思索の森と空の群青

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カテゴリ:日日( 631 )


2018年 07月 29日

そしてほぼ1カ月

 5月の連休後から余裕のない日々がずっと続いている。こんなにもぎりぎりの生活ははじめてかもしれない。ほぼ1カ月前の記録。

 6月22、23、24日は学会でH島県H広島市。大会校はH島大学だが、会場は駅前の市の施設(Kらら。下の写真の左側の大きな建物。写真自体は市役所の最上階にある食堂から。そこが昼食会場だった)。大学は駅から離れていて、バスを使わないといけない。ホテルはやはり駅前に多い。率直に言って、大学だと移動に難がある。今回は徒歩だけで移動できた。あるいはこのために参加者も増えたのかもしれない。

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 22日はラウンドテーブルで指定討論者。ラウンドテーブル後に打ち上げ。

 23日は出番なし。部会や公開シンポジウムに聴衆として参加して勉強する。懇親会にも出る。前日のラウンドテーブルに来てくださっていたH島大学のM先生に、昨日のわたしのコメントがすごくおもしろかったと言っていただく。まったく想定外のコメントでうれしかった。ラウンドテーブルではM先生からご発言をいただく機会を設けられなかった。あるいはつまらない場としてしまったかもしれないと思い、お怒りの言葉を頂戴するかもしれないと覚悟していた。むろん批判も含めての研究上の交流であり、対話である。それもお聞きできるのであればありがたい。日本酒を(たぶんわたしだけ)飲みながらしばらく立ち話を続けた(M先生は準備委員会のお仕事のため、飲んでいなかったと思われる)。大会に来てよかったと思った。

 24日は自由研究発表。スライド投映全盛の時代にあって、あいかわらずの原稿配付・読み上げ方式で発表した。スライドだと手を抜くことができると思っている。原稿にしないと論理展開が甘くなる。原稿+スライドがよいのかもしれない。学会発表とは何か、ということを発表しながら、また、発表を聴きながら思う。わたしの発表に対しては、J智大学のM山先生、T洋大学のY原先生、H島大学のM山先生、元K研のS藤先生からコメントをいただく。司会のH島大学のK下部先生からも「この学会でもH本スタイルが定着してきました」といったコメントをいただき、部会後にもお話を少しさせていただく。「ぜひ投稿してください」とも。「H本スタイル」が発表スタイルを指すのか、発表内容を指すのか。あるいはどちらも指すのかもしれない。
 昼食休憩時にロビーで、発表を聞いてくださっていたH島大学のM山先生に声をかけていただく(別の大会でもわたしの発表を聴きに来てくださり、質問もしてくださった)。わたしが発表するときに人が結構増えたようで(わたしは最前列に座っていたので後ろの様子がわからなかった)、「H本さんの発表をたのしみにしている人が多いようですね」と言われる。M山先生が指導されている院生がわたしと近い問題意識で少数民族の研究をしており、わたしの研究も参照されているらしい。今回の発表原稿も院生に渡したいとのことだった。こういうつながりはとてもうれしい。

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 この間、豪雨災害が起きた。信じられなかった。ローカル線は不通のところもあると聞く。S条を通る路線もまだ不通ではなかったか。昨日から今日にかけては台風だ。何と書いたらよいかわからない。1日も早い復旧を祈る。切に。

@S模原

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by no828 | 2018-07-29 20:11 | 日日
2018年 04月 07日

私はね、「損得で物事を判断しない」ことを「正義」って呼んでいるんです——橋本治『たとえ世界が終わっても』

 橋本治『たとえ世界が終わっても——その先の日本を生きる君たちへ』集英社(集英社新書)、2017年。58(1125)


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 インタビュー集。保守主義の議論。

5)人は、若いと「未来」を考えます。〔中略〕「未来」を考える限り、その人は若い。「未来」を考えなくなったら、その人はもう若くない。私はもう若くないので、「それでどうなるんだろう?」という未来のことは、どうでもいいのです。

7)私は個人的には、「世界が終わってもかまわない」と思ってはいます。なにしろ、私の残りの人生は「どうでもいい消化試合」ですから。でも、そのまんまにしておくことはいかにも無責任です(私が誰に対して責任を感じているのかは分かりませんが)。だから私は、この本に『たとえ世界が終わっても』というタイトルをつけました。「終わっても、まだ未来はある」という意味です。 ※傍点省略

9)「語る」とか「説明する」ということは、「受け手がどれだけのことを分からずにいるか」を考えることです。それを「埋める」ということをしないと、納得は起こりません。そして、なにがしんどいかというと、「受け手がなにを分からずにいるか」を探ることです。これを一人でやるととんでもない体力がいります。その体力がなかったからこそ、「インタビュー形式にしてほしい」と言ったわけで、つまるところ、「もう年だ」と思った私は「質問者がほしい」と言っていたのです。

11)「知っている」と「分かる」ということは、別の話なのです。

52-4)橋本 日本で消費税導入が決定されたのは、昭和が終わる前年でバブルの真っ盛りなんだけどさ、消費税導入と入れ換えに廃止された税金があったの。もう忘れられちゃったものだけどさ、物品税っていうのがあったの。それはなにかというと、「贅沢品」にかかる税金なの。〔中略〕贅沢品には「高級な外国製」が多かった。もう分かるでしょ? 物品税を廃止することは、「高い輸入品」を買いやすくするという一面があったんですよ。
ホヅミ 日本の税制から、「贅沢品」というカテゴリーがなくなったと。
橋本 その代わり、すべての商品に消費税が平等にかかるようになった。それは、「いるか、いらないかを考えないで、安いんだから買えばいい」という時代への転換なんですね。それが、貿易という局面から生まれたの。〔中略〕そもそも私、「貿易っておかしくない?」って、貿易そのものに懐疑的な人なの。貿易は「西洋人の侵略」で「陰謀」だと思っているぐらいなんですから。
ホヅミ 陰謀、ですか。
橋本 そうですよ。関税撤廃の自由貿易推進なんていう話に対しては、「そもそも保護主義のなにが問題なの」と思ってますね。だって、「自分の国を守る」というのは国家の原則でしょ。「貿易を自由化して輸入関税を撤廃すれば、消費者は安い輸入品を手に入れられる」って言うでしょ。これを誰が言うかっていったらその品を輸出して金儲けが出来る立場の人ね。〔中略〕関税撤廃で安い輸入品が手に入るということがメリットになるのは、その輸入されるものが国内にないか、あるいはすごく足りないって場合だけですよね。国内で同じものを作ってて、そこに安い輸入品がドドッと入って来たら、国内産業は壊滅状態になりますわね。

72-3)十九世紀の「帝国主義」はなんなのかっていうと、基本は商売なんですね。十八世紀の半ば過ぎに起こった産業革命を経た国々が、自国の小さなマーケットから溢れちゃうくらいモノを作り過ぎたので、どこかでそれを売らなきゃいけない。で、モノを売る場所があるのなら、今度は大量に作り続けるために原材料を仕入れなきゃいけない。そうやって、西洋人が他の国を侵略したり、武力で脅したりしながら、自分たちの「市場」と原材料の供給元を広げていく。そのために他国の領土も占領する。いたってシンプルに言ってしまえば、これが十九世紀の植民地主義、帝国主義なんですね。「そういうことが分からないと、西洋に負けて後進国になりますよ」っていう教育を日本人は受けてきたから、これを「よくないこと」と考える習慣がないんですね。
ホヅミ 物を作り過ぎちゃったから、無理やり売ろうとしたのが帝国主義ってことですか。
橋本 手っ取り早く言えば、そう。産業革命って、生産力の大幅アップでしょ。工場をバンバン稼働させれば、それだけ生産量を大幅にアップ出来る。その点で、土地に縛られてる第一次産業とは全然違うんですよね。材料は、産業革命になる以前から、植民地のものをいくらでも自由に運び込める。工場で生産量ををアップすれば、製品のコストダウンにもつながる。そうなったら輸出の競争力は強くなるでしょ。かつての帝国が誇った国土の広さはもう関係ない。でも、そこで不思議なのは、産業革命をさっさと実現してしまった国——つまりイギリスが、どうしてヨーロッパ大陸相手に商売をしなかったかってことですね。

74-5)橋本 日本でいうと、幕末にアメリカの黒船が押し寄せて、それまで鎖国していたのに「開国しろ」とか、「貿易しろ」って迫るじゃない。ヨーロッパやアメリカの要求は基本的に「市場の開放」なんですね。〔中略〕それまで鎖国していても特に不自由なんて感じていなかった江戸時代の日本に、黒船でやってきて「貿易しろ!」って言うのは、結局、「いらないものを買え」って言う押し売りと同じでしょ。しかも、十九世紀の押し売りっていうのは、後ろに軍艦連れていて「あなた、買わないとどうなるか分かります?」って言う人たちがやるんだからさ、恐ろしい。イギリスが中国に仕掛けた「アヘン戦争」なんてもっとタチが悪くて、中国人に麻薬を売りつけて癖にしてしまえば、後はずっと買うんだからっていうことだよね。〔中略〕帝国主義の時代っていうのは、「高圧的なセールスマンの時代」だと考えると分かりやすい。武力を背景に、産業や貿易を通じて、よその国の人や土地を支配していく

83)カワキタ アラビア商人の「値上げ攻勢」に耐えられなくなったヨーロッパ人が、追いつめられて「大航海」に乗り出した……と。

106-7)橋本 資本主義経済は常に前年比プラスを求め、成長し続けなきゃと思っている。でも、本当は「足りちゃった」時点で既に経済は飽和状態に達していて、平均的な欲望が満足されちゃうと、その先ってそんなにいらないはずなの。ところが、そこまで必死に「拡大」と「成長」を続けてきた惰性もあるし、そもそも「それ以外のあり方」というのが思いつかないものだから、本当は必要なくても「まだ金があるなら、それをなにかに使おう」という「浪費癖」が社会に広く定着していった。これが、一九八〇年代後半の「バブル」なんですね。物品税がなくなって、「贅沢品」という考えも消滅するしね。この時期の日本経済は無敵だったから、ぼんやりしててもよかったんだけど、その後になると、「外国に追い抜かれる」という不安要因が生まれて、それが日本経済の尻を叩く。
ホヅミ うーん、「必要なものは足りちゃったから、本当はその先はいらない」っていうのが、僕はいまひとつ分からないのですが。例えば「人よりも優れていると見られたい」とか「お金持ちになりたい」とか「うまいものを食いたい」とか「女にモテたい」とか。この手の欲望っていくらでも出てくるんじゃないかと……。そうやって、際限なく膨らむ人間の「欲望」に「経済」が寄り添うことで、経済もまた無限に発展するんじゃないですか?

150-1)橋本 子供を学校に入れるっていうのはね、樽の中に泥つきのサトイモを入れて洗うようなことなのさ。樽の中に水と大量の泥つきサトイモを入れてね、途中で結んでX字になった二本の太い棒をそこに突っ込んで、掻き回すのさ。そうすると、サトイモ同士はぶつかって、きれいに泥が落ちて洗えるの。それを「イモ洗い」って言うんだけどさ、学校で必要なのは、子供がぶつかり合って、お互いに学び合うことなのね。それが、「外の世界との響き合い」。でも、そういう子供たちの行く先があらかじめ決まっちゃって、「個々に己の道を進みなさい」になっちゃうと、ぶつかり合わないんだよね。互いに牽制し合って、いじめが起こっても「知らない」ってことになって、セーブがきかない。

177)橋本 ではなぜ、エドマンド・バークがフランス革命は「ダメ」って言ったかというと、「なんの根拠もない理念を、いきなり持ってきたってよくない」っていう、ただそれだけなんですよ
カワキタ 理念だけで、地に足が着いてないぞっていう意味ですか。
橋本 そうそう。

179-80)橋本 日本の保守思想家は誰かと言えば、「福沢諭吉」だよね。彼は『学問のすすめ』で庶民にこう語りかける。「別に明治になったからって、なにが変わるわけではない。あなたたちは江戸三百年の間にろくでもない支配を受けてはいたけれども、あなたたち自身はまともな人たちなんだから、これからの日本を作れるはずだ」って。そう言ってることは、ちゃんと読めば分かる。こういう風に、庶民の能力を信じる態度こそが本当の保守主義なんだよね地に足の着いたアプローチで「ものごとを深く考えなさい」と言った福沢諭吉こそが、「保守主義の思想家」だったんだ。でも、そういう保守主義って、今の日本にはもうないのよ。

207)橋本 自国を守るって、国家の基本的な役割だと思うのに、その国家が「保護主義」をやって国内の産業を守ることが、どうして悪いのか分かんないですよ。もう西洋は衰退しちゃってるのに、かつての「商売して儲けさせろ」という、産業革命後の西洋人の考え方だけは、世界スタンダードになってまだ残ってる。もちろん「成長」は悪いことじゃないけど、自国のあり方を犠牲にしてまで、ただ「成長しました」の経済成長を追いかけるのってどうなんだろう。それって国家として守るべき優先順位が間違ってるんじゃないのって思うわけ

220)橋本 個人の欲望から離れた、「損得に左右されない」論理で、世界や歴史を見つめ直すところからスタートし直すしかない。そういう時間のかけ方が必要なの。それをしないと、お互いに考え方が違う人間たちが、共通の土台の上で議論することは出来なくなる。そういう土台なしには「大きなもの」に変わる次の社会の方向性や、実現のための方法論だって、見えてこないわけじゃないですか。私はね、「損得で物事を判断しない」ことを「正義」って呼んでいるんです。「正義」っていう言葉をやたらと使いたがる人の正義って聞くと、私がなんだか嫌だなっていう気がするのは、そういう人たちの「正義」って「自分の好きなあり方」を勝手に正義と呼んでいるだけだから。そうして、自分のあり方を肯定したがっているだけだから。

225-6)橋本 トランプは、「国家を会社のように経営する」って言ってたけど、会社と国家は違います。会社は、不必要な数の社員を雇用しないけど、国家における「社員」に当たる国民は、必要不必要は関係なくて、「国民」としてカウントされるものは全部「国民」だもの。国民の人員整理は出来ない。それをするとなると、「あいつを非正規の社員にしろ、正規の数を減らせ」ということになる。「不法移民の締め出し」は、社員の解雇と同じことで、「あれは正社員じゃないから正社員と同様に扱う必要はない」ということは、人種差別を見事に肯定しますね。経済重視で「国家も会社であればいい」という考え方は、容易に人種差別を導き出す。せめて、そういうことまで冷静に考えてほしいですよね。


@S模原

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by no828 | 2018-04-07 21:22 | 日日
2018年 04月 04日

時代の陰影を風景がまとう

 新年度になりました。今年度もよろしくお願いします。

 3月はTくばへ2回行く機会がありました。いずれも(定年で、異動で)ご退職される3人の先生のご講義を聴くためです。1回目はD学会館の宿泊施設に、2回目はDイワロイネットに、どちらもはじめて泊まりました。

 拝聴してみて、そういえば3人の先生方とは大学院で出会ったために、いわゆる一斉講義を聴く機会はなかったのだということにも気づかされました。また、研究者としてのご関心の展開を伺うことも、そういえばなかなかなかったかもしれません。

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 大学院時代にお世話になった先生がひとり、またひとりと——昨年度は一挙に3人ですが——Tくばを去られるのにはたしかに寂しさもあります。それはおそらく、わたし自身とつながりのある先生が離れられることで、わたし自身とTくばとのつながりも薄れていくように感じられるからでしょう。しかし、それは心持ちの半面であり、もう半面ではそうした事態の推移を淡々と受け止めているところが確実にあります。Tくばはもはやわたしの居場所ではない。3月の訪問では懐かしさを感じたものの、それは言い方を変えれば懐かしさを感じただけの場所だということでもあります。懐かしさを感じられたのはもはやそこにはいないからです。そこは過去の場所である、という印象が強まっている。何のために大学院に残っているのかよくわからなくなってきていた大学院後半から、就職が決まらずに非常勤の仕事を掛け持ちして毎週K東各地へと講義に出かけていた、あの決して明るくはなかった時代の陰影を、Tくばの風景はまとってしまってもいます。駅へのあの道、その橋の向こう。

 わたしはいまわたしのいる場所で精一杯やる以外にありません。何かが生まれるのはそのあとでしかない。

 今回の年度切替は例年以上に慌ただしく迎えています。やれやれ。

@S模原

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by no828 | 2018-04-04 23:49 | 日日
2018年 02月 25日

入試前夜も当日朝も髪はきしむし顔はつっぱる

 本日の入試は滞りなく終了。今回は終日受験生と接する役目があった。(何かを)学びたいと強く念じる人との出会いがあるとおもしろい。自分が講義をしたらどのような応答を示すであろうかと想像する。しかし、教える側の見方を自分がしていることにも気づかされ、それでよいのかと、お前は何様なのだと自省することも頻繁にあった。

 同僚の先生方と世間話を含めいろいろとやりとりできたのもおもしろかった。「同僚」とはいえ、大学教員はざっくらばらんな言葉のやりとりは多くない(と少なくともわたしには感じられる)。しかし、同じ大学で同じ学生と向き合っていくには、研究や教育に対する熱量や工夫のほどをお互いに知っておくのはきっと有意義だ。

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 昨夜は前泊したと昨日書いた。実際に宿泊し、いわゆる浴衣(?)で寝るのは苦手であることを再確認させられた。まれに上下分離型の寝具を用意している宿があり、これからはその点にも着目しようと思ったが、そのようなところは果たしてK府にあるのか。自前で用意するのは荷物が増えるし前向きになれない。また、今回の投宿先にはリンスインシャンプーとボディソープの2種類しか肉体の浄化に資するものがなかった。コンディショナーも洗顔フォームもそれ用のものが別になかった。髪はきしむし、顔はつっぱるしで、このあたりの備えについても今後注意していきたいと思わされるに十分であった。あと、机の前の鏡。これはないほうがよい。ゲラを読んだり本を読んだりしているとき、ふと顔を上げるとそこに自分が映っている必要はまったくない。

@S模原

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by no828 | 2018-02-25 23:43 | 日日
2018年 02月 24日

特急を使わないのも辛い

 S模原からK府までの特急通勤が続く。

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 駅から駅までおよそ1時間30分。自宅から研究室までおよそ2時間。特急を使わなければさらに時間がかかる。通勤時間のこともあって講義や会議がない日は大学へ行かなくなった。勤務先は裁量労働制で出勤管理はない。しかし、研究に関係する本や論文や事典はほとんどすべて研究室にあり、たとえば自宅でゲラを読んでいるときに(まさに目下の状況だ)、「あの本の和訳を確認したい」とか「『社会学辞典』で確かめたい」などということが頻繁にあって不便きわまりない。だが、毎日大学へ行くのも辛い。勤務先から支給される交通費には特急料金は含まれない。つまり、大学へ行けば行くほど自腹を切ることにもなる。片道自由席930円、1日往復1,860円。某JRは高い。交通費で1日およそ5,000円かかる。ビジネスホテルに泊まってもほぼ同じ。むしろ時間が節約できる。しかし、それだとS模原に引っ越した意味が薄れる。

 K府は遠く、お金もかかる。とはいえ、自宅に文献を置く余裕もいまのところない。

 さて、明日は入試業務。今宵は前泊。そう言えば、K府駅前のM印良品がなくなっていた。研究室用の加湿器を買う予定であったのに、いまさらながら。

@K府

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by no828 | 2018-02-24 23:01 | 日日
2018年 01月 23日

ピ○リ除菌中につき

 この間、実家への帰省、中央テストの監督業務など。


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 その日は、中央テストの再試験も行なわれずに済み、大学院から非常勤研究員時代にかけて行なっていた読書会の新年会を都内で開催できた。魚が主のお店。いまや本は読まずにおいしいものを食べたり飲んだりする集まりとなっている。K田君からは朝、体調が悪いので欠席しますという連絡あり。その後あまり時間を置かずに、病院でイ○フルエンザと診断されました、みなさんにうつすところでしたと連絡あり。遠方のためS口も欠席。


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 昨年11月、某ドックの経鼻胃カメラで十二指腸潰瘍と言われ、同時に「ピ○リ菌が確実にいる胃です」とも言われ、すぐに消化器内科を受診し、ピ○リ菌の検査もしてもらった。潰瘍の薬を1カ月飲んだあと——この間は禁酒——、検査結果を聞きに再度受診し、潰瘍の薬をさらに2週間分処方され——この間、クリスマスと年末年始は少し飲酒した——、ピ○リ菌陽性とも告げられる。潰瘍の薬を服用し終わってから飲むようにとピ○リ除菌の薬も処方される。薬局にて薬剤師の方から、「1週間何があっても必ず続けて飲んでください」、「服薬で体調が悪くなっても飲み続けてください」、「服薬中はお酒は絶対に飲まないでください」、「善玉菌も殺してしまう薬なので具合が悪くなるかもしれません。ヨーグルトを食べたり整腸剤を飲んだりしても大丈夫です」などと事前注意を受ける。

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 末弟がすでにピ○リ除菌に取り組んでいて、以前から「井戸水を飲んで育った人はピ○リ菌がいるらしい」——われわれのことだ——、「除菌したほうがいい」と兄2人に忠言していた。今回の帰省で、除菌中に体調が崩れなかったか尋ねたら、「大丈夫だった」と答えたが、同時に「薬を飲んでいるときにお酒飲んだ」とか、「終わってから病院に行っていないから除菌できたかどうかわからない」とも言っていた。まったく頼りにならない。

 ピ○リの話題のときには母は何も言わなかったが、帰省後に宅配便で送ってもらった荷物のなかに整腸剤が含まれていた。メールには「お母さんもピ○リの除菌をしました。しっかり治すように」とあった。家族で話題になったときになぜ何も言わなかったのか。

 読書会の新年会でお酒を飲まないわけにはいかないので、ピ○リ除菌開始はその翌日からに主体的に決定。現在3日目(6/14)が終了したところ。ヨーグルトや整腸剤も適度に摂取中。お酒はもちろん飲んでいない。
 
@S模原

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by no828 | 2018-01-23 21:57 | 日日
2017年 12月 25日

さよならK府(前編(仮))

 目まぐるしく展開する師走の中旬に引越を完了。2年9ヶ月住んだK府の宿舎から県外へ転居。業者に運んでもらったあとも退居手続きのために——そんな手続きがあるとは聞いていなかった——何度か旧宅へ出かけなくてはならなかったのが少々面倒でした。

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 勤務先は変わりません。引越後、早速100分強かけて、特急料金は自腹を切って、電車で通勤しています。授業や会議のない日は基本的に行かず、研究は家で行なうことになりそうです。が、研究に関する本やら論文やらは研究室にあります。今回の引越を機に、学術書を家に持ってきて、家にある小説などを研究室に持っていけばよかったといまさら思っています。逆だよ、逆、という自分による自分への指摘は事後。家は従前より狭くなったので、今回心苦しくも段ボール2箱ぶんの本を捨てました。とりあえず、研究上重要な本などは大学へ行くたびに少しずつ持ち帰ってくることにします。

 生活のしやすさは転居先のほうが——最寄駅周辺はほとんど何もないにもかかわらず——上です。K府は、車がなかったというのも大きな理由ではあると思いますが、とにかく生活がしづらかったです。バスの本数は少ないし、終便も早い、スーパーは20時閉店、資源ゴミと燃えないゴミの収集は月に1回しかない、など。

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 先日の学生とのやりとり。

「先生、ゼミないんですか?」
「残念ながら」
「どうしてないんですか? どうすればゼミできますか?」
「わたしにはどうしようもないな。学部長かな」
「言ったら状況変わりますか?」
「いや……難しいかな。そういう希望があることは伝わるとは思うけど」

 本学の学生の質は低くない。ゼミができればわたしも嬉しい。でも、ここではそれができない。変えなければならないのは住まいだけではないのかもしれない。引越と学生からの問いかけとで、このままここでよいのか、という自問を改めて投げかける機会ともなりました。いまできる研究と教育をしっかり進めていきましょう。

@S模原

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by no828 | 2017-12-25 23:09 | 日日
2017年 11月 15日

S台で「キル・ビル」

 先週末は某学会大会のシンポジウムへ出席するためにS台へ。土曜に移動、日曜に本番。シンポジウムに登壇するのははじめてだ。

 当初は当日入りする予定であったが、結局前泊。シンポジウムは13時開始、事前打ち合わせがお昼休みに入るかもしれないから12時には会場に到着するようにしようと調べたら7時の特急に乗れば間に合うことがわかって、それで行こうと思っていた。ただし、電車が少し遅れて乗り継ぎできないと遅刻する。当日が近づくにつれて遅刻の不安が大きくなり、直前の金曜にS台駅の近くでホテルを探して予約した。

 S台に到着してすぐに、S台駅はパ○ソニック駅か西島○俊駅に名称が変更されたのかと思った。

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 出張先で余裕があれば古本屋を訪れるのが好きだ。今回はそれほど余裕がないからひとまずBからはじまってFで終わるところを調べたら駅の近くにあった。到着後に余裕があったら行こうと思った。学生へのお土産を買ってもいいかなという優しい気持ちも持ち合わせていたので、一応補助としてトートバッグも持っていった。

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 駅に着いてホテルまでの道のりを調べていたら、そのBからはじまって途中Oを通る古本屋がホテルの隣のビルに入っていることがわかった。行かざるをえない、と言わざるをえない。

 T北大学があるからか、学術書が豊富で、かごを持たずに棚を周りはじめたらすぐに持てなくなった。「世界の名著」シリーズを3冊。1冊200円。ベルクソン、バークとマルサス、あと1冊は忘れてしまった。デューイでないことはたしかだ。なぜならデューイはあきらめたからだ。箱から本を抜き出したら小さな虫の死骸が複数見受けられたからだ。

 その土地ならではの本があれば買うようにもしていて、今回はK北新報社についてのものを——震災のことに意図的に触れようという気持ちは正直高まらないが——かごに入れた。

 結局単行本6冊、新書1冊を購入した。文庫を中心に、とも思ったものの、ほとんどまったく引きがなく、大きなものばかりになってしまった。「世界の名著」がとりわけ厚くて重い。

 その後にホテルへ戻って本を置き、近くの「R久」へ。ホテルからもらった一品(小鉢)無料チケットが使えたので、そして一時期S台にいた弟からも推薦されたのでこのお店にした。お酒は飲まなかった(もう2週間くらい飲んでいない)が、ホテルへの帰路にノンアルコールビールを買った。風呂上がりに飲んだ。

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 T北大学へは割と最近できた地下鉄で向かった。2008年に別の学会大会で来たときはこの地下鉄はなく、雨のなかバスで、坂を上って向かった記憶がある。今回は青葉通○番町駅から乗車した。ホテルがS台駅と青葉通○番町駅のあいだくらいにあり、青葉通○番町駅のほうが近かったからだ。S台駅だと戻るかっこうにもなってしまう。

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 キャンパス名を冠したK内駅で下車するようにとプログラムに案内があった。車両は4、5両くらいの短い印象(本当はもっと多くて長いかもしれない)。ただ、ホームと車両のあいだにほとんど隙間がなく、段差もなく、すばらしいと思った。ホームにも柵が設けられていた。

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 シンポジウム当日の打ち合わせでは、以前からお名前だけは存じ上げていた、そしてメールではやりとりさせていただいていた先生方にお目にかかることができた。「名刺かっこいいですね」と、名刺交換するたびに言われて恐縮した。100枚で大体500円です、ウェブ上で自分で作成して印刷して送ってもらうサービスです、とお答えした。ある先生からは「ハシモトさんは見た目いかついのに、振る舞いは控えめで、発表内容はアグレッシブで「キル・ビル」みたいだね」と言われたが、「キル・ビル」を観たことがないのでよくわからない。反応も希薄であったかもしれない。「アグレッシブ」かどうかもわからないが、これまでの自分の研究を紹介するだけではまず自分がつまらないと感じるし、何か新しいことを、何か論点を、と思って取り組んだ内容ではあった。

 話は当然ながら発表内容に及ぶわけで、その話をしながら研究上のつながりはやはりおもしろいと感じた。今日これが終わってしまうのは残念だとも、このときにすでに感じた。

 聴衆は50、60人ほどであったかもしれない。階段教室というかちょっとしたホールで、真ん中から後ろにかけての席は埋まっていたという印象だ。

 会員ではない学会であり、参加するのもはじめての学会であり、この学会の雰囲気や作法といったものがまったくわからなかった。発表のはじめにジョークを入れようかと準備していたが、話す順番になって前に立ってみると“ここはそうではない”というメッセージを受け取ってしまったので取りやめた。

 登壇者3名の発表後、休憩を挟み、その時間にフロアから紙で質問が募集された。質問は登壇者に満遍なくあった。再開してまずはそれらに応答し、その後に質問がオープンに募集された。わたしに対するやや攻撃的な質問があり、正直に言って趣旨とはややずれたものだと感じたが、何とか応答を試みた。

 シンポジウム後に参加者の方何人かとお話ができた。わたしにやや攻撃的な質問を投じた方はすぐに帰られてしまい、お話ができなかった。企画者の先生とも改めて言葉を交わした。この学会に入るかどうかは別にして、こういうやりとりは続けていきたいと改めて思った。

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 今回、会員でもない学会からお声がかかったのは、大会校の先生方がこの本(  )を読んでくださって、わたしの章にご関心を持ってくださったからだ。研究で生まれるつながりはとても嬉しい。

 結局、学生へのお土産は買えなかった。古本を入れたトートバッグにはわずかな隙間しか残されなかった。

@研究室

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by no828 | 2017-11-15 19:59 | 日日
2017年 10月 20日

N須塩原のサックス

 今月の3連休には従姉妹の結婚式・披露宴。場所はN須。9時30分集合のため、K府からの当日入りは無理。T川、O宮経由でN須塩原へ前日入り。T川で途中下車し、Bックオフに15分ほど立ち寄る。目当ての本があったわけではなく、あ行からただただ目を移行させる。こうした時間は最近ほとんどまったくない。この前本当に久しぶりに持てた(→ ⚫︎)。そこでの気分の上昇が持続していて、今回の途中下車となった。時間の贅沢な使い方だ。この日は1冊だけ単行本を購入し、そのぶん荷物を多くして、重くして、また電車に乗り込む。

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 T川駅改札前にはH根駅伝予選会の宣伝の一画。母校の幟も発見。

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 N須で前泊するホテルをY叔父——わたしの母の弟——一家総勢8名と同じにした。とはいえ、わたしの部屋は別館で、ビジネスホテルの一室といった具合。N須塩原駅からタクシーでホテルに向かい、部屋で荷物を解き、それから本館の叔父たちの広い、きれいな部屋へ行き、そこで一杯すすめられ、19時から夕食をともにする。夕食後も叔父の部屋でまた飲む。別館に戻ったのは24時。

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 当日はタクシーで、まずは結婚式場へ向かう。式自体は撮影禁止であったため、写真はない。親族紹介で、新婦の父であるK叔父——わたしの母の妹の夫——が親族ふたりの名前を間違えた。緊張ぶりがうかがえた。式と披露宴会場は離れていて、式後の移動では、Y叔父たちの車に便乗させてもらった。

 上の写真は披露宴会場の様子で、全体的にピンク色とDィズニー色の装飾になっていた。新郎新婦ふたりともにDィズニーは好きなようであったが、とりわけ好きなのは新郎で、それは幼い頃から毎年ご両親に連れていってもらっていたからだそうだ。新しい家族でもその慣わしは続けたいと言っていた。

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 新郎新婦の登場にあたっては、会場の外に出て、そこでウェルカムスピーチや祝辞や乾杯もなされた。こういうやり方ははじめてだ。

 披露宴でとりわけ感動したのは、新婦の父、つまりK叔父のいわゆるサプライズ演出で、それはN島みゆきのあの歌のサックス演奏というものであった。今年の5月にまったく演奏できないところから習いはじめ、新婦である娘が好きでもある曲を月に3回、誰にも言わずに練習してきたらしい。とはいえ、演奏は正直ぎこちなかった。が、そのぎこちなくも懸命に演奏する姿がむしろよかった。

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 従姉妹たちとは、幼い頃はよく集まっていたが、わたしが中学に入ったくらいから——だと思うが——なかなかそういうわけにもいかず、だからわたしの従姉妹の印象は小さいままだ。その後にももちろんたまには会うことがあり、その小さい印象は更新されてしかるべきだが、それはうまくいっていない。しかし、みんな大きくなっている。わたしも年を重ねている。意識が実年齢に追いつかない。

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 Aやの、結婚おめでとう。新郎が優しそうな人でよかった。歓びのある日々を。

@研究室

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by no828 | 2017-10-20 18:33 | 日日
2017年 10月 12日

パンにはチキン、コーヒーには泡

 某翻訳・出版の検討会を2日間合宿形式で実施。場所はK分寺。投宿先はK分寺で確保できず、T川。K府からだと初日の開始時間に間に合わないため、前泊(6時すぎの鈍行に乗ると間に合うようだが、それは辛い。早いし、時間がかかりすぎる)。T川には21時頃到着。



 お昼休憩やK分寺駅までの帰路に古本屋を散策。K分寺だと下掲写真のお店が——少なくともわたしの研究関心に照らすと——よいという印象。古本だとN荻窪駅界隈がよいと聞くものの、まだ1度も行ったことがない。

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 T川駅前(=ホテル前)のラーメン店街にも行ってみた。

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 宿泊は朝食付きのプランであったが、ホテル内で朝食を摂れるわけではない。チェックイン時に、近隣のBックスコーヒー(など)へ行かなければならないと説明された(そんな説明を予約のときに読んだ気もする)。初日は朝食券か、クオカードの選択(お店が狭くて混雑するためクオカードも用意した、と説明を受けた)、2日目はなぜか朝食券のみ(お店が変わるわけではないのにクオカードは示されなかった)。両日ともに悠長に朝食を摂る余裕がなかったため(普段もヨーグルトとバナナくらいしか食べないし)、食べずにK分寺へ向かう。そういえば、そのときのクオカードをまだ使っていない。2日目の朝食券は朝食の時間帯を過ぎても使えるということであったので、K府への帰路T川で途中下車して夕食券として使用した。

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 パンにはチキン、コーヒーには泡。

@研究室

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by no828 | 2017-10-12 19:22 | 日日