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思索の森と空の群青

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2007年 09月 17日

研究は逃げ、か?

マザーハウスのイベントに出席するために舞浜に行ってきた。
イベントには、まめぐとちひろと学類の後輩りみも来ていた(まめぐはスタッフ。お疲れさま)。
りみとはこのイベントとは関係のないところで「会えたらいいね」というやり取りがあった。「会えたね」。

イベントは、個人的に大変刺激的であった。

自分の立っているところを揺さぶられた。
研究って結局逃げじゃないか、と私は思ったのである。

「刺激的」の意味はそういうことである。

マザーハウス社長の山口絵理子さんは、私と同い年であり、私と同じように開発や援助に興味を持ち、私と同じようにバングラデシュに行き、私と同じように彼の地で自分には何ができるのかを考えた。

しかし、山口さんと私が決定的に違うのは、実際に動いたかどうか、である。

この違いは私にとってとてつもなく大きく、先に列挙した共通性を無化するに十分である。

山口さんと私は「違う」。

さらにこの違いは、実際には動いていない私の生き方に疑問符を突きつける。

バングラデシュに行き、住み、学び、裏切られ、しかしそれでもあきらめないという生き方。
バングラデシュに生きる人びとの生を現実的に豊かにするという生き方。

私は現実と向き合うことを怖れているのであろうか?
怖れているからこそ、研究に「逃げた」のであろうか?

勿論、私はあきらめたから研究の道に進んだわけではない。
むしろ、実務者としてではなく研究者として、そして教育開発を通じて、そこに生きる人びとの生に何らかの貢献をしなければならないと考えたからこそ研究の道に進んだのである。研究者であるからこそなさねばならないことがあると考えたのである。

少なくとも、そう考えていたはずであった。


実践と研究には、「今のままではよくない」という包括的な問題意識が共有されていると思う。

しかし、である。

研究は実践とは違って、貧窮する人びとの前に食糧を直接用意しない。
研究は実践とは違って、貧窮する人びとの前に現金を直接用意しない。
研究は実践とは違って、貧窮する人びとが自ら食糧を用意できるようには直接はしない。
研究は実践とは違って、貧窮する人びとが自ら収入を得ることができるようには直接はしない。


研究する意味、研究する私の意味が改めて問われた。
問うてくれたのは、山口さんであり、総体としてのマザーハウスである。
記して感謝したい。ありがとうございました。

by no828 | 2007-09-17 18:37 | 邂逅


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