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思索の森と空の群青

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2008年 03月 14日

hana の 誕生日 の意味

雨が降ったり止んだりで気温も高く。

今日は hana の誕生日である。おめでとう。

「おめでとう」・・・その言葉以外の言葉がわたしには見つからない。

友だちの誕生日にどのような言葉を手向ければよいのか、正直わからなくなってきた。
頻繁に会っている友だちならば言葉も見つかるであろうが、そうもゆかない友だちにはどうすればよいのか。
その友だちの状況、その友だちが置かれている状況がわからないわたしには、それゆえにその友だちに向けた言葉を探すことができない。

わたしにはわからなくなってきたのである。

わからなくなってきた、けれど、それでも確実に言えることは、今日は hana のことを思い出したよ、ということである。

わたしにとって、友だちの誕生日を意識する、ということは、その友だちに思いを馳せるということである。その友だちとの思い出を呼び起こすということである。

自分のことに、自分を取り巻く物理的環境のことに意識を向けがちな日々、あるいは離れて生きる友だちのことを自分の意識空間に呼び入れることが少なくなってゆく日々を生きるわたしは、ほかでもないその友だちに思いを至らせるときが1年に1日ぐらいはあってよいと思う。

もちろんふとしたときに友だちのことを思い出すことはある。しかし、意識的に思い出すという所作もあってよい。

「誕生日」には、そのような意味が付与できるのではないか。


先に「友だちに思いを至らせる日は1年に1日ぐらいはあってよい」と書いたが、もしかしたらそれは「2日ぐらい」かもしれない。

というのは、わたし自身の誕生日にも、それをカレーなどで祝ってくれた友だちのことを思い出すからである。

しかしながらそれは、その友だち、誰とも・何とも共約できないその友だちのことを特別に思い出す日、というわけではない。

誕生日は「そのような日」である。



昨日のことも書いておく。

13時30分から2時まで催しが続いた。ここに文章を書いている暇もなく。

13時30分から19時までは、学系の2部構成のイベント。

第1部(13時30分―16時30分)では、今年度で退職される先生おふたりの最終講義を拝聴する。

おひとりは学類時代にそのいくつかの授業に出たことがある先生であった。だから、最終講義を聴きながら、授業に出ていたときのことを思い出していた。大教室の授業で配られた質問カードにはいろいろ書いたし、中教室の授業では直接質問をしたこともある。正面からぶつかったら応えてくれる先生であった。

もうひとりの先生は、これまでその授業に出たことがなかった。聴いてみるとなかなか興味深く(何て偉そうな言い方だ)、授業に出ておけばよかったと少し悔やまれた。

おふたりの最終講義のあとは、第2部(17時―19時)、場所を移しての懇親会。

同期の院生たち、就職の決まった修士課程の後輩たちと話をする。

19時30分からさらに場所を移して研究室の今年度の打ち上げ。

23時ぐらいまでは呑み屋にいたが、たいへんにご気分のよくなられた某先生の主導でカラオケに行く(「連行される」という表現のほうが適切かもしれないが使わない)。

某先生のご気分のよさはカラオケにおいても維持された、あるいは発展された(某先生のご気分のよさを臨場感を添えて記述できるほどの筆力をわたしは持ち合わせていない。そのため、「ご気分のよさ」の内実をここに書くことはできない)。

終わったのは結局2時。


今朝はそういうわけで徒歩にて大学に来たのであった。

by no828 | 2008-03-14 18:26 | 友人


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