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思索の森と空の群青

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2018年 02月 16日

ほかの被災者より苦しみが軽いとか重いとか、そういうことは関係ないわ——碧野圭『書店ガール3』

 碧野圭『書店ガール3——託された一冊』PHP研究所(PHP文芸文庫)、2014年。25(1092)

 文庫書き下ろし

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 東日本大震災下の本のあり方、書店のあり方。

173)「それは……辛い経験をされたのね」
 そういう経験をした人とそうでない人と、その後の人生は確実に変わるだろう。沢村のどこか底知れぬ鬱屈というのも、そこに端を発しているのだろうか。
「いや、俺の経験なんてたいしたことじゃない。津波に直接遭った人たちはみんな俺より酷い目にあっているし、もっと凄まじいものを見ている。芙美子さんにしても、津波で家族や財産を全て失い、希望のない毎日を生きている。俺は津波の起こした悲惨さにちょっと触れただけだ。家も仕事もちゃんとある俺が、辛いなんて言える立場じゃない
そんなことはない
 理子は即座に否定した。
あなたも大事な人を喪ったのだし、その人の死にまつわる悲惨な記憶を持っている。それが辛くないはずはない。ほかの被災者より苦しみが軽いとか重いとか、そういうことは関係ないわ
 それを聞いた瞬間、沢村の顔が歪んだ。嗚咽を堪えるように必死で歯を食いしばる。だが、みるみる目に涙が潤み、いまにも零れ落ちそうになり、慌てて右手で顔を覆った。

181)だが、ほんとうに感謝するのは自分の方だと理子は思う。自分がいままで頑張れたのは、亜紀が背中を見ていると思ったからだ。自分が意気地のない行動をとれば、亜紀は自分を軽蔑するだろう。ほかの部下もそうだが、ことに亜紀にだけは軽蔑されたくはない。いまでもそう思っている。

188)悩める余地があるということは、恵まれている状況にある。それに亜紀は気づいているだろうか。どちらかに決められないということは、どちらにもそれなりによい面があるということだ。それを自分で選ぶ権利があるということだ。それに、たとえ仕事を辞めたとしても、彼女には妻として母として生きていくという選択もある。
 自分にはそんな選択する余裕はなかった。とにかく自分を食わせていくために、いまの仕事で走り続けるしかなかった。それを後悔してはいないけど、もっとゆっくり歩むことをしていれば、別の人生というものもあったのかな、と思わないではない

231-2)「そもそもただの本屋が被災地支援をする必要があるのか、という見方もあるわ」
支援が第一目的じゃないです。本屋だから、うちの店で売れそうなものは売るということです。これは商品としても出来がいいし、被災者が作ったというストーリーも付加できます。東京はこれだけ人が多いんですから、それに反応してくれる心優しい人の数も少なくないはず。それを売ってうちの儲けになって、おまけに人助けまでできるなら、最高じゃないですか。それが東京の本屋の在り方でしょう
東京の本屋としての?
そうです。東京には人がたくさんいて、お金もたくさん動く。それがちょっとでも現地に流れるように私たちが手助けする、そういうことだと思うんです。売りましょう。いえ、売らせてください。私がそのフェアを仕切りますから」

251-2)「こうして本という形にしておけば、見たい時にはすぐ取り出せる。だから、安心して忘れることができるんです
安心して、忘れる?
ええ、辛いことにいつまでも意識を向けるわけにはいきませんからね。そこばかり見ていたら、前に進むことはできないし
「ああ、そうか。もしかすると、被災地で震災特集が売れたのも、同じ理由かしら」
「たぶんそうだと思います。それを見ることよりも、それを手元に残しておくことの方が大事なのかもしれない」〔略〕
「だけど、写真ならデータを集めたファイルを残しておけばいいんじゃないの? そちらの方が場所を取らないし、データもたくさん保存できるでしょう?」
データはデータですしね。パソコンがなければ、あるいは停電しただけでも、見られなくなるんですよ。今回のことで、我々はデジタルなものの危うさを嫌というほど体験しましたから

253-4)「本を誰かからもらうって、特別なことだと思いませんか?」
「特別?」
「贈り手は、自分が受けた感動をその人と共有したいとか、自分の考えを相手にも理解して欲しいとか、そういう気持ちで贈るでしょう?」
「ええ、まあ、そうでしょうね」
だから、それを受け取る方にもそれ相応の覚悟がいる、と思うんです。本のように、相手の感情や思考にまで影響を与えるようなプレゼントはほかにはない。本を贈るのはほかのものを贈るのとはちょっと意味が違う、と僕は思ってるんです

263-4)「言葉って強いわね。こうして断片的にいろんな人の言葉を並べてあるだけなのに、それに触発されて自分の中にもいろんな記憶が蘇ってくる」〔略〕
「震災体験というと、もっと悲惨な経験談を集めがちだけど、私たちに身近な話を集めているのがいいわね」
これが東京の震災、いえ、東京でも西の、吉祥寺の人間のリアルな被災体験だと思うんです。〔略〕」
「吉祥寺の被災体験、確かにそうね」
東北の人たちが見れば笑っちゃうようなささやかなエピソードかもしれないけど、ここら辺の人には身近な話だから、自分自身の体験に重ねられると思うんです
 亜紀の言おうとすることは、理子にもよくわかった。
 語られないドラマがある。口に出せなかった想いがある。新聞記事にもならず、ネットにも書かれないささやかな出来事。だけど、その人にはかけがえのない記憶なのだ。
「東京だって、あの震災で影響がなかったわけじゃない。だけど、その時私たちが感じた恐怖や悲しみや不自由さを何倍にもしたものを、東北の人たちは味わっていたってこと。いや、いまでもそれは続いているってことを思い出してもらえるといいわね」
 そう、震災はひとごとではなかったはずだ。年に一度くらい振り返ってもいいじゃないか、と理子は思う。絆という言葉は手垢にまみれた気がするし、強制されるのも嫌な感じだ。だけど、あの瞬間、東北の人たちを案じた気持ち、犠牲の大きさを悼んだ気持ちは嘘ではなかった。ほとんどの日本人が真摯な、一途な想いで東北を見守っていた。それは事実だ。それを思い起こさせることが、結果的に支援に繋がるんじゃないだろうか


@S模原


by no828 | 2018-02-16 21:49 | 人+本=体


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