思索の森と空の群青

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カテゴリ:人+本=体( 1059 )


2018年 06月 27日

それは一度、力を得ると、世界を見る目が変わってしまうからだ——万城目学『偉大なる、しゅららぼん』

 万城目学『偉大なる、しゅららぼん』集英社(集英社文庫)、2013年。80(1147)

 単行本は2010年に集英社

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 偉大なる空想の世界。しかし、というつなげ方でよいのか自信がないが、教育は何のためにあるべきか、教育は何に気をつけなければならないかを考えさせられた。
 
 追記;本書が2017年最後の本となった、ことにあとから気づいた。80冊か。研究の文献を含め、読む量が減ってきている。まずい。読み方も変わってきている。これは仕方がないか。「読む」とは何か、かつてよりも考えて読むようになった。

219)「お前はこれからどう生きるつもりだ? 棗家の男としてここで朽ち果てるのか、それとも外の世界に飛び出すのか。もしも、僕とお前がこの町を出たときは、千年だか二千年だか続いてきた、くだらない戦いが終わる。両家の跡継ぎが、いなくなるわけだからな。みんなが呪縛から解放される、お前の妹だって解放される」

491-3)「どうして飲まない。それを飲んだら、お前の親父さんが助かるかもしれない。ここを出なくて済むかもしれないんだぞ」
「別に何も起こらないかもしれない」
「それでも試す価値はある」〔中略〕
どうして、僕がこれまでずっと力を避けてきたかわかるか? それは一度、力を得ると、世界を見る目が変わってしまうからだ〔中略〕僕はこれから、もっと絵がうまくなりたいと思っている。陶芸も、彫刻も、もっとうまくなりたいと思っている。美しいものにもっと触れたい、近づきたいと思っている。でも、これはちがう。この力は自然じゃない。その源は自然の中にあっても、決して人間の世界とは相容れない。勝手に相手の心を操ったり、下らない喧嘩の種になったり、全然美しくない。だから、これまで何があっても、僕はこの力を避けてきた。世界を見る目が変わることが嫌だったからだ。一度失ったら、僕の自然は二度と戻らない」〔中略〕
「つまりお前は立ち向かわないということだ、日出淡十郎」〔中略〕
「今朝、清子さんがこの場所で、校長と戦うと言ったとき、お前は真っ先に賛成した。それなのに、自分が犠牲になるとわかった途端、今度は真っ先に降りると言うのか? 道場でお前は、自分の力で未来を切り拓く、と言った。それは自分の未来だけを守って、残りは全員見捨てて逃げていく、という意味だったのか?〔中略〕別に俺は、お前の家がどうなろうと何の関係もない。勝手にしたらいい〔中略〕でも、ひとつだけ言わせろ。どれだけこの力を憎んだところで、俺は一生、力を捨てることはできない。それでも、俺にはやりたいことがある。だから、そんなふうに、自分だけがきれいでいるみたいに言うな。他の力を持った人間を、汚れたみたいに言うな


@S模原

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by no828 | 2018-06-27 22:17 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 27日

うまく言えないけど、文化祭の準備、楽しいな、って思ってさ。普段話さない人と話すし、よく知らない人が実は凄かった、って分かったり——似鳥鶏『いわゆる天使の文化祭』

 似鳥鶏『いわゆる天使の文化祭』東京創元社(創元推理文庫)、2011年。79(1146)

 文庫オリジナル

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 舞台は高校。時間差攻撃ミステリ。英語タイトルは KILROY WAS HERE

82)委員長の目元には、どことなく自嘲的な色が浮かんでいた。「だけどこういうの、くだらない、って言って参加したがらない人がいるのも仕方ないって思ってたの。考え方は人それぞれだから、押しつけたくなかったし。ただ、衣装は……〔中略〕衣装が足りないって困ってたらさ、横で黙って見てた井口さんがいきなり、『私が作る』って言ってくれたの。あたしあの人と接点ないし、普段、ほとんど喋ったことないから……おとなしい人、ぐらいにしか思ってなかったけどさ
 頷く。僕もそうだ。
あの人、すごい頼れる感じで言ってくれたの。『絶対間に合うから任せて』って。なんか、完璧に自信あります、って感じだった〔中略〕なんか、それ見たらさ、あたしが知らなかっただけで、この人実はけっこう凄い人だったんじゃないか、って思ったんだよね。クラスじゃ目立たないけど、手芸部じゃエースなのかもね
 僕は笑った。「そうかも。一週間で六着を『絶対できる』って言いきれるのって、凄いよね」
「凄いよね」委員長も笑顔になった。「……だからさ、なんかうまく言えないけど、文化祭の準備、楽しいな、って思ってさ。普段話さない人と話すし、よく知らない人が実は凄かった、って分かったり

166)確かに伊神さんがいれば心強い。事件好きのあの人なら、喜んで捜査してくれるかもしれない。だが、それでどうなるのだろう。いくら伊神さんでも、五日で犯人を当て、しかも動かぬ証拠を突きつけることができるとは思えない。それだけではない。もし捜査が失敗して、事故が起こったらどうなるか。僕一人が責任を負うならいいが、解けなかった伊神さんにも責任の一端を負わせることになってしまう。僕が勝手に頼って呼びつけた伊神さんに、だ。

171)「一つ、断っておきますが」先生は言った。「中止するというのは、あくまで私の判断です。君はたぶん、そこまでになるとは思っていなかったでしょうが、教師というのは、君が思っている以上にトラブルを怖がるものだと思ってください
 先生は僕の目を見たまま言った。どうやら、気を遣ってくれているらしい。ありがたさに、自然と頭が下がった。「ありがとうございます。……大丈夫です。そのつもりで来ましたから」
 僕の言葉を聞いた先生は、なぜかすっくと立ち上がった。それから僕の方に手を置いた。
君が教えてくれなければ事故になっていたかもしれない。そうすれば、我が校の文化祭は来年からの開催も怪しくなっていたでしょう。君は我が校の文化祭を護ってくれたんです。……そう考えてください
 肩に置かれた手に力がこもった。いつも無表情で、熱意どころか感情すらあるのかないのか分からない、という評判の長谷川先生は、意外なほど力強い手をしていた。


@S模原

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by no828 | 2018-05-27 22:35 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 15日

ぼくたちはうなずく。うん、ちゃんと他人の作品を見てへこめるって大事だよね、と思う。そういう子がいつかしっかりと物を描けるようになる——大塚英志『大学論』

 大塚英志『大学論——いかに教え、いかに学ぶか』講談社(講談社現代新書)、2010年。78(1145)


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 教育の、大学の、教員の、そして本務校の入試の、それぞれのあり方について考えさせられた。215ページにとてもよい話が書かれている。初読で目頭が熱くなった。ここにアップロードするために再読した。やはりぐっときた。

 64ページ、大塚がその件について発言していたことは知っていた。その裏でなされた大塚の判断を——大塚がはじめて書いたというのだから当然なのだが——はじめて知った。厳しすぎる、あるいは誠実すぎるようにも感じるその判断の吐露の前でわたしは動けない。

16-7)「いかに描くか」を教え「何を描くか」を教えないのは別に彼らの自主性や個性を尊重しているからではない。「いかに描くか」を身につけなくては「何を描くか」など見つけようがないからだ。〔中略〕「描きたいもの」あるいはもっと明確にいえば彼らが物書きとして「描くべきもの」は彼らの内にいまだ埋まっている。それを掘り起こすこと、そして掘り起こしたそれを制御し、「表現」としてアウトプットすること、その二つを行うためには「方法」が必要だというのがぼくの考えだ。〔中略〕「方法」のみを教えることが「描くべきもの」を逆に導き出すことが表現にはあるのだとぼくは思う。 ※傍点省略

18)ぼくは以前、金原ひとみが話題となった時、彼女の小説をそれよりずっと前、同人誌で目にしていたことのある老批評家が、こういう自傷行為をカミングアウトするような表現をせざるを得ない幼さや危うさを抱えたままの作家を不用意にビジネスにしてしまう文壇の現状を小さなコラムで諌めていたことを読み、深く感銘したことがある。確かに表現の世界ではこの「不安定さ」こそが「売り」になることが少なからずある。しかし、それは不幸なことだし、「不安定さ」を「売り」にした結果、自らを壊していった作家やまんが家をぼくはたくさん知っている。それは「見せ物」としてはおもしろいかもしれないが、「ものを描く」こととは自らを壊すことだという見解には同意はできない。だからといってぼくはビジネスライクに割り切って描け、といっているわけでもない。「描く」ためには自分の内側にあるそれを掘り起こし、時には暴走させることさえ必要だが、一方で、それを最終的に「表現」として出力させるためにきちんと制御できなくてはいけない。「方法」はそのためにこそ必要なのである。 ※傍点省略

40)大切なのは神の宿る「細部」と神の宿っていない「細部」があって、ぼくがアカデミズムの論文や、あるいはサブカルチャー系の評論のいくつかをひどくつまらなく思うのは、「神」の宿っていない「細部」についていくら語ったところで、それはただの蘊蓄にしかならないからだ

53)「抑え難いもの」が書くことでより「抑え難いもの」として明確な形をとることがありうる。そこで初めて、「いかに書くか」が問題となる。つまり「小説の書き方」とは、「作家になる術」としてではなく、人が抑え難いものをどう形にしていって飼い馴らすか、という技術として、まずあるべきではないのかとぼくは考える。

55)ぼくは「近代」なんて少しも終っていないじゃない、と思うのはポストモダンを口走る人々ほど「私」や「私語り」というモダンの流儀に固執しているからだ。

57)ぼくは古典的な物語論を「書くこと」の教育に結びつけようとするのは、人の内にある厄介なものを飼い馴らす術として「物語」があると考えるからである。

61-2)彼ら彼女たち〔=学生たち〕が抱えているのもつまりは「私」とは何か、という時代に一貫してある、ありふれた、そして根源的な問いだ。彼らはこの国の近代小説をつくった明治の作家と同じ問いの中で迷い、そして「私小説」ではなく、「近代文学」のもう一つのオプションとして一編の「まんが」を産み出す、と言ったら流石に言い過ぎかもしれないが。

64)初めて書くことだが、ぼくたち夫婦には子供がいない。そういう人生を選択した理由の一つは、あの夏の日にある。宮崎勤の事件について流されるように発言し、国選弁護人とともに一審に関わるようになるなかで、この後、自分が子供を持つ人生を送ることは少なくともあの小さな四人の子供に対してだけは筋が通らない気がしたのだ。だからあの日、ぼくの家の電話が鳴らなければもしかするとぼくは彼ら彼女らの親だったのかも知れない、とロボットアニメのヒロインと同じ名前の女子学生が研究室の前の廊下で無邪気に友人たちと笑いころげる姿を見て思う。実際、彼ら彼女らは、例えば萩尾望都の『11月のギムナジウム』を授業でぼくが扱い、家に帰って学生がその話をしようものなら、母親が萩尾望都全集をいそいそと差し出す、そんなパパとママの娘や息子だ。親たちの年齢を聞いてもぼくと同世代である。ぼくが彼らの「親」ではなく「先生」になったのはつまりはあの二〇年前の夏の日が分岐点だったということになる。

80)「つくることをつくる」の中には「お金をつくる」ことも含まれている。そのことに気づくか否かがプロとアマの一番、本質的な分岐点だ。

105-6)三浦の本〔=三浦展『下流大学が日本を滅ぼす!』〕にせよ、週刊誌の類で目にする議論にせよ、大学生の質の低下を嘆く大学の教員の質をもっと問題にすべきだ。少し前なら旧制高校や岩波的教養を基準に「今の学生はバカだ」と主張したがったのに対し(それもつまらない基準だけど)、現在ではそもそもが六〇代の教授はいわゆる全共闘世代で学生時代の大学は休講だらけで、しかし議論と政治は大好きなまま学者となり、その下の五〇代前後は「おたく」や「新人類」で学問とおたく的ウンチクを混同し、それ以下の研究者はそれが大学の教員だ、と思っている、という教員の質の低下の負の連鎖をなんとかしろよ、と思う。ぼくのようなアマチュアが教員になるのは世も末だが、でも、三浦の議論やそれに乗る人々は自分たちの「バカ」さ加減をかえりみることはないのだろうか。

125-6)そもそも徹底した人嫌いのぼくが本当にかろうじて社会で生きてこれたのは、フィールドワークで初対面の人にアポなしで話を聞く、という民俗調査の経験があるからこそで、それがなければ多分、大学を出てどこかの時点で引きこもっていた、と思う。ぼくは今でも人に会うのも関わるのも本当に嫌いだが、「人に会う」というモードがぼくの中で民俗調査の時に否応なくつくられたのでどうにか社会で生きていける。「他者に対して開かれる」などと批評用語でいえばもっともらしいことを民俗調査では地をはうように繰り返し身につけなくてはいけないのだ。

126-7)民俗学が半端な形で直接、行政と結びついて「役に立つ」ことにぼくは批判的だ。別の場所でも書いたことだが民俗学は十五年戦争下にナチスドイツの民俗学を模倣して国策科学として学問化した歴史をもつ。戦後は柳田民俗学から分離した岡正雄の民族学が一転してGHQの占領政策を支えた。また脱線するけど岡や江上波夫たちが有名な「騎馬民族説」をとなえた座談会が発表された民族学会の機関誌『民族学研究』の発行元はGHQの下部組織、CIE(民間情報教育局)である。現在の民俗学と行政の接点はせいぜい観光イベントのアドバイザー的ポジションぐらいだ。石原慎太郎に主導された都立系大学の改革は人文科学系の学問を政策科学化できるか否かを基準に切り捨てていったが、だからといって政策に「役に立つ」という考え方を「一般教養」系の学問が付け焼刃で迂闊に持つとかえって厄介だ。

159)対立した学生同士の間に別の学生が入り、話し合う、ということが何度かあったようだ。いっしょにものをつくるなんて「仲良く楽しく」というわけにはいかない。仲良くなくても楽しくなくても、だからこそ一つの仕事を「気持ち」を乗り越えてやっていくことが必要なのだ。教授会でも先生たちは表向きの対立を皆避けたがる。問題が問題としてどうしようもないところにくるまで放置する。きちんと対立した上で問題点を明確にし、よりいいカリキュラムをつくる、という当たり前のことを「先生」でもできない人が多い。しかし、学生は、自力で問題を乗り越えようとしている。

173-4)一つの言語から常に他の言語に「翻訳される」ことを前提として書く時、〔中略〕常に「普遍的であること」を自身に強いている、というようなことを柄谷〔行人〕は話したのだが、翻訳可能性を実際に生きることでより新しく普遍的な何かが生まれる、という考え方はぼくにはとても納得がいった。

198)特に高校で始まりつつある「まんがやアニメを教える試み」がぼくにとって興味深い。そこで始まっているのはまんが家を養成するために「まんがの作り方」を教える教育ではなく、「まんがのつくり方」を教えることで何が教えられるのか、という試みだからだ。 ※傍点省略

204)「まんがの教え方」を考えることでもう少し広いもの、文科省が思いつきで現場に強要し、そして放り出した「総合学習」などというものの本当は向かうべきだった先の一つはこのあたりにあるのかも知れない、とふと思いもする。だからそういう場所にやはり身を置きたい、と思う。そして何年か先、ぼくの教え子たちがまんが家とは違う人生を選んだとしても、こういう場所に「先生」としていてくれるといいな、と思う

206-7)AOというとレベルの低い学生が入ってくる諸悪の根源のように言われていて、AOを廃止することが一流の私学の証みたいな空気があり、関西圏でも、とうとうどこどこの大学がAOを始めた、みたいな言い方で、さも苦渋の選択をしたように語られる。けれどぼくにとって、AOは多分、「まんがを教える大学」にとってはベストの入試だと思う。というより、AOはちゃんとやればいい入試になる、とずっと思っていた。〔中略〕短い面接ではうまく話せない子たちの「ことばになりかけの手前のもの」に耳を傾けることもできる

215)まず、一時間、机の上にずらり並べた絵本をみんなで見ようね、と受験生に言う。その姿を観察する。雑談に流れてしまってもいいと思ったから私語はOKと伝えた。しかし、誰もしゃべらない。黙々と他の受験生の作品の頁をめくる。頁をめくる手がとまり見入ったり、あるいは蒼ざめて打ちひしがれている子が幾人も眼に入る。ぼくたちはうなずく。うん、ちゃんと他人の作品を見てへこめるって大事だよね、と思う。そういう子がいつかしっかりと物を描けるようになる。そして最後に着席させ、一人一人、自分の作品の最後の頁を開き(そこには主人公のアップの絵が必ずあることになっている)、それをみんなに見せて自己紹介をさせる。それぞれが、あ、あれ描いたのはあの子なんだ、と確かめる。作品を覚え、そしてその人に至る、というのはぼくたちの世界の正しい「他者」との出会い方だ

219)今回の「伝説」を一つ紹介すれば、落書きノートの中にうっかり中川翔子のグラビアの切り抜きを大量に挟んだままにしていた女子がいたことだ。それまでは面接でしどろもどろだったのに「ショコタン好きなん?」と多田由美さんが聞くと(という会話そのものがまんが業界的にシュールなんだけれど)、水を得た魚という例えが本当にぴったりのように嬉々として話し出す。よく聞いていると中川翔子の脚が他のアイドルよりちょっと短くてその股関節が好きだということをいっしょうけんめいに説明しようとしている。それで面接はA評価である。何故かというと、まんが家で絵の上手くなる子は必ずアイドルの話をすると頭の骨の形が、とか、鎖骨がね、という話をするからだ。そういうふうに人のカタチにちゃんと「萌え」て、それを表現したいと思う子は「こっちサイド」の人間である。まあ、ぼくは彼女が入学してきたら「中川翔子の話がウケて合格した奴」というキャラだてにしておもしろがって、学生たちはまた先生は思いつきで入試をやっていると呆れるのだろうが、半分は嘘ではない。もう一人、「犬まんが」について滔々と語りつづけた男子もいて、なんとかいう種類の犬はまだまんがの主人公になったことはない、ということでそれを描きたい、と語った。ピンポイントすぎる、とは全然思わない。描くことにまず小さなピンポイントがあればそこから世界は広がっていく。合格。 ※傍点省略

220-1)結局、まんが以外の別の表現の方に向いているかもしれないね、という子を幾人か不合格にしたけれど、今回に限っては事務方の示した数字よりやや多めの合格者を出してしまったのは水増しでもなんでもなく、この子をこう育てたらこうなるよね、というイメージが一人一人に湧いてきてしまったからに他ならない。もちろん毎年、なるべくそういう「自分の学生」としてのイメージがつくれる子を合格させてきたけれど今回は特にそれが鮮明だった。受験生が帰った後、受験生たちの世話をしていた助手が、「楽しかった」と口々に言いながら帰っていきましたよ、と報告してくる。

235)千葉〔徳爾〕は柳田〔國男〕の学問や知識ではなく、書庫に引き籠もり、そこから自身の学問を立ち上げていった過程を追体験しようとしている。柳田も、そうしむけている印象がある。だから「疑問とはどう起こすべきか」というノウハウを柳田は説かない。それを自分がどうやって手に入れたかだけを語る

247)誰もが書き、そしてそれを世界に発信できる。そういう時代が、ようやく今、ここにある。やってきたのは散々にいわれたポストモダンではなくて「書くこと」「発信すること」が徹底した機会均等化された「近代」の理念が実現した時代だ。結局、WEBが最後にもたらしたものは「近代」だ。それはこのところぼくがずっと言っていることだ。

248)結果として「まんがを教える大学」で「先生」をやることになったが、そこでぼくがやったことは「まんが家になる勉強」だと学生たちを言いくるめながら、その勉強をもう少し深く掘り下げて普遍的なものの尻尾ぐらいにさわるところまでいけないか、とあれやこれやと実践してみることだ。別に学生たちのモチベーションは「まんが家になること」であって構わないし、そういう期待にはちゃんと応えることはできたと思う。

249)いつかどこかで役に立つ。何故、それでいけないのか。何故、教える側がそう自信を持って言ってはいけないのか、と思う。大学でこの四年間、ぼくが行ったことは若い時からずっとものを書きながら考えてきたことを「教える」という目的の中で再構築する、ということだ。それは自分の思考を「批評」ではなく「方法」として徹底してつくりかえることであった。だから「学問として」ではなく「方法として」ということがぼくの選択だ。


@S模原

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by no828 | 2018-05-15 22:57 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 14日

500円で、買ったのではない。500円で、私は売ったのだ——星野博美『のりたまと煙突』

 星野博美『のりたまと煙突』文藝春秋(文春文庫)、2009年。77(1144)

 単行本は2006年に文藝春秋

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 よいエッセイ。新しいものの見方が示されている。角田光代の解説にも力が入っている。

 206-7ページを読んでわたしは絶句した。「え」という言葉さえも出てこなかった。発言は体験に裏づけられなければならないとは思わない。だが、事実が淡々と記されることによってのみ生まれる強度があることも認めなければならない。

12)移動する者にはする理由が、移動しない者にはしない理由がある。人は故郷を選ぶことができない。しかしなぜそこが故郷なのかを考えると、違う時間軸が立ち上がってくる

46-7)言語が自由な母国に戻り、たった二時間情報の洪水にさらされただけで、私は不機嫌になり、ハッピーでなくなった。旅先で比較的ハッピーでいられたのは、つまるところ私が当地の言語を持たないがゆえに情報の洗礼を受けず、いまそこにあるはずの緊迫から、無知のバリアで守られていたということなのだろう。私が、あるいは少なくない旅行者が、旅先で無責任にハッピーでいられるのは、当地の情報からあらかじめ除外されているからだろう。極論をいってしまえば、情報によって憂鬱になる人間がハッピーでいたいと思うなら、旅をし続けるしかないのかもしれない。でも、そんなハッピーに、どれほどの意味があるのだろう? 私は自分の場所でハッピーになりたい。どうしたらそうなれるのか、庭で日向ぼっこをしながら今日も考えている。

48-9)同時多発テロを考える時に欠かせない伏線は一九九一年の湾岸戦争だが、私はこの戦争の映像を一度もリアルタイムで見たことがない(と平気な顔で書いたところで、恐ろしくなってくる。戦争は、少なくともアメリカが関わる戦争に関しては、リアルタイムで世界中に放映されると無意識のうちに思っているのだ)。〔中略〕この一件以来私の中に、同時に映像を見て衝撃を受けていないから、自分にはこの戦争を語る資格がないのではないか、という奇妙な負い目が生まれるようになった。この湾岸戦争コンプレックスはいまだに尾を引いている。〔中略〕なぜ湾岸戦争を語れない自分が、9・11については偉そうに語ろうとするのだろう? 私はどちらの現場にも立ち会ってはいない。個人的に、両事件のたった一つの違いは、中継映像を見たか否か、それだけだ。つまり世界を揺るがす事件のランキングを中継映像の有無で決めているということになる。だとしたら、「映像を見て衝撃を受けた」というだけの理由で、9・11を語る資格があると思いこんでいる自分のほうが、よほど危ういのではないだろうか。私はいつだって、真実を知らない。いまの私には、同時多発テロが世界や自分に与えたインパクトについて意気揚々と語ろうとする自分よりも、湾岸戦争コンプレックスから抜けられず、おどおどしている自分のほうが、少しは信用に値するような気がしている。

52-3)ファミリーレストランで繰り広げられる不思議な言語世界。日本語の不得手な人間だったらパニックになってしまうだろう。会話というのは、相手の質問が理解できてこそ成り立つものだ。しかしファミリーレストランで問われる質問は、意味がわからない。というより、意味がない。こちらは全部「はい」といっていればいい。考える必要などない。〔中略〕彼らの言葉は、へりくだり、サービスを尽くしているように見えるが、実はそうではない。これはコーヒーですよ、これで揃いましたね、これは千円ですね、これだけいちいち念を押してあなたは「はい」と答えたのだから、当方にはまったく責任はありませんよ、という、誘導尋問形式の責任転嫁ではないかと思うのだ。意味のないことをいい続け、相手をうんざりさせて思考停止状態にし、「はい」をいわせるためだけに膨大な質問を用意しているのではないだろうか? そしてさらに不思議なのは、必要ない時はこんなに話しかけてくるくせに、いざコーヒーをお代わりしようとすると、視界から誰もいなくなってしまうことだ。

66)必死で目をそらそうとしていたが、南米にいる間じゅう、不安でたまらなかった。それなのにイグアスの滝を見に行き、自然の造形物のあまりの存在感に圧倒され、輪をかけて情緒が不安定になっていた。そしてつい国境を渡ってしまい、たまたま入ったレストランで美味しいビーフステーキが出された。救われたと感じた。その店に辿り着き、ビーフステーキを食べるまでには、私だけの物語があったのだ。もしその時現金で勘定を済ませていたら、私がそこでビーフステーキを食べたことを知っているのは、世界じゅうでただ一人、給仕してくれたあの中年ウェイターだけだったはずだ。ところがカードで支払ったことで、私がそこにいたという情報は確実に記録されることになった。500円で、自分の大切な思い出を売り渡してしまったような気がした。「お金で買えない価値がある。買えるものは、マスターカードで」カード会社の宣伝コピーが頭の中でこだまする。500円で、買ったのではない。500円で、私は売ったのだ。

90)現在見ている風景とは一体何ものなのだろう。それは嘘ではないのだが、丸々真実でもない。あるものは見え、ないものは見えない。まったく当然のことなのだが、そこに大きな落とし穴がある。そこにないものは、なかなか見えないのだ。〔中略〕このところ、東京大空襲を忘れるな、広島、長崎の悲劇を忘れるな、という声をメディアを通してよく耳にする。それはもっともだと思いつつ、「忘れるなといわれてもなあ」というのが私の正直な思いだ。「忘れるな」という言い方は、記憶を共有している人にしか通用しない。知らなければ、忘れることもできない。知らない人間には、「忘れるな」の前に「知る」という段階があり、痕跡や証拠、証言が必要だ。さらに覚えておくためには、感情の揺れが決め手になる。しかしスクラップ・アンド・ビルドが繰り返される現実の中で痕跡は消され続け、私たちは過去を知る手かがりを次々と失っている。ないものは、なかなか見えない。

92-3)軍需工場、空爆、占領、米軍住宅、親米大学……その遍歴を考えていると、心がイラクへ飛んだ。イラクでもこれから半世紀がたったら、そこに米軍住宅があったことを誰も覚えていないような芝生の公園ができ、無数の家族たちが幸せそうに花見をしたりするのだろうか。開校にアメリカが深く関わったことを知らない学生たちが、ベースボールをしたりフリスビーを飛ばしたりして楽しいキャンパスライフを送ったりするのだろうか。それとも、それほど忘れっぽいのは私たちだけだろうか。すべてを忘れて、私たちは幸せに近づいたのだろうか。

99)「かぐや姫」や「桃太郎」に出てくる老夫婦には子供がいなかった。双方とも「子供が欲しい」という思いが出発点となった物語だ。子供がいなかったのだから、当然孫もいなかったはずだが、互いを「おじいさん」「おばあさん」と呼びあうのは不自然ではないだろうか? 次世代のいない老夫婦が互いを呼ぶ呼び方、歳と共に変化するとは思えないのだが。

156)小学生の時、塾で月野さんという女の子に出会った時、「私は月野になりたかった」といった。すると驚いたことに彼女は「私は星野になりたかった」といった。彼女は、月の野原に星がないことがずっと不満だったのだそうだ。高校三年生の時、今度は日野さんという男の人と知り合った。彼は寺山修司が率いていた天井桟敷の元劇団員だった。日野さんは、「俺は星野か月野になりたかった。日野は一番ロマンがない」といっていた。こういう姓を持った人は同じようなことを考えているものらしい。

206-7)私が片思いをしていたKは〔中略〕その翌年の夏休み、アメリカに短期留学をした。〔中略〕彼はお盆に合わせて帰国し、成田に着くとそのまま羽田に向かい、キャンセル待ちをして大阪行きの日航機JL123便に乗った。その飛行機は、群馬県の御巣鷹山に墜落した。一九八五年八月十二日のことだ。私は彼が予備校時代によく来ていた赤いセーターと、遺品の中から見つかったペンケースと血で染まったアドレス帳を形見に分けてもらった。そのアドレス帳の中に、私の名前はなかった。高校生の頃、「一生結婚しない」宣言をしていたHは、Mと同じスキーサークルで知り合った後輩と結婚し、二人の息子に恵まれた。そして三人目の子がお腹にいた二〇〇一年九月十一日、ニューヨークの世界貿易センターで夫をなくした。いまは私たち五人が最後に顔を合わせた家で、三人の子育てに奔走している。

344)猫に死後の世界があるとしたら、それは猫だけの世界なのだろうか? それともまた人間と一緒なのだろうか? 猫にしてみれば、あの世に行ってもまた人間と一緒では、いつまでも人間からちょっかいを出され続けて、安寧など得られないかもしれない。人間が動物を擬人化し、時に家族や友人といった人間関係以上の強い感情を寄せるようになると、その人間の死生観も微妙に変化し始める。既存の宗教は、ここまで人間が動物を擬人化するスピードが速いことを想定した宗教的根拠を用意していないのだから、私自身、しろやたまがどこへ行ったのかをイメージできず、困ってしまった。

362)片付けをしていてもう一つ興味深かったのは、人間というのは、自分のものは何が何でも残したがるが、人のものは捨てたがる、という点だった。相手が目を離した隙に、勝手に捨てるという姑息な手段さえ用いて、人のものが捨てたい。その様子はまるで、厳重な重量制限のある最後の救命ボートに乗りこむ人たちのようだった。

365)自分は最後に、どんな記憶を覚えていたいのだろう? 富める者も貧しい者も、健やかな者も病める者も、幸福な者も不幸な者も、大勢の人に囲まれた者も孤独な者も、墓場に持っていけるのは思い出だけだ。とかく不平等がはびこる現世で、そのことだけが人間に与えられた、唯一無二の平等なのかもしれない。だから、いつか消えゆく日まで、思い出をたくさん作って生きてゆきたい。それだけが、誰にも奪うことのできない、自分だけの宝物なのだから。

367-72)読みながら強く思うのは、生きることは失うことと同義だ、ということだ。日々を過ごしているだけで私たちは何かを失う。失わない人生はあり得ないのだ。〔中略〕作者は「生きることは失うこと」と言い切ることをおそれない。失うことをかなしんでいないということではない、失うことと向き合おうとしているように、私には思える。だから、本書には至るところに「死」が描かれている。〔中略〕けれど、喪失の連続を実感させる本書は、読み手をかなしい気持ちにはさせない。ああ、失うことしかないのだと、絶望的な気持ちに追いこむことはしない。それはおそらく、作者が、失うことがマイナスで得ることはプラスだという単純な思考を持っていないからだ。失うことは、マイナスでもプラスでもなく、何かを持っていたという証である。いとおしむべきたいせつな何かを、確実に私たちは持っていた。その何かは、私とともに在ることによって、私自身を変容させた。失うことでいくら泣いたっていい、自分を責めたっていい、でも自身の内の変容は、他者(ときに動物、ときに光景)とかかわったことによって生じた変容は、消えることがない。そのことを私たちは知らなければならない。その「持っていた」証拠、自身の変容こそが、あとがきで作者のいう「宝物」なのではないか。私たちが平等に持ち得る、もっともすばらしいもの。〔中略〕時代に安易に取りこまれることを断固拒否し、自身の足で歩き自身の手で触れ、自身の目で見、その方向を指さしてくれる同世代の作家がいることを、私は本当にうれしく思う。彼女が指さす先には、いつだって私の気づかなかった、見ようとしなかった「今」がある。 ※角田光代「解説——彼女が指さす先」


@S模原

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by no828 | 2018-05-14 23:21 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 13日

人々に和すためではない。人々に立ち向かうために学ぶのだ——門井慶喜『東京帝大叡古教授』

 門井慶喜『東京帝大叡古教授』小学館(小学館文庫)、2016年。76(1143)

 単行本は2015年に小学館

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 日本に大学が東京と京都の2つの帝大しかない時代のミステリ。主人公は宇野辺叡古(うのべ・えいこ)というウンベルト・エーコに似た名前の教授。語り手は阿蘇藤太(あそ・とうた)という偽名の学生で、彼が何者なのか、のちに何者になるのかが結末で明かされる。

26)「それなら、本名は隠すがよかろう〔中略〕将来この大学に入学したとき『ああ、あの高梨教授が死ぬ現場にいた』などとささやかれるのは万事よろしくない。つくべき運も離れよう。いまは仮面をつけておけ」
「し、しかし私は士族の家の……」
自尊心など捨ててしまえ。そのために人間は学問をするのだ

69)「高梨君とは敵味方の仲だったが、それとこれとは話がべつだ。もっと長生きさせてやりたかった。おそろしいのは無知の善意だな。悪意よりもおそろしい

160)「文学に熱中しろとは言わんが、藤太、政治にしか興味のない政治家、法律にしか関心のない法律家にだけはなるな。人の世を沙漠にするのは、そういう連中だ

174)「未知の街を歩くことは、未知の自分を見つけることだ

176)恋愛とは、発言不可能の一形態なのだ。

435)「人はなぜ、学問をするのか〔中略〕お前が私に聞いたことだぞ。藤太」
「あ、はい」
 むろん、おぼえている。半月前、おちかと伊三郎が家に来たあと、教授はしばらく外出せず読書や執筆に没頭したことがあったけれども、私はそのとき、この質問をしたのだった。教授は答を得させてはくれなかったが、
「いまこそ教えてやろう〔中略〕人が学ぶのは、よい学位を得るためではない。よい職業に就くためでもない。道徳の涵養のためでもなく、人類の知の発展のためでもなく、学問そのものの愉楽のためですらない。人が学ぶのは、藤太よ、自分でものを考えるためだ
「自分で、ものを……」
「そうだ。誰もがノーと言う日にイエスと言う。誰もが感情に身をまかせる日に冷静になる。それは口で言うは易しいが、おこなうは絶望的にむつかしいことなのだ。勇気がいるし、闘志がいるし、何よりも高い識見がいる。わかるか?
「はい」
しかしそういう人間がいなければ、集団というものは、ひいては一国の国民そのものが、こぞって過ちを犯してしまう。破滅への道を突き進んでしまう。或る種のねずみの集団自殺のようにな。藤太よ、お前はこれから、人々に和すためではない。人々に立ち向かうために学ぶのだ。よいな

448)「芸術は万人の理解を欲しない

453)「人の話を聞くときは、ただ聞く羊になるな。発言の機をむさぼる狼であれ

@S模原

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by no828 | 2018-05-13 23:31 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 10日

「贈与」が始源でそこから経済社会の「交換」が生まれた。逆はない——江弘毅『街場の大阪論』

 江弘毅『街場の大阪論』新潮社(新潮文庫)、2010年。75(1142)

 ウェブサイトなし
 単行本は2009年にバジリコ

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 わたしにはこのような街では育っていないし、そのような街で生きてはいないし、おそらくはいま生活している街をそのような街にしようという真剣な思いがないから、だと思うが、本書の「街」に——あるいは大阪に——憧れとともに居心地の悪さも感じる。わたしはストレンジャーでしかなく、それを寂しく思うと同時に、いつまでもストレンジャーでいたいとも思っている。

 51ページの引用部分は、とくに目を見開かされた。そこに想像が及んでいなかった。

 155-6ページの「純粋贈与」はおもしろいと思った。当然のことながら教育に引きつけて考え直してみたが、教育は忘れられることをたぶん望まない。物質性は残らないが、非物質性は残る。

20)子どもが学校へ行って教育を受けるのは、学力テストの点を高くとれる子どもになるためではなく、大人になる準備をするためだ。子どもはいくら偏差値が高くても、決して大人ではなく、やっぱりアホな子どもに違いない。しかしどういうわけか、偏差値だけは高い子どもが大人になってもなお「アホなことしくさって」と顔をしかめさえることが多くなってきた現実を、最近よく目の当たりにする。けれども昔から大阪の街場の間では、まったく逆の話が好まれるのである。それは、ある子どもが大人になり「人からエラい」といわれる存在になった際に、「あいつはガキの頃、ほんまにアホやった」とい類の話題である。あの子どもはこんなことをし、あんなことを考えてたと、その頃の実話を昨日のように嬉しそうに話す。そういう街の先輩や同級生たちがどれだけいるかで、その人の人生の値打ちみたいなものが測られるのが、大阪という街のおもろさである

46-7)彼らは生まれた時から消費者としてターゲット化され、お金を払って買ってくれるなら小学生であっても、消費主体=「お客さま」として神様扱いされてきた。街的な店ではそういうことは絶対ないが、子ども自身の「自己決定」による消費は歓迎され、その都度、「お客さま」はある種の全能感を得る。漢字もろくに読み書きできず、人に対してものの言い方すら知らないガキでも、消費者つまり顧客だから、気に入らなかったらデパートの店員さんにクレームを付け、時には「責任者出てこい!」「店長を出せ」とキレるのも自由だ。そういう綿菓子のように甘ったるいが、実はコアがない経済合理性交換原理の世界では、自分が消費したり所有したりすることにおいては専制君主で、自分の所有していないものや空間にどういうふうに接して良いかがわからない。だから、公園や駅や電車の中という無所有領域では放縦になる。

51)「うちの戦前生まれの叔母は、子どもの頃、教育をきちんと受けられなかったので、読み書きが得意ではない。店に入っても難しいメニューが読めない。だから、目の前にネタが並んでいて『これ握って』と言える鮨屋のカウンターとか、サシを見てそのものズバリの肉を選んで、焼き方や大きさは好きに指示できる鉄板焼き屋ばかり行っていた

76)店から金と引き替えに何かを出させ、それをゲットするというラッキー志向の考え方はもはや通用しない。客はいろんな店を食べ歩いている。しかし店は、いろんな客をそれ以上にカウンターの内側から見てきている。

109-10)店の気配というものは、ほかの何所でもないその店で、ほかの何ものでもないその人が、時おり垣間見させる〈実生活〉や「実人生」といった代替不可能なものにこそあるが、その気配を読み取ることが、すなわちコミュニケーションである。今日のメニューや魚の種類や野菜の産地やワインの作り手について訊ねたりすることが、店とのコミュニケーションではない。〔中略〕毎日マクドナルドに行っても、一日に複数回ローソンに行くようなことがあっても、その店の馴染みということにはならない。そこは徹頭徹尾、〈交換〉の原理に基づいた経済〜消費社会だ。行儀や礼儀は同一のマニュアルに書いてあり、明日から交代可能なアルバイトたちが「店」をやっている。そして東京でも博多に行っても同じイントネーションの「いらっしゃいませ、こんにちは」は、もちろん大阪キタでもミナミでも、岸和田でも同じで、よく聞けば中国人(あるいは韓国人)の留学生だったりすることが多くなってきた。けれども制服の彼らからは、〈生活者〉という姿はうかがえない。

112)この手の「情報バラエティ番組」はスタジオの「空気感」そのものがすべてで、要するにその「場の空気」を誰かがつくり、お笑いタレントや時には文化人や大学の先生といったコメンテーターが、よってたかってその「場」とか「空気」とか「流れ」を読んでどんどん会話を転がしていくものである。そこでは「つかみ」とか「ノリ」、あるいは「笑いを取る」といったコミュニケーション技法が全面にあるだけで、彼らのメッセージの輪郭はなかなか見えてこない。ひょっとしてその話に中身なんてないのでは、というのが言い過ぎだろうが、「場の空気を読むことに、コミュニケーションのリソースを使い果たすようなコミュニケーション」(@平川克美)に長けた人間、これをタレントとか言うのだろうと、納得することにしている。

139-40)ものを考えるということは、言葉で考えるという以外に足場を持たないことであり、ものを書くということは、自分で書いた言葉を耳で聞くということではないか。その意味で、わたしのなかでわたしを基礎づけている言葉が「考えるときは標準語でものを考える」ということはないし、まして「本格的に思考するときの言葉は標準語になる」というようなことは断じてない。標準語イコール考える言葉で、それが書き言葉であるという図式は、わたしの場合は完全に当てはまらない〔中略〕世の中には、どうしてもそこでしか生きていけない人もいるし、そこの言葉でしか話せない人もいる。だからこそ世界は面白い。

153)人に何かを贈るということは、モノの売買つまりカネとモノの「交換」ではない。それは「贈与」である。そして「贈与」が始源でそこから経済社会の「交換」が生まれた。逆はない

155-6)わたしが「手みやげ名人」と目す、大阪の主婦〔中略〕や阪神間のゼネコンの偉いさん、岸和田の祭礼関係者などなどに「手みやげ」のそのココロについて訊くと、口を揃えて「相手さんに『贈られたこと』を余計に意識させないモノが良い。だから『残らない』食べ物や酒がふさわしい」という答えが返ってきた。〔中略〕このちょっと違った感覚は、贈与とは別のもので、それを贈与の極限にあるところの「純粋贈与」と中沢〔新一〕さんは呼んでいる。「純粋贈与」ではモノは受け渡しされるが、その瞬間にモノの物質性が破壊されることを望む。「贈与」は贈られたことを忘れないが、「純粋贈与」とは贈ったこと贈られたことが記憶されるのを望まない。誰が贈ったかも考えられなくなる。だからいっさいの見返りを求めない。〔中略〕けれども手みやげは、誰かが何かを贈ったことを完全に忘れられると、その意味をなさない。だからこの「贈与」とちょっとした「純粋贈与」の「あわい」のようなところが難しい。

253)「知ってる店」というのは、その店のご主人なり女将さん、鮨屋ではカウンターを挟んだ調理人、はたまたフレンチやイタリアンでは給仕人やソムリエが「知り合いである」ということであり、極端な話、お好み焼き屋でテコをカチャカチャいわしている人が親戚のおばちゃんであったり、そのレストランのシェフが中学校の頃の同級生であったりする店ならアドバンテージは最高レベルだ。そういう「知ってる」は程度の違いこそあれ、街的生活にとっては不可欠の関係性である。

274-5)これから入力されるものについて予断的な情報を求めないこと、もっぱら自分の身体感覚を軸にして入力の質を判断すること、この二点は私が武道修行と哲学研究をつうじて体得した構えである。それは「学ぶ」ための、ひろく言えば「経験する」ための基本設定であると思う。 ※解説・内田樹「街場のインフォーマント」

277)「じっさいの生は、一瞬ごとにためらい、同じ場所で足踏みし、いくつもの可能性のなかのどれに決定すべきか迷っている。この形而上的ためらいが、生と関係のあるすべてのものに、不安と戦慄という、まぎれもない特徴を与えるのである。」(ホセ・オルテガ・イ・ガセー『大衆の反逆』、寺田和夫訳、中央公論社「世界の名著56」、1971年、444頁)江さんが「街的」なふるまいと認めるのはオルテガが「形而上的ためらい」と呼んだものにずいぶん近いものではないかと私は思う。

@K府

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by no828 | 2018-05-10 23:30 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 09日

タイミングはいつだって悪いもんだよ——舞城王太郎『みんな元気。』

 舞城王太郎『みんな元気。』新潮社(新潮文庫)、2007年。74(1141)

 http://www.shinchosha.co.jp/ebook/F604661/ ※ただし電子書籍
 単行本は2004年に新潮社より刊行。文庫化にあたりなぜか単行本収録分より3篇が選択・収録。電子書籍は(単行本のまま?)5篇が収録されている模様。

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 短篇集。あいかわらずぶっとんでいる。そしてあいかわらず倫理が、というか、倫理への意志が示されている。

22-3)「昔の恋愛なんて、全部架空の話みたいなもんだからさ」
「?」
「お互いが好きだったらこうなるっていう、条件結果の話だろ?恋愛のことって。好きっていう前提がなくなったら、起こったことだけが残って、起こった理由とか根拠とかなくなってるから、凄い宙ぶらりんな感じなんだよな。やっぱりいくら事実でも、それが起こるための前提とかなかったら、小説読んだのと感覚変わんないよ」
「なんだかさっぱり」
「でもさ、前の彼女のことを好きだった自分と、今枇杷のこと好きな自分って違うわけだし、…結構、誰のこと好きかって、人格にとって大きいもんじゃね?
「ふうむ」
主人公が違う話は、やっぱ、違う話なんだよ。連続してない

56)「あの子が俺らん中入って、ひょっとしたら俺ら、うまくいくかもしれんねーし」
「うまくいくって?」
「仲良くやれるってこと。家族がさ」
「そんな道具にしないでよ、朝ちゃん」
子供なんて親の道具なんだよ、ある意味では。当たり前じゃん

63)「人生諦めちゃってるあんたみたいに何でもかんでも諦めらんないんじゃない?そう簡単には」
「……」
あんたこそ、中途半端に頑張らずにもう一回諦めれば?」と姉が続ける。「どうせあんた、ホントはどっちでもいいような感じなんじゃないの?実際さ、中途半端な無気力君の脱力人生、気張って見せたって底が知れてるよ。やめとけば?みっともないから」

65)「あんな口喧嘩ぐらいでへこんでたら、地上じゃもたないよ。あんたホント空に浮かんでて良かったね。マジでうらやましいよ。私とかもっともっと酷いこと言われてんだから〔中略〕それに、シカトとか、空じゃないでしょ?苛めがない分全然楽じゃん。ラッキーだよあんた。学校行ってなかったら友達関係とかあんまり考えなくていいっしょ
バカ〔中略〕そういうのがうちん中にあるんだよ
あ、そうなの?〔中略〕それは辛いね。でもそういうもんか。四六時中一緒にいればねー。やっぱ他に世界がないとね。うーん、そういうのって、逃れられないもんかなあ

110)死体を物に還元する、という言い方は間違いで、死体は還元するまでもなく物なのだけど、人は死体に故人の思い出を重ねるので、普通の物とは違う扱いをする。でも人にはそれぞれ大事にしている物があって、それらも思い出やら思い入れやらのせいで特別性が与えられ、愛でられているのであって、そういうふうな人の大事な物と、自分が知ってる人の死体と、愛で方にどんな違いがあるんだろう?

126)「タイミングはいつだって悪いもんだよ

172)まだいろいろもっとたくさん選択肢はあるに違いない。いや、選択肢はもっと作ることができるんだ。まだ選択肢になってないところからもっと選べるんだ。そうして増やした選択肢の中から私はもっとよく考えて選べるはずだ。もっとよく考えて選んでいかなくてはならないのだ。植木バサミを振るって人の首をちょきんちょきんと切るような重い決断をしていかなくてはならないのだ。でも人が人生を生きるというのはそもそもそういうことで、みんなそうやって生きているんだ。平気で、元気に、気づかずに。

193)「あのね?あんたは誰かを殺したいと思ってる。それは、でも、あんたの優しさがそうさせたいと思わせてるんじゃないの?そういうのはありえない?


@S模原

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by no828 | 2018-05-09 23:11 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 08日

一切の「思いやり」の無意味を想った。「心」の否定は「心しか持たない者」にとっての、存在の否定であった——箙田鶴子『神への告発』

 箙田鶴子『神への告発』筑摩書房(ちくま文庫)、1987年。73(1140)

 ウェブサイトなし|単行本は1977年に筑摩書房
 ※「箙」は「えびら」

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 著者(香月理恵)は脳性マヒ。本書の内容は信じがたい。「本当に?」と内面で何度も発した。告発する相手は神しかいないのか。

14-7)父は一通の封書を私に見せながら云った。
これはね、学校へ行かないか、という知らせなのだよ。理恵、お前は学校に行きたいか? もし行きたいのなら……(少時の無言の後、心もち眉をあげた父は、断乎として云い放った)何としても行かしてあげよう
 学齢期の子を持つ親に、区役所の発する就学通知、加えて近校からの誘校状もあったらしい。(以後三年、存命中父は私の就学不能の理由を書いて送り返していた。)
 正直な話、私は就学させて欲しかった。
 姉の通っていたミッションスクールは、付属に幼稚園もあって、もの心ついた時から私の憧れであった。

 風邪か腹痛のように、治ると疑わなかったマヒの足が治らず、小学校こそは行ける、と日々待ちのぞんでいた童女の私が、就学を欲さない筈はなかった。
 だが、抱いてくれている母は私の背をそっとつねった。父からは見えない、おかっぱの私の耳のかげへ唇を寄せ、呼吸のようにささやいた。「行かないと云うのよ。理恵!」
 幼い日、母の言葉、母の意志は、至上命令だった。甘い、香水へほのかに温っている乳の香、柔らかな、まるい膝に腰かけ、頬を埋め、髪を撫でてもらう幼い者にとって、「母」の魅力は絶対であった。
 その母が、欲していない……。
行かないわ。理恵行きたくないの
 背の母の手は動きを止めた。
 おかっぱの耳のかげから母は顔をのぞかせて云った。
そうですともあなた。学校などへ行ったら、いたずらっ子に理恵はいじめられます。いやよねえ、理恵、お前は聞きわけの良い子だね
ええ。いじめられるのはいや。学校へは行かない
 ひとことも後をつづけなかった父は、顔を背けて庭を凝視めていた。
 沈黙になってしまった春の陽の中で、ぼんやりと私は、自ら遠のけてしまった学校に思いをめぐらせていた。
 焦点のない瞳で父を見た私ははっとした。〔中略〕……父は泣いていた。
 姉の運動会には、見物に連れて行くと云い、何日も前から楽しみに待っていた私に、母は当日、全く別の所用と云い聞かせ、たくさんの玩具を買い与えて留守番をさせた。
 夕食時、運動会での姉を食卓の話題にした母へ、
あら今日は運動会だったの?
 無邪気な驚きでたずねる私へ、どんな話題にも黙々と箸を採り続ける父が、ふいに面を上げて母を凝視めた。
お前は……、理恵を連れて行かなかったのか
 ためらいが母の面上に流れた。
真由子(姉)が可哀そうだったものですから……
馬鹿!ひと言、箸を投げ出した父は、和服、黒足袋の、静けさの中に秘めた荒々しさを音と後ろ姿に残して、書斎へ歩み去って行った。

51)父はよく云い聞かせてくれた。
何も出来なくとも良い。理恵、心さえ美しければ、私たちを心で想ってくれていればそれで充分だ。理恵、良いか、もしか姿が醜いといって、お前を笑う者が居たら、それはお前のせいではない。笑う者のほうが間違っているのだ……
 それしか考え方がないぐらいに、単純素直に信じ込んだ言葉、あれはすべて嘘であったのか。いかほど愛そうと、想いやろうと、心は何の役にも立たず、母は云っているではないか「あの子がいるから不幸だ」と。
 はじめて私は己れの利かない手足に目覚めた。無力を感じた。
 一切の「思いやり」の無意味を想った。「心」の否定は「心しか持たない者」にとっての、存在の否定であった。 ※傍点省略

80-1)人間というものが、わびしく、ただただ恐ろしかった。その延長線上に、現在あのように苦労してまで、金を工面して私を傍に置きたがらない母があった。
 また「あの娘がいるから不幸だ」と云った幼い日の、母からの拒否が思い出された。死んで欲しい心から、生活費も預けず放置したといった、終戦の年の母たちの旅行と共に。
 際限もなく繰り返し想い出される感情は、姉の婚約時、姉と母と三人で医師へ尋ねたと云う義兄の、「十五、六歳で死亡する筈だ」の言葉もたぐり浮ばせた。
 そのような悩みの日々、十代後半から二十歳代、常人ならば人生の最も華やかで希望多い時期に、私には一切の青春がなかった。
 一日でも、一分でも早く、私はこの世から、「在る」ことから、消えねばならない、そればかりで日々を過したのだ。
 私は「在るべきでない人間」だった。

83)「見るのが辛いと云うのですよ。あの人は」
 笑いながら主婦は知人に云った。
 だが、見ることからは逃れられても、己れの心、考える眼から逃れることは出来なかった。せめて、私は理性的でありたいと欲した。
 己れには叶えられない華やかな夢ならば、こちらから眼を背け、結婚も、まして異性への愛などは、心に鍵をかけても自らに許すまいと誓い、また必ずやそれは思い通せる、と信じた。

154-5)私だけの考えだったが、彼女の、完全主義的偏執症〔モノマニー〕も、何かしら理由があるように思えてならなかった。
まちがいない形で、在るべきところに在って欲しい
 それは愛への願望ではなかったのであろうか。 ※傍点省略

210)伯母の家で遠慮させられて生きて来た彼女は、彼女の代りに二人分働いて伯母を手助けする妹にも、姉の勉学まで教え見るゆとりはなく、文字に関しては生まれたままの状態に放置されていた
 文字を覚えることが、必ずしも幸いではなく、かえって悩まねばならぬことにも通じる体験があって、私の内裡で抵抗もあった。しかし会話が人に通じ難く、私と同じく歩行が不能で、庭さえも見ることが出来ず、娯楽が皆無なのだ。
 片目の彼女に映じやすいように、まず積み木の文字をと思ったのである。意図は成功とみえた。彼女は積み木をひったくるように覚えることを焦った。
 彼女の熱心さが、そのまま今までいかに孤独であったかの証しであった。私には自ら求めないうちにどうにか父によって与えられた教育であったが、もしかすれば私も彼女と同じ境遇となっていただろう。哀しかった。そして彼女がよりいとおしかった。

250)ある日、青年団という若者が三、四人、突然訪ねてきた。「我々はしかじかの理由ある者である。人々は忌み嫌う。知って移り住んだのか」
 知ってと答えれば話は長くなり、こじれそうだった。知らなかったと私は答えた。彼らは懇切丁寧に自分たちのいかに差別され、忌まれているか例をあげて話してくれた。そして加えた。
あなたのように、一目でどこが曲り、どこが畸型か判別できるものならば、忌まれようとも文句はありません。しかし僕たちはどこにも変ったところはないのです。僕らにはそれが口惜しい
 それは本当であったろう。若気の、語るうちに自分が激して来て、感慨に溺れた故とも察する。しかし親しかった者が、急に遠く行ってしまったような寂しさを感じて、うちのひとりが感きわまってこぶしで自分の頬拭うのを、遠い意識で私は見つめていた。

322-3)本書の初版は一九七七年である。当時も一度は手にした本だが、その内容のあまりの重さに圧倒され、斜め読みで逃げてしまっていた。被爆者の手記などにも似たような反応が起きるのは、たぶん私が健常者として、後めたい想いをつきつめる勇気が足りないせいだろう
 本を投げ出して以来、「神への告発」というタイトルを目にするたび、忘れた宿題に追われるような圧迫感を覚え続けてきた。
 今度改めて本書を読み直し、私は自分の足場をしたたかに揺すられ、しばらくは溜息がとまらなかった。人は誰でも、自分なりの存在理由を見つけ、思い込みにすがって生きているところがある。それを終始剥ぎ取られていったらどうなるか。
 生みの母親から「あの化け物……」と罵られる主人公、しかしその香月理恵は自殺することも出来ない、脳性小児マヒによる重度の身障者であった。上流家庭に生まれながら、父親の死によりドラマチックな家族の離散に遭う。奔放に生きる母親と美しい姉、性格異常者のような姉の夫、その間で虫けらのように扱われる理恵。他人の家庭へ預けられ、母親が亡くなってからは障害者施設に入れられ、三十代の初めまでそこで過ごす。理恵の場合、肉親の仕打ちは世間の常識をはるかに越えたものだった。特に母親は見事なまでに我が子を切り捨て、エゴに徹した生き方を見せる。姉もまた妹を他人と見なし、「お二階さん」と呼ぶ冷淡さ。理恵を施設へ送ったのは姉であった。だがそのおかげで理恵は多くの不幸な仲間を知り、自立への足がかりを得る。もし彼女が恵まれた幼年期の環境のままで、大切に保護された人生を過ごしたら、「神への告発」の精神世界は拓けなかっただろう。 ※一ノ瀬綾「解説」

 だから虐げられた人生でよかった、とはならない。

@S模原

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by no828 | 2018-05-08 23:49 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 07日

われわれが法の担い手であり、権利の担い手であり、政府を法によって拘束しているのはわれわれなのです——佐々木中『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』

 佐々木中『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』河出書房新社、2013年。72(1139)


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 政治は本来われわれのものである。それを思い出せ。いまはどうだ。考えろ。示された言葉でわかった気になるな。その言葉を自分で吟味しろ。

13)全ての法というのは、上位の法である「憲法」に立脚して立てられなくてはならない。これが立憲主義の基礎です。立憲主義はローマ共和制まで遡ることができる古い理念で、端的に言えば、「統治(gubernaculum)」は「司法(jurisdictio)」によって拘束され、制限されねばならないということです。人民によって制定された憲法は、統治を行ういかなる政府にも先行し、これを制定し、そして束縛する。ゆえに、いかなる恣意的支配もこれを禁じている。誰が? われわれ人民が、ですよ。ローマ法のもっとも深く古い原則は、人民全体が、法的権威の終局的源泉であるという、このことだったのです。偉大なるローマ人の歴史的遺産は、これに尽きる。〔中略〕トマス・ペインが言っているように、政府と憲法の区別がない国家は、事実上、専制である。そして専制に陥った政府は「無法」を犯しているのであるから、われわれ人民はこれを「罰する」ことができるのです。

17-8)だから「法律を守れ」「国家が立てた法律をお前ら人民は守れ」というのはおかしな話です。その法律はわれわれ人民が打ち立てた憲法に準拠せねばならないはずのもので、そしてわれわれは戦後六十数年改憲してこなかった。何度もいいます。われわれが法の担い手であり、権利の担い手であり、政府を法によって拘束しているのはわれわれなのです。その憲法に違反している法を守らなくてはならない、そんな謂れなんてない。われわれが国家なのであり、われわれが法の根拠である。だからこう言い返しましょう——「法を守れ。君たちこそ最上位の法を守れ」と。〔中略〕われわれの近代法すべての父であるローマ法の精神に則れば、「国家たる人民に逆らっているのは現政府である」という言い方が可能なのです。

75)外国語はなかなか読めないし、その翻訳は読みづらいと皆言うわけです。でもね、あなたたちに日本語が読めますか。日本語が喋れますか。日本語が書けますか。そんなことが本当に可能なのか。そうカフカとヘルダーリンは言うんです。これが本当にものを考えるということです。本当の文学者が考えることです。言葉と戦っている人間が考えることです。

102-3)さて、今から十秒間、僕は黙ります。…………はい、十秒経ちました。この十秒間で何が起きたか。僕は十秒間、死に近づいたわけです。十秒間、死に行きを生きたわけです。もっと言うと、十秒分、「腐った」わけです、僕は。言っていること、わかりますか。十秒分老いて、十秒分死に近づいて、十秒分腐ったわけです。この身の、肉も骨もね。そういう意味でも、人間は静止することができない。この十秒ずつ十秒ずつ、この一秒ずつ一秒ずつ、われわれは微細に老いているわけです。どんどん腐っていって、ある一線を越えると「屍体」と呼ばれる何かになる。しかし、死体〔ママ〕になっても腐乱し続ける。屍体になっても腐り落ちて動いているわけです。骨になってもだんだん古びて、欠けて、あかちゃけて、削れていく。このように、われわれには「止まっている」ということは不可能なのです。〔中略〕Of course all life is a process of breaking down. スコット・フィッツジェラルドは「いうまでもなく、すべての生とは一つの崩壊の過程である」と言いました。われわれは崩壊の過程を生きているんです。というよりも、この崩壊の過程こそが生なのです。もっと正確に言えば、「崩壊の過程」こそが結果として「生」と「死」の区別を産出し続けている。

114-5)その〔古井由吉との〕話のなかでね、震災から原発事故にかけて、あれだけのことを言葉にするには時間がかかるものだということを話しました。みんな焦って、何か恐ろしい空白を埋めたいかのように、膨大な言葉を費やしましたし、今もしています。それは本当に実って熟して孕まれた言葉なのかというと、極めて怪しい。そして、そういうふうな恐怖と焦慮に急かされて、大量に生み出される言葉とイメージに押し流されてしまって、すっかりみんな、震災に麻痺している。飽きてしまっている。〔中略〕そうして、空疎なイメージと言葉の乱舞と飽和のなかで飽きて、結局は現状追認に陥って……このわれわれの日々のなかで、あの体験を言葉にするために苦難の五年を過ごしている人間がいるということには、想像することさえできないでいるわけでしょう。

118-9)きわめて困難だが、かすかな希望があるとすれば、——臨床的に証明されている希望があるとすれば、トラウマを負っていると自分で気づくことができた人は、他者のトラウマにきわめて寛大になるということです。これは実に難しいこと、らしい、です……。例えば阪神大震災の時、すぐにボランティアに来た人のなかには、戦争体験者が多かったといいます。阪神大震災の被災者は僕の友人にも何人かいるのですが、彼女ら彼らのなかには今回の震災に思い入れをもって行動をしている人がいる。これが、トラウマの連鎖を断つ、本当にかすかな希望です。〔中略〕アドルフ・ヒトラーは第一次大戦に行って、毒ガスで喉をやられてあの声になったんですね。中井〔久生〕氏は、ヒトラーは戦争神経症者ではないかと言うのです。なぜなら彼はユダヤ人を同じ毒ガスで殺したからだ、と。トラウマを負った者は、自覚すれば他者のトラウマに寛大になれるかもしれない。しかし悪くすると、「自分がこんなに傷つけられたんだから誰かを傷つけてもいい」ということにもなるわけです。ですから、そういう悲惨な戦場からの帰還兵というのは多く、幼児虐待をする。そして虐待された世代が、きわめて犯罪率が高かったりする。こうしてトラウマは「遺伝」するわけです。〔中略〕ある傷をつけられることによって主体は主体化する。ということは言えるのですが、当然この「主体となるために傷をつけること」を、本物の戦争とか虐殺とかレイプとか虐待とかと一緒にしてはいけない。心的外傷を与える権利など誰にもないからです。 ※傍点省略

122)アドルノという哲学者が「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」と言いました。さらに、アウシュヴィッツ以降、我々の藝術は全て屑だと言ったんですね。われわれも震災があって、原発事故があって、何もできない。無駄なのか。われわれがやっていることは無駄か。意味がないのか。屑か。どうすればいい。そういうことについて考えることが、藝術と無関係なのですか。そもそも「藝術」とは何かということは、他の本で何度も繰り返したから、言いません。断言しますが、関係ないわけがないのです。

135)欲求不満、フラストレーションとは約束を破られるということ、違約ということです。一言で言うと、「話が違うじゃないか」です。

145)フランス語の「倒錯」という言葉の語源は、「曲がっている」というラテン語です。つまり本来の目的があるものを、本来の目的のために使われないこと一般をすべて倒錯と呼ぶと、ロラン・バルトが定義している。

182-3)高校時代の恩師の訃報に接したいとうせいこうは、恩師の思い出を述懐する。その教師は「神秘があると思う者は手をあげなさい」と尋ね、つづいて「何が神秘なのか」と問う。高校時代の氏は「人が出会って、しゃべって、考え方が変わったとします。それは神秘じゃないでしょうか」と答える。恩師は「多分、お前の言うことが最も正しい」と言う。二十一年後、東日本大震災のチャリティ小説として書かれた『Back 2 Back』の、いとうせいこう氏担当の最終章で、それは突如回帰する。「奇跡はあると思うか、と老いた担任教師は突然校舎の角の教室で言ったのだった」。「なあお前たち、奇跡はあると思うか」「奇跡はあると思います」「こうやってしゃべっている僕の言葉を聞いて、誰かの考えが変わったとします」「それが奇跡ではないでしょうか」「うん、俺もお前が正しいと思う」。氏は、小説の最後で、先生こそがあの瞬間考えを変えたのであり、また自分そのものが自分のうわ言をきいて説得され考えを変えたのだ、と語る。

232)佐々木 過ちを犯すということでしかわからない真実を追求するにはフィクションしかない。

234)佐々木 これ〔=『チェルノブイリ——家族の帰る場所』〕を読んで思ったんですけど、今はノマドとか言って、どこでも仕事ができてどこでも生きていけることがかっこいいと皆思ってる。でもそれは嘘だと思うんですよ。本当に重要なのは、「その土地を離れられない人々」「離れたくないのにその土地を離れることを強いられた人々」について真剣に考えることです。前者については、やはりチェルノブイリや福島にとどまり続ける人たちがいるんですね。たとえば、チェルノブイリの避難区域に三百五十人いる。逆に、「離れることを強いられた人々」はまさに「難民」として世界的な問題になっているわけです。外的要因か内的要因か、心の問題かはともかくね、自分ではどうしようもない「何か」に強いられてその土地にい続けたり離れたりする人、そういう人たちのことを考えるのが今一番重要なんじゃないかと思うんですね。
宇多丸 なるほどね。
佐々木 チェルノブイリや福島に住むこと、残ることを選んだ人も、「難民」なんですね。難民になるということは自分の生きていく環境を奪われてしまうことでしょう。この人たちは確実にそれを奪われていますよね。〔中略〕ドゥルーズ=ガタリという哲学者がいるんですけど、彼ら自身は、「ノマドとは動かない人のことだ」と言っている。 ※傍点省略

@S模原

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by no828 | 2018-05-07 22:43 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 05月 06日

「でも大学なんて行ってたら、今よりももっと祐介と会えなくなるじゃん」。これでお終い。愛情というのはどうしてこんなにも乱暴になれるのだろう?——舞城王太郎『熊の場所』

 舞城王太郎『熊の場所』講談社(講談社文庫)、2006年。71(1138)

 2002年に同社単行本、2004年に同社ノベルス

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 舞城王太郎は現代の倫理を間接的に提案している気がする。あるいは、舞城王太郎の文章を倫理のひとつの表現として受け止めるのが現代である、というか、現代に生きるわたしである、と言うべきか。

25)父が言っていた。恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない。〔中略〕明日ではもう遅いのだ。今すぐそこに戻らなくてはいけない。でないと、自分の恐怖を消し去ることができなくなるのだ。

46)恐怖とは一体なんだろう。恐怖とは、一体何に対して生じる感情なんだろう。

96)「林君、愛情に一生懸命んなれないんじゃ、生きてる意味ないんじゃなくて?」。うーんどうなんだろう。高校時代なんかの愛情を信じない僕と、留保なしに愛情を追求する梶原と、一体どっちが正しかったんだろう?なんて設問がおかしい。人生には正しいも間違っているもない。物差しは結局のところ自分の価値観しかないのだ。他人の物差しと比べてみたところで、それも自分の価値観を基にしているわけで結局は相対であって絶対ではなくて……ってつまらないことを考えるだけで何もしていない僕の脇で、梶原は、三十五になってもバスケの大好きな長髪のおっさんとさらに何度かやって、大賀には気づかれないまま、挙句の果てに振られてしまった。本当に阿呆だ。

105)僕には信じられなかった。大賀め、何大胆に生きてんだよと思った。つーか本当にびっくりした。女の子と暮らし始めるために学校辞めちゃうなんて選択肢もマジであんのかよ。僕の周りは普通に勉強して普通に進学して普通に就職したり普通に院生になったり普通に資格試験を受けたりしようって奴ばかりだったから、高校二年なんていう学歴以前の段階で社会に出るって行為が本当にこの世にあるんだっていうリアリティを、僕は、大賀のことで初めて感じたのだった。大賀は僕らの、言ってみれば鏡みたいなもんだった。「あっち側の自分」ってところだ。そっちの道を進んでみてどういう風になるのか、僕としてはむちゃくちゃ興味があった。大賀のこれからは、一つの仮定なのだ。だからこそ、僕はこれまでに増してって言うか、これまでになく、大賀のことを熱心に見守ることになった。今とは違う選択をした、もう一人の僕の行方を。

107-9)多神教を取り戻せ、と僕は思う。人は色んなところに神の息吹を感じるだろうが、それを一人の神の御業としてまとめるな。そこに一人一人、神の名前を付けていけばいいんだ。愛の神・悲しみの神・風の神・雲の神・セックスの神・みかんの神・ディズニーランドに来た人間を楽しめる神・浮浪者の包まる段ボールをできるだけ長い間乾かしておく神。何でもいい。色んな神を取り戻して、天界にもあるはずの力の格差をはっきりさせて、神たちを人間のそばにもっと近づけるべきなのだ。そうすれば僕らはもっとちゃんと受け入れられるだろう。人間の社会には善も悪も正解も間違いもはっきりとはないが、ひとつだけ、力の差だけは明快に、疑いようもなく、歴然としてあるのだということを。神の世界にもそれがあるのだから。力?力の差をはっきりと感じるのは、しかしただ唯一、負けたときだけだ。自分が負けたと判るのは?負けたと思った時なのか?自分が負けたと思ったら負けなのか?大賀が何度も何度もそう言ったように?人生はスポーツではない。負けたことが勝つことにはならない。そしてこれは誰でも判っているだろうが、人生ってのは大きな引き分け試合だ。でもそれぞれの局面において、勝ち負けはちゃんとある。って言うか勝ち負けしかない。でも負けたときしか、勝ち負けの判断はうまくできないのだ。

117-8)僕は梶原に大検を受けてみてはどうかと勧めた。世界を広げて色んな人間と会うことでちょっと気持ちが落ち着くんじゃないかと期待したわけだ。大賀も賛成した。「それがいいよ、亜紗子。お前、お父さんとお母さんに博美見てもらってんだから、時間あるじゃん。気分転換にもなるし、勉強したらすぐに大検なんて取れるし、大学にも受かるよきっと。俺はまだ仕事のほうが忙しいからちょっと大学に行ってる暇ないけど、俺の代わりにさ、亜紗子が学を持ってくれよ」。それにそうすれば博美ちゃんに対する嫉妬も紛れるだろう。けど梶原はこう行った。「でも大学なんて行ってたら、今よりももっと祐介と会えなくなるじゃん」。これでお終い。愛情というのはどうしてこんなにも乱暴になれるのだろう?どうして物事をうまくいかせようとすることを、こんな風にむりやり阻んだりするのだろう?僕も大賀も繰り返し梶原を説得したが、梶原の愛情がそれを全て撥ね退けてしまった。理屈ではないのだ。梶原は大賀の愛情の不足感を、どうしても拭えずにいた。こんなの自分のほうがおかしいと思いながらも。どんなに言葉を費やしても。


@S模原

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by no828 | 2018-05-06 22:34 | 人+本=体 | Comments(0)