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思索の森と空の群青

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2008年 04月 13日

自信は過信で、だから謙虚にはなれないのか

雨 のち くもり。


昨日、上京。

11時30分からオノレ・ド・バルザック原作の映画「ランジェ公爵夫人」@神保町・岩波ホール。

感想は別記したいが、2時間だと思っていた上映時間が2時間20分で14時30分からの研究会に遅れそうになったことは特記しておきたい。

13時50分に映画が終わって急いで虎ノ門に移動して某省で某研究会。ご飯を食べている時間はなかった。

研究会では、空腹に耐えながらおふたりのご発表を拝聴する。ムスリムの教育について、ウガンダの初等教育普遍化政策について。

発表内容にはなかなか納得できなかった。

前者については、研究の枠組み、すなわち研究の目的・問題意識・方法/課題・(暫定的な)結論がよくわからなかった。
後者については、研究で前提としている思想、というよりも、自らが特定の思想に依拠して物事を言っているという自覚の欠落、その知的態度が支持できなかった。

後者については、発表者とわたしの思想の違いであるから、納得できる/できないの位相で論じるべきものではないのかもしれない。

そのとき、どうするか。立場の違いを越えて話をするための共通言語は何か。

発表を拝聴しながらそれを考えていたが、答えは見つからなかった。

研究会は18時過ぎまで。そのあと呑み会。21時頃まで。ここでも「共通言語」について考えさせられることがあった。帰りの電車でも引き続き「共通言語」について。


「共通言語」のほかに、「自信を持つ」と「謙虚である」をどう両立させるかも考えていた。

研究会では質問もしたが、それは自分の問題意識、立ち位置、立場からなされたものである。その問題意識、立ち位置、立場を譲ることはできない。それには固執せざるをえない。

こだわらない、という選択肢もあろうが、現時点ではこだわってゆきたい。

なぜか。

それは、その問題意識、立ち位置、立場にアイデンティファイできるようになったからであり、それは少なからず、自分の問題意識、立ち位置、立場に自信が持てるようになってきたからでもある。そのように思う。

自分がいま立っているところからならこういうことが言える、そこからならこれは言わなければならない、そういうことがある、出てくる。

それを言う。

しかし、それを言った瞬間に、そしてその言明への応答を聴く瞬間に、「過信」という感覚に襲われる。

自分の立ち位置を信じきってはいまいか。

自信?過信?違いは何だ?

自信?謙虚?どこでつながるんだ?

自信が持てつつある自分の立ち位置にこだわりつつも、謙虚であるためにはどうすればよいか。そもそも「謙虚である」とはどういうことか。

わからない。だから考えた。考え始めた。


今日。

研究室に行く前に、値引きされていたシャツ2枚と春用のカーディガンを購入する。

研究室ではまず2日分の新聞を読み、貯まった新聞の切り抜きをし、それから「新自由主義」の勉強をする。

21時頃まで。


@自室

by no828 | 2008-04-13 23:22 | 思索


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