今の半分に減らし、会場をアテネ一カ所に固定してしまうことだ。サッカーとテニスと野球とバスケットボールは種目から外す。言い換えれば、プロのリーグやトーナメントが存在するものは、あえてオリンピックに入れる必要はないということだ。そうすれば大会運営の費用はもっと少なくてすむし、巨大なスポンサー料も必要なくなる。新しい会場の説明も必要ない。あの醜い誘致合戦もやらなくてすむ。アスリートはみんなアテネを目指すことになる。高校野球だって毎年甲子園でやっているけど、何か問題ありますか? ないじゃないですか。アテネはいいところですよ。マラソンだって、常にオリジナル・マラソン・コースでやれる。素晴らしいことじゃないですか。 ここに来てつくづく思ったんだけど、現代のオリンピック・ゲームを推進しているのは、国家主義と商業主義というふたつのエンジンです。この双子の兄弟の力なしには、現代の肥大化したオリンピックはどこにも行けません。(109) 僕が読んだ本によれば、彼〔ピエール・ド・クーベルタン男爵〕は実際にはこう言ったそうだ。 中には「ご苦労さん。ゆっくり休んで」なんて慰め言ってくれる人もいます。でもそれは違うんです。競技者にとって、憐れみの言葉はかけてほしくないものなんです。屈辱をばねにして、次のレースに対してモチベーションを高めていくのが、いちばん正しいことです。負けは負けだし、駄目なものは駄目なんです。ご苦労さんもゆっくり休んでも、ないんです。(190. 河野匡 大塚製薬陸上チーム監督インタヴュー) 専属のコーチを持たないことによって生じる弊害については、有森自身も決して否定はしない。彼女は練習の日程を書いたノートをいつも大事に携えている。左側に日々の達成するべき目標が書き付けてあり、右側には実際に行なった練習が書き付けてある。それが、ロールシャッハ・テストの図形みたいに、左右対称にぴたりと合致することが理想だ。しかし場合によっては、彼女が理想を合わせる前に、理想の方が歩み寄ることもある。 「指導者がいないことのいちばんつらい点は、自信をなくすことです」と彼女〔有森裕子〕は静かな声で言う。「自分が今どこにいるのか、それが正しい場所なのか、そうではないのか、判断をいつも自分で下さなくてはならないということです」 有森裕子に関する一連の引用は、わたしの大学院時代の——あるいは学類から、あるいは現在まで続くのかもしれない——研究にかかる心境と重なるところがあります。生意気な書き方をするなら、よくわかる。そして彼女とはレベルが違いすぎるけれども、わたしもまた走っていたのでした。 @研究室
by no828
| 2015-09-10 18:46
| 人+本=体
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自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
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