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思索の森と空の群青

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2016年 09月 21日

元が同じなのだからそれは移入ではない、と告げる9月のH神

 9月の中旬の入り際に学会大会があり、参加してきました。いわゆる自由研究発表のない、議論を主に据えた学会の大会です。場所はM庫川女子大学、最寄駅はH神N尾、投宿先はU田です。前泊した金曜の夜には、大学院時代の後輩でいまはH庫教育大学に勤めるS口と会いました。
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 今回の大会では、教育学の外部の、いわゆる純粋哲学、その体系としての思想を教育学に持ち込んだときに生じるずれを強く意識させられました。教育を再考する際に——教育哲学を、ではなく——哲学や思想を手がかりにすることはよくありますし、教育を再考するために——教育哲学者の、ではなく——哲学者や思想家の論を検討することもありますが、そもそもなぜ外部を頼るのか、頼らなければならないのか、ということを考えさせられました。しかし、元を辿れば教育学も哲学から分岐していったのだから「外部」ではないか、とも思いました。だとするならこのずれは何なのか。教育というものを考えるためにさまざまなものを受け取ったように思います。
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 全日程を終えた日曜の夜には、学会大会に参加されていたI澤さんと電車のなかやO阪駅での夕飯をご一緒させていただき、研究についてのお話をいろいろとすることができました。たとえば、「哲学」と「思想史」との違いなど。それから、もう少し堅い、近代の、鉄のような概念を使って論じていったほうがよいのではないか、用途の異なる道具を複数持っていたほうがよいのではないか、というご意見も頂戴しました。普段の勤務のなかではこうした研究の話にはなりません。学会大会の存在意義を感じました。ありがたい機会でした。
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 金曜の夜、S口と別れたあと、酔いに任せて投宿先の近くにあったT下一品へ入ってみました(そんな気になったのは、O本先生が学生たちと一緒に行った、という話を以前S口に聞いていたからかもしれません)。T下一品にははじめて入りました。Tくばにもありましたが、行ったことがありませんでした。K府にもお店があるなら素面の状態で味の再確認に行ってみようかと思いましたが、自転車だと少し遠そうです。

@研究室


by no828 | 2016-09-21 21:56 | 日日


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