思索の森と空の群青

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2018年 03月 28日

貴公は錠と見れば絶対に開かないとまずは考えるのだネ。要するに貴公は錠を開けたいと端から思っていないのだ。だから開かないのだ——奥泉光『新・地底旅行』

 奥泉光『新・地底旅行』朝日新聞社、2004年。56(1123)


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 ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』は読んでいない。「栄養」が「営養」と表記されていて、誤植かと思ったが、そういう表記もあるようだ。

 わたしは閉鎖空間があまり好きではない。地底世界もまたかなりの閉鎖空間ではないかと想像する。この肉体もまた閉鎖空間である。かつては肉体を超えたい、肉体は要らないと思っていたが、それはやはり無理だ。最後の引用部分からそんなことも思ったというか、思い出した。

200)事実というのは敢えて言葉にするから事実として確定する性質があるので、したがって何でも言葉にせぬ限りは事実にならぬのが助かる。

200)時計がないのは全く不便だ。時刻が分からんと、いつ飯を喰い、いつ寝たらいいか、まるで分からなくなってしまう。腹が減るから喰い、眠たくなるから眠るのが動物の本然の姿なんだろうが、人間は動物の一種類であるにもかかわらず時計なしには腹の減り具合、瞼の重たさ加減さえ分からんのだから頼りないもんだ。

201)不安が複数重なった場合、相乗効果が発揮されて不安いや増すのが大抵である。ところが、不安の数があまり多過ぎると互いに打ち消すようになるものらしい。心に不安がある段階から出て、むしろ不安のなかに心が全面的に呑み込まれる状態になると、ほとんど平静と変わらなくなるから不思議だ

342)「広さという概念は、有限な物にのみ妥当する概念なのです〔中略〕現代数学の方では、これを閉じて居ると表します。広さは閉じた図形についてのみいいうる。かりに三角が閉じておらず、一部が外へ開いておったら面積は測れんでしょう? それと同じで、数学上開いた物について広さは定義出来ない。すなわち広さはないのであります

428)「貴公は、あれですナ」と猫が溜息をついた。「何をするんでも、きっと自分は失敗するんだろうと、まずは諦めてから始める質なんでしょう?
 図星である。私は人からは恬淡と見られることが多いが、身に染みついた悲観主義故に、大志大望を抱き得ぬところに我が性格の本然が存するのは疑えない。恬淡と見えるのは、欲を出すと裏切られた時辛いから、成る可く欲を出さぬよう心がけているだけの話だ。死ぬのが嫌だと思うと、死ぬのが苦しくなるから、死んでもいいと思案する。異性に好かれたいと願えば、相手にされなかった時が辛いので、独身主義を標榜する。
つまり貴公は錠と見れば絶対に開かないとまずは考えるのだネ」と猫がまた長嘆息した。「要するに貴公は錠を開けたいと端から思っていないのだ。だから開かないのだ
 猫の批評は我が急所を衝いて匕首のごとく胸にぐさり突き刺さった。

444)「要するに意識の問題なんですけれど、意識を自分で制御するのは案外簡単じゃないのヨ

446)「私も戻りたくないと思うわ。いまの状態から較べたら、窮屈な躰に閉じ込められるなんて牢屋にいるのと同じだもの」と都美子魚は再度夢見る調子になった。「躰なんかいらないわ〔中略〕躰なんてじき滅びるのヨ。電気的パタンはおそらく永遠に死ぬことはない」
「しかし、永遠に生きるってのも、案外退屈なんじゃないですかネ」〔中略〕
「そうかしらネ」と意外に素直に都美子魚は応答した。

 もう年度末だというのに、昨年読んだ本についてのアップロードがまだ終わらない。

@S模原

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by no828 | 2018-03-28 23:11 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 25日

管理教育はいかんなんて文部省はいっているが、まったく馬鹿な話さ。本質的に学校イコール管理なんだからね。管理をやめたければ学校をなくせばいい——奥泉光『プラトン学園』

 奥泉光『プラトン学園』講談社、1997年。55(1122)


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 英語の新任教師である木苺が赴任した、日本海の小島にある、インターネットで管理された学校が舞台。奥泉光の本だから、というのはあるが、教育や学校のあり方について考えるための契機があるのではないかとも思って読んだ。

 言うまでもなく、「教育」と「学校教育」とは別物である。“教育とは……”と語られるときに“学校教育とは……”が意味されることもある。学校教育に問題があるから教育まで否定するというのは短絡である。

66-7)「君は学校は何故あると思う?」と福島が唐突に質問した。
子供は教育するためでしょうか」木苺はこれではほとんど答えになっていないと思いながらいった。
教育なら学校じゃなくたってできるさ」案の定福島は即座にいう。「子供を一カ所に集めて隔離するのが学校だ。大人に働いている横で、子供にうろちょろされたんでは迷惑するだろう。だからまとめて閉じ込めておくのさ。要するに学校とは強制収容所なんだ。そういう意味では、ここのように隔絶した場所にある学校っていうのは理想的な環境といえるね。なにしろ生徒はどこにも逃げられないんだからね
 皮肉な冗談をいっているのかと思えば、そうでもないらしい。卓に肘をついた福島が続ける。
管理教育はいかんなんて文部省はいっているが、まったく馬鹿な話さ。本質的に学校イコール管理なんだからね。管理をやめたければ学校をなくせばいい

333-4)「教育というと何かを教えることだと思っている人が多いが、実は違うのだね。それは教師という職業の者にありがちな勘違いだ。人間は自ら学んだものしか身につかない。植物が自然と種から芽を出して葉を伸ばしていくようなものだ。子供は勝手に育つものさ。肥料や水をやる必要もない。むしろ周りで余計なことをしないほうがいい。かえって邪魔になる。教育しているつもりで、教育とは正反対のことをしている教師があまりにも多すぎるのだね
とすると、教師というのは、どうして存在するんでしょうか」〔中略〕
鑑賞するためにさ。育った植物はやがて花を咲かせる。その美しい花を縁側から眺めて愉しむ。それが教師の仕事だ。君は理想に近づいている。」

87-90)「かりに教育に理想というものがあるとしたら、それはたったひとつしかない。すなわち、教育をしないことです〔中略〕単純なことです。つまり教育とは、近代にあっては必要悪以外の何物でもない。なければ困るからやっているだけです。したがって、理想の教育が存在するなどと考えるのは、まったく倒錯もはなはだしい」〔中略〕
「でも、福島先生、どうして最初から教育は悪だって決めつけなきゃいけないんです?」〔中略〕
「毎日仕事をしていて、そう感じませんかね」
「どういうことかしら?」
日々子供を抑圧し、押さえつけ〔ママ〕、型にはめていると感じないですか
「そういう面は当然あるわ。私だって教師ですから、それがないなんて主張するほど偽善者じゃない。でも、それは仕方ないことでしょう?」
「そうです〔中略〕教育がいらないなんて、私はいってません。教育は是非とも必要です。けれども、それは決していいものじゃない
でも、いい面だってあるでしょう?
たとえば、どういう面で?」〔中略〕
その場合、引き出されるのは、社会や国家が必要とする限りにおいての能力、あるいは個性だけです。それ以外の可能性はすべて圧殺される
「それは、ちょっとおかしいわ」〔中略〕
「かりに先生のいうとおりだとしても、能力や個性を引き出すこと自体はいいことなんじゃない?」〔中略〕
「そうですかね」〔中略〕
「たとえば、こう考えてみたらどうでしょう〔中略〕いま私が軍隊の新兵を教育する教官だとする。私は生徒たちに戦争に必要な基本技術をまず教えます。軍隊の運営に必要な規律をたたきこむ。そのうちに、私はある生徒がとても眼がいいのに気がつく。そこで私は彼にライフルを貸し与え、射撃の能力を伸ばしてやる。別の生徒は計算能力がある。そこで彼を暗号解読の専門家に育てて個性を大きく伸ばしてやる。また別の生徒は残忍かつ冷酷である。その特性を生かして謀略の専門家に育てあげる。こうして私は、生徒の個性に応じた能力を、伸び伸びと育成し、引き出すことになるわけです
「暴論だわ、暴論!」〔中略〕
「学校と軍隊は違います。そういう考えはファシズムです!」
「ファシズムかどうかは知りませんが、必要に応じて能力を引き出す点についてのみみるなら、同じですよ」
「絶対に違います!」〔中略〕
もし子供の能力や個性を存分に発揮させることが教育の理想なら、軍隊教育が一番理想に近いでしょう。徹底して合理的に教育ができますから。自立心や連帯感を養うにも軍隊にまさるものはない。人間は死に直面してはじめて真に自立できる。あるいは、死の危険を共有することではじめて、本当の意味で連帯できるものですから

@S模原

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by no828 | 2018-03-25 22:06 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 21日

国民を政治的な意味で不幸にしたくなければ、まちがっても、哲学とか社会学とかいった危険なものをあたえて、事実を総合的に考える術を教えるんじゃない——ブラッドベリ『華氏451度』

 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』宇野利泰訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF)、2008年。54(1121)

 原題は Fahrenheit 451、刊行は1953年

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 焚書の時代は全体主義の時代。思考の内容を伝える手段としての本。

 燃やされたものを復元する技術はいつの日か可能になるのか、とふと思った。

110-1)「ゆうべはじめて、書物の背後には、それぞれひとりの人間がいることを知った。その人間が考えぬいたうえで、ながい時間をかけ、その考えを、紙の上に書きしるしたのが、あの書物なんだ。そのことを、ぼくはいままで、考えてもみなかった——〔中略〕その人間が、考えていることを書物にするまでには、おそらく一生を費やしたのじゃないかな。世界を見、人を見、一生をかえて考えぬいたあげく、書物のかたちにしているのだ。それをぼくたちは、情報を受けると、わずか二分間で駆けつけて、ボーンだ。それでなにもかもおしまいになるのだ」

122)「書物には、漫画をふやす。写真を増す。それによって、頭脳の回転を防ぐことができる。こみいったことは考えられなくなるが、それもまたけっこうなことさ。気がみじかくなって、公道で車をすっとばす群衆が無数にふえてくるが、いい傾向だ。どこへ行こうかなど、考えることはない。ただ、どこかへ行きさえすればいい

127-8)「黒い民族は、“リトル・ブラック・サンボ”を好まない。だから、それを焼いてしまう。タバコと肺ガンについての書物を書いたやつがいる。タバコのみ〔スモーカーとルビ〕はそれを読むと、がっかりする。そこで、そいつも焼いてしまう。平穏無事が幸福の要領だよ、モンターグ。平和こそ人生なんだ、モンターグ。内心との戦いはぜったい禁物。争いごとは、外へむけろ。できれば、焼却炉へ投げこむことだ。葬式は悲しくて、野蛮なものだ。だから葬式は廃止された。〔中略〕どんな人間であろうと、回顧録など書いて残してはいかん。みんな忘れ去ってしまうこと。なにもかも焼いてしまうこと。あらゆるものを焼くことだ。火はあかるく、きれいにかがやいているんだぜ」

129)「あれはきみ、ものの成立の経過を知ろうとしないで、なんのためにそうなったか、理由ばかりを知りたがったそうだ。こいつはやっかいな問題でね。万事につけ、〈なぜ〉ってことを知ろうとすると、だれだって不幸になるにきまっている。かわいそうなことだが、けっきょくあの娘、死んでしあわせだったな」

129-30)「釘と材木がなければ、家は建たんのだ。家を建てさせたくなければ、釘と材木を隠せばいい。国民を政治的な意味で不幸にしたくなければ、すべての問題には、ふたつの面があることを教えてはならん。ひとつだけあたえておくのが要領なのさ。なにもあたえずにすめば、それに越したことはないがね。〔中略〕まちがっても、哲学とか社会学とかいった危険なものをあたえて、事実を総合的に考える術を教えるんじゃない

177-8)「たしかにわれわれの社会には、三つのものが欠けておりますな。そのひとつ、なぜ書物は重要であるか、その理由をご存じかな? そこには、ものの本質がしめされておるのです。われわれがものの本質を知らなくなってから久しい。では、本質とはなにか? わしにいわせれば、それはものの核心を意味する。それをのぞかせる気孔が、書物のうちにある。もののすがたを見せておる。〔中略〕気孔が多ければ、多いほど——わずか一インチ四方のところに、人の世のこまかな出来ごとが、忠実に記されておればおるほど——あんたは、文字がつたえるよろこびに触れることができるはずだ。それがわしの定義でね。すべてをことこまかく語れ。新しい詳細を語れ。すぐれた著者は、生命の深奥を探りあてる。凡庸な者は、表面を撫でるにすぎん。劣悪な著者となると、ただむやみに手をつけて、かきまわすだけのこと、であとはどうなれと、捨て去ってしまうんです」

179)「欠けている二ばんめは?」
「閑暇ですな」
「しかし、ぼくたちには、勤務外の時間がありすぎるほどありますが」
勤務外の時間はありましょうな。しかし、考える時間はどうです? 勤務外に、あんたがたはなにをしておられる? 時速百マイルで、自動車を疾走させる。そのあいだ、あんたがたの頭には、危険をふせごうとする以外に、なにがあります? あとは、カードの勝負に興じるか、どこかの部屋に腰かけて、テレビの壁をながめることくらいのことだ。それも、ながめるだけで、相手にして、議論するわけにはいかんでしょう。なぜかというと、テレビジョンは〈現実〉そのものだからだ。直接的であり、大きさをもっておる。こう考えろと命令してくる。正しいことであるはずだ。そう思うと、正しいように思われてくる。あまりにもすばやく、あまりに強引に結論をおしつけてくるので、だれもがそれに、抗議しておる余裕がない。“ばかばかしい!”というのが、せいぜいのことで」

181)「三ばんめに必要なものが、手にはいりさえすればですな。さっきもいったように、第一に大切なのは、われわれの知識が、ものの本質をつかむこと。第二には、それを消化するだけの閑暇をもつこと。そして第三には、最初の両者の相互作用から学びとったものに基礎をおいて、正しい行動に出ることにある

324)「ただひとつ、わしたちにとって、忘れてならぬ重要なことは、わしたちだけが衆にすぐれた存在だというわけではない点だ。けっして、衒学者になってはならん。わしたちだけが、このひろい世間で、もっともすぐれた人間だなどと、夢にも思いはしなかった。いわば、わしたちは、書物のほこりよけのカバーみたいなもの、それ以上、なんの意味ももってはおらんのだ

330)「わしの祖父は、この世界を形づくっておった。祖父は世界のために、じつに多くの仕事を果たした。祖父が息をひきとったその夜、この世界は、りっぱな行為の一千万分の一だけ、破産したといえるのだった

331-2)「人間である以上、死ぬときはかならず、あとになにかをのこしておくべきだ。わしの祖父が、そういっておった。子供をひとり、本を一冊、絵を一枚、家を一軒、築いた塀をひとつ、あるいはまた、こしらえた靴を一足。それでなければ、自分の手で丹精した庭園、なんでもよろしい。なにかの意味で、自分の手の触れたものをのこしておかねばならぬ。それによって、たとえ死んでも、たましいが行き場に迷うことはない。おまえの植えた木なり花なりが、他人の眼に触れることは、おまえがそこに存在することだ。つくりあげたものがなんであろうと、それは問題ではない。おまえの手がくわわる以前と、おまえが手をひいたあととをくらべて、なにかおまえを思いださせるだけのものがのこっておれば、それでいいのだ。なにをしようと問題ではない。祖父がいったことばを借りると、芝生を刈るだけの男と、庭園をつくりあげた男との相違は、それをつくりあげたかどうかにある。祖父はいったよ。芝刈人はいなかったも同然だ。だが、庭師は生涯を通じて、その庭のうちに存在するんだとね

@S模原

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by no828 | 2018-03-21 22:48 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 21日

引用なし——法月綸太郎『キングを探せ』

 法月綸太郎『キングを探せ』講談社(講談社文庫)、2015年。53(1120)

 単行本は2011年に同社

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「四人が結団式の場に選んだのは、繁華街のカラオケボックスだった」からはじまる四重交換殺人ミステリ。辻褄が合っていく展開をおもしろく読んだ。引用はない。

@S模原 

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by no828 | 2018-03-21 22:33 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 20日

失敗することを避けていると、判別する能力が育たないので、最終的に人の評価に頼らざるを得なくなってしまいます——嶋浩一郎『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』

 嶋浩一郎『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』祥伝社(祥伝社新書)、2013年。52(1119)


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 発想法の本、とまとめてしまおう。一見無関係な要素をつなぎ合わせることの重要性が説かれている。そのために本屋は適しているということのようだ。自分の想定の内部に閉じこもるな、自分の想定の外部からやってくる情報を受け止めろ。

3)いまはネットでさまざまな情報を簡単に手に入れられる時代ですから、どんな仕事においても必要とされるのは、何かを知っている人ではなく、何かを発想できる人なのです。〔中略〕発想のためには、〔中略〕日常生活の中で偶然出会う、「想定外」の「無駄」な情報が役に立ったりすることも多いです。日常生活の中で、そんな想定外で無駄な情報に出会える場、それが本屋です。だから、「いい企画やアイデアをひらめきたいなら、まず本屋に行こう」というのが、この本で伝えたいことです。

15)いいアイデアを生むためには、自分の中だけで考えているのではなく、やはり多くの情報を集めることが必要となります。

29-30)入口は入りやすいけれども、人文科学や自然科学の基本や最先端までたどり着けるルートをきちんとつくっていくことが、本屋には求められているのではないでしょうか。〔中略〕恵文社は、それが非常にうまくできているすばらしい書店です。〔中略〕なぜそういった書店が少ないか。やはり、本屋というのは、整理整頓や在庫管理の観点から見ると、新書は新書、文庫は文庫で、あるいは著者ごとなどというように管理しやすい形で並べたくなる。〔中略〕一冊一冊の本に対して、この本は在庫がどこにあるかということがわからないような棚の並べ方はすごく負担が大きいのです。だからこそ、その一手間をかけられる書店の存在はすごく貴重なもので、それは本を買う人にとっても大事なものだと思います。

37)いまコンピュータの分野では、MIT(マサチューセッツ工科大学)の石井裕教授などが提唱している「タンジブル(触れられる)」という概念が注目されています。それと同じように、本屋というのは、この広い世界全体がタンジブルになっている場所なのです

53-4)知りたい情報をできるだけ手間をかけずに知ることができる手段も、もちろん大切なことです。けれども、それが世界の縮図の中でどこに位置しているかを知ることも、ときどきは大切なことだと思うのです。ネットだけに頼って生活していると、自分の知った情報が世の中のすべてであるかのように思えてきてしまう危険があります。

69)本を買うという行為は、この情報が欲しかった自分を「マーキング」するということでもある

71)買った本が積まれた状況は、自分が知りたいことや欲求の鏡だといえます。それが目に入るところにあって、日常的にざっと眺めるだけでも、相当な知的刺激になります。その日、天文学とジャズの本両方を欲しかった自分がいる。それをそのまま残しておくことがいいのです。

74) 「つまんねー、これ」という体験は、一見無駄なものですが、そういう経験をしていかないと本当にいいものはわかりません。失敗することを避けていると、判別する能力が育たないので、最終的に人の評価に頼らざるを得なくなってしまいます。

78)まず、本は全部読む必要なんてありません。基本的に本は、最初に大切なことや結論が書いてあります。「はじめに」とか第一章を読めば、著者のいいたいことは大体わかります。ですから、そこだけ読んで終了でもいいのです。〔中略〕ジャン=リュック・ゴダール曰く「映画は一五分だけ見ればわかる」そうです。実際、ゴダールは冒頭の一五分を見ると、映画館を出て次の映画を見にいっていたといいます。読書においても、このゴダール的手法は使えます。永江朗さんはこれを「ゴダール式読書術」と呼んでいます。初めの数ページを読んで、著者が何をいいたいのか、とか何について書かれた本なのかがわかったらパタンと本を閉じて、次の本に向かう。それで全然かまいません。

93)一つのところにまとめて置いておく本棚というものは、自分の思考を可視化できるという面で非常にすぐれています。本棚は、ネットの検索履歴に似ています。自分の興味や関心が過去から現在にわたってずらりと並んでいる。〔中略〕本棚には、そうした検索履歴が常に一覧性をもって、手の届く場所にある。さらに本を並べ替えることで編集も可能だという利点があるのです。

103-4)想定外の要素を組み合わせたとき、「斬新な」アイデアが生まれるのです。「斬新な」とか「新しい」といったときに誰もが思うのは、「これまでに誰も考えたことがない」ということです。〔中略〕ある日突然まったく違うもの、誰もが同じフォルダに入るとは思っていないことを結びつける能力、それが企画力です。

106)ギャップや振れ幅をつくるためには、どこかまったく別のところから「異分子」を探してきて、想定外の組み合わせをつくる思考法が必要なのです。

120)本を読んだときには何の役に立つかわからなかった情報が、アイデアを生むのに必要な「異分子」となることもあるのです。〔中略〕本から得られる「無駄な知識」の効用をもう一度見直してみよう

121)目的や答えに向かって一直線に行かず、迂回することによって思考は確実に深まります。そして、それは企画力だけでなく、話や文章の技術をあげることにもつながります。

122)あえて答えを探さない勇気。それが求められているのです。探しているものだけで企画をつくるとろくなものはできません。それは誰にでもできることだからです。

126)最近は、「知る」ということが検索的な「知りたかったことを知る」の意味にかたよりすぎているように感じます。「知らないことを知らない」と検索は気づかせてくれません。その意味で検索は「見たことのあるもの」しか見つからないのです。知ろうと思ったことだけを知っていては自分の世界は広がりません。「知らないもの」は、知ろうとさえ思わないからです。

135)結局、必要なのは「ゆだねる」ことです。この本のタイトルを「ゆだねる力」にしてもいいくらいです。ゆだねて、新しい世界につれていってもらう。

135)検索的な思考では、抹茶小倉スパゲッティは生まれません。それは、それまでの常識的な「スパゲッティの世界」から出ることができないからです。読書的な思考から生まれるクリエイティブ・ジャンプだけが、それを可能にします。

175-6)嶋 Qを探すこととか。
内沼〔晋太郎〕 Q自体がいっぱいある場所。Qがないと何のために生きていくのかわからないですよね。たとえば仕事でも、何も考えずにAが得られたりする、すなわち収入が増えたりしても「そのお金をどうやって使うの?」というQに答えられない。
嶋 いいな。新しいクエスチョンを探せる場所というのはいい概念だな。


@S模原

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by no828 | 2018-03-20 22:02 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 19日

だが、夢は、夢である間だけ、システムに抗する力がある。夢が作品になれば、それで終わりだ——村上龍『愛と幻想のファシズム』

 村上龍『愛と幻想のファシズム 上・下』講談社(講談社文庫)、1990年。51(1118)

 単行本は1987年

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 社会進化論や優生学の発想から徐々に政治小説の性格を帯びていく。システムを破壊するためには別のシステムが必要なのか。カリスマ性のある強いリーダーも必要なのか。

上9)狩猟はそれ自体がすでに快楽だ、というのが彼の口癖だった。狩猟者の場合、肉を食おうと決めてから実際に肉を口にするまで恐ろしいほど時間がかかる、探索、追跡、襲撃、解体、運搬、それらの長い長い過程そのものを、神は快楽となるようにしてくれたのさ、狩りによって俺達は人間になった、だから狩りをしない奴は人間じゃなくて、まだ猿なんだ、いや猿に戻ったというべきかな。

上39)「真実っていうのはな、あんたみたいな未熟児は昔だったらみんな死んでるってことだ〔中略〕真実ってあるんだよ、生態系的な真実はある、今それを民主主義と医学が隠してしまってる、あんたは未熟児で生まれてきただろう? 医学がそれを助けた、そんなことをするから人口が増える、エネルギーが余計に必要になる、大変なムダだよ、そのことはわかるだろ?〔中略〕あんなは醜い、あの女も醜い、だから子供は作るな」

上73)誇り高い狩猟民が姿を消して、百姓と奴隷が誕生した。このことが、すべてなんだ、百姓は楽だった、奴隷も楽だった、自分で判断しなくてもいい、獲物を、危険を冒して倒す必要はない、他人がこうやれと言うことをやればいいんだ、こんなに楽なことはない、いいか、何度でも言うぞ、百姓と奴隷ほど楽な生き方はないんだ

上99)制度化された差別ではなく、人類が生きのびる上で必要な本質的な「差別」、人類を動物に含むという前提での「差別」を擁立しなければならない

上121)「恐怖に勝てるのは興奮だけなんだよ

上139)「今の日本でも同じでしょ? 勉強したくない奴が無理に高校なんかに行って非行に走るわけだから、あいつらは教育なんかしないで奴隷らしくこき使ってやればいいんですよ、教育ったって受け入れる頭がないんだから

上193)「正しい、もっとはっきり言えば、経済というものが生まれたからですね、生命力ではなく、経済が人間を支配するようになった、それが原因です、なるほどね、あなた方は実に愉快だ、ファシズムか、面白い、だが、あなた方のは、幻想のロマンティックなファシズムだな、うん、そうだ、愛と幻想のファシズムだ〔中略〕すべては、経済が要求するのです、芸術も戦争も革命、経済が要求するのです

上282) 「よく考えてみたら、俺はシステムというやつを呪ってたんだ
「システム?」
「うん、お前に感動して、一緒にこういうことをやろうとしたのも、お前があらゆるシステムの、外にいる男だと思ったからなんだ

上282-3) 「熊が道路を作らないのは知能が劣っているからじゃなくて、必要としないからだ、道路がなければ歩けない人間の方が哀れな生きものなんだ、違うか?
「まあ、そう言いきれるかどうかはわからないけどな」

上297-8) 「幸福は金で買えないというのは嘘だ、金持ち達の心や社会が歪んでいるというのも嘘だ、貧しいけれども小さな幸福というのも嘘だ、貧しい人間には快楽も情報も与えられない、奴隷制は消えていない、奴隷となるのは楽だからだ、人類はそういう道を選んだ〔中略〕うまいものを食って人は豊かで優しい気持ちになる、俺は快楽を知っている、狩猟の快楽は他の何よりもすごい、だが俺はその快楽を必死になって手に入れたんだ、あいつらは黙っていても手に入れることができる、努力して手に入れるものに価値があるというのは、芸術家とスポーツ選手にだけ言えることで、貧乏人には当てはまらない、嘘なんだ

上327)「人間に欲望があるというのは嘘だ、いいかね? 例えばペルーのスラムに住む女の子がテレビのコマーシャルを見て口紅を欲しがるとするね、でもテレビで見る前は口紅を知らなかったのだから、口紅を欲しいという欲望はなかったことになる、口紅のコマーシャルが欲望を生んだんだ、わかるか?〔中略〕この地域に昔から住む人達が、ぬかるみとリヤカーに戻れないのは、欲望が最初から自分にあると勘違いしているからだ、ものがなくても私達は生きていける、本当はいつでもリヤカーに戻れる

上345-6)「神経症というのは大体自分に整理のつかない問題があって、解決を病気に求めるもんなんだ、野生動物は神経症にかからない、山岸君は野生動物だろう?」〔中略〕
「何か、うまいコツを一つ教えてくれませんか? 隊員の中に、たまにいるんです、ほんとにたまにですが、食欲を失くしたり、眠れなくなったり、相談を受けるんですが、トウジさんのビデオを見せるだけじゃ効かないこともあって……」
「しかし半軍隊の『クロマニヨン』でもそういうことがあるのかね、軍隊では神経症はほとんどないよ、外からの規制が厳しいと神経症にはなりにくいんだ
「だから、たまにって言ってるでしょう、それとまだ戦う機会がないから、苛々するのかも知れません」
「そうか、そんなのは簡単だ、眠れないという奴には起きてろと言えばいい、食えないという奴には食うなと言えばいいよ、いつか、疲れ果てて眠るし、ひどく腹が減れば、食うよ

上354)本当は人間には何の欲望もない。対象があるために欲望が発生するだけだ。もし、欲望の充足、つまり自らの欲望の消去、または消去の過程を、快楽と呼ぶのならば、グリズリーは、永遠の快楽と共に在ることになる。笑顔も涙も、薬も宗教も、小説もストライキも、要らない。〔中略〕グリズリーがうらやましかった。心の底からけだものになりたいと思った。いろいろなものを生みだしてきた、つまりさまざまなものが必要であるように進化してきた、祖先を、俺は軽蔑した。

上354-5)「生まれついて不完全な人間は、様々なものでその不完全さをカバーしようとするわけでね、自分というのもとても不確かなものなんだ、例えばね、自分のありとあらゆる知り合い、肉親、会社の上司、仲間から、ある日突然お前なんか知らないと言われてごらん、百パーセント、発狂するよ、他人から確認されて、自分が自分だといつもわかるだけなんだ、だから、確認を失った人々、自ら確認を拒否した人々、つまり狂人の中にいると、常に確認が必要な我々が逆に不自然極まるように思えてくるわけだ、そして、ある人が何によって、自分を確認しているのかを他人が理解するのはひどくむずかしい

上401-2)「病気じゃない人間が自殺を考える原因を知ってるか? 原因というか、条件といってもいいけど、それは、頭がいいってことだ。それと、自分の才能の無さに気付くってことだよ、オレは気付いてしまったんだ、オレには才能がない、才能に関してはみんなが誤解している、例えば生まれとか、氏、素性、育ち、親、階級、そんなものはすべて偶然ではなくて、才能なんだよ、才能さえあればすべてを手に入れることができる、『オレには才能があったのに親を養わなきゃならなかったのでその才能が開花しなかったんだ』なんてクズが口にするそんなレベルの話じゃないよ、才能はあらゆるものを変えてしまう力を持ってるってことだ、才能とは運命なんだよ、運命そのものだ、それで、オレにはその才能がないんだ。オレが三十二年生きて、この世で示したたった一つの才能は、トウジ、お前と会って、お前を世に送ったことだ、と、ずっとそう思って何となく満足してきたが、それも間違いだったとやっと気付いた、オレとお前が会ったのは、お前の才能だった、オレの才能じゃなかった

上405)すべてのものを物質と見なし、軽蔑できれば、あるニュートラルな明晰さに到達できる。その意味で俺は真の平等主義者として、被差別者に限りない優しさを示せるようになったのだ。

上415)だが、夢は、夢である間だけ、システムに抗する力がある。夢が作品になれば、それで終わりだ。

上422-3)「ゼロはね、異常なくらい優しいの、自分のために誰か他人が不幸になったりするのがたまらなくいやなのよ、モーツァルトもそうだったらしいわね、モーツァルトは小さい頃メイドに聞いたんだって、ねえボクのこと好き? ボクといると楽しい? って聞いたんだって、それでメイドが首を振ったら悲しそうな顔になって泣いちゃったんだってよ、それでメイドは慌てて、好きです好きですと言ったらしいんだけど、ゼロも似てるの、そんなのは優しさじゃないのよ、一言で言えば甘えでしょ? モーツァルトはメイドのことなんかどうでもいいのよ、きっとそのメイドが首を切られて殺されてもモーツァルトはきっと泣いたりしないわよ、全然気にもとめないはずよ、モーツァルトが大切なのは、そのメイドの中にあるモーツァルト、そのメイドの中に映るモーツァルトの像なの、やりきれないと思わない? そういう人が現実にいるのよ、でもモーツァルトはいいわよ、天才なんだから、ゼロには才能がないもの、才能のない人は甘えてはだめよ、才能のない人には自分を愛する資格なんか、ないわよ、そう思わない?

上476-7)いいかね、すべては制度になっていく、あんたも制度を作るだろう、〔中略〕僕はあらゆる制度を憎んだが、結局、どのような制度も作り出すことはできなかった、新しい制度を作らなければ制度を壊せない、トロツキーは負けてしまうのだ、二つだけ方法がある、一つは、父親になることだ、実際に、女に子供を産ませてもいい、自分のオヤジを殴り殺すのもいいだろう、とにかく父親にならなければならない〔中略〕もう一つの条件は、プロパガンダだ、父親が世界を席巻し、宣伝がその権力を固める、あんたはひょっとしたらヒトラーになれるかも知れない〔中略〕第三帝国で最も重要だったのは、ゲッペルスだ、特に政権奪取のあと、戦争が続けられたのは百パーセントゲッペルスのおかげだ、天才的な宣伝家がいなければ権力は固まらず、維持できない」

下114)「敵は、日本政府などではありません、私達がクーデターを起こす場合、最も警戒するのは、政府でもなく、ソビエトでもなく、在日米軍なのです

下115)「もう軍事的にはほとんど奴隷です、私がまだ市ヶ谷にいた頃、有名なエピソードがありました、陸自の一佐がアメリカ大使館を訪ねたんです、御存知だと思いますが、アメリカ大使館の受付前は、ものすごい防弾ガラスがあって、その向こう側には、拳銃を腰に下げた警備の兵隊がいます、サージャントです、つまり、軍曹です、この軍曹が、陸自の一佐に敬礼しなかったというんです、一佐と言えば大佐ですよ、どういうことかおわかりですか? 例えばこれがイギリス軍の大佐だったらどうでしょうか、軍曹は必ず敬礼をしたはずです、同盟国の軍隊間のそれは礼というものですよ、やつらは日本を同盟国だなどと思っていません、属国だと思ってます、五十一番目の州だということです、だが五十一番目の州でも、一応アメリカは日本を仮想敵国として戦争のシミュレーションをやっています、日本はやってませんよ、本来ならば日本が徹底してやるべきなのに

下207)「いいか? アメリカの意図は日本を完璧な属国とすることだ、洞木さんやトウジの言葉を借りれば、奴隷ということになるけどね、軍事力で制圧するのは大変なコストがかかってうまくない、一番てっとり早いのは何度か政権交代を繰り返させて、人材を消していくことなんだ、有能な指導者とそのスタッフを持ち上げては、失脚させて、システムをズタズタにしてしまえば日本は自然にアメリカに吸引されてしまうだろう

下246)「最も重要なことは、アメリカとことを構え、アメリカによって日本が潰されても、つまり核攻撃を受けて日本という国が消滅しても、困る国は、どこもないということだ

下528) 「原発ってさ、ミスを防ぐという発想じゃだめで、あらゆるミスを想定してそれらにすべて対処できるプログラムを組むらしいんだよね、ありとあらゆるミスの可能性を考えて、どんな場合にも対処できるシステムを二重、三重に作るわけだろ、それはね、すごいストレスだって言ってたよ
 自分を管理することだからな、と俺がソファに身を沈めたまま言うと、その通りとゼロはアメリカ人がよくやるように指を鳴らした。
失敗してそこから何かを学ぶなんてことはもうできないんだ、前もってミスの可能性を考えつくしておかなきゃいけないんだ、そんなの、ストレス多いよな

下537)私はこの作品でシステムそのものと、そのシステムに抗する人間を描こうとしたが、それは大変な作業で、困難の連続だった。私には自分でもわからないのだがシステムへの憎悪といったものがあり、これまでの作品でもそのことは必ずメインテーマとなってきた。そして、本書でついにシステムを全面的に支え、ある時にはシステムそのものとなる経済と出会ったのである。 ※あとがき

@S模原

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by no828 | 2018-03-19 22:10 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 18日

「お金はいりません」といえるからこそ、「ビジネス」を度外視した、「見たことも聞いたこともないもの」を生み出せる——内沼晋太郎『本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本』

 内沼晋太郎『本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本』朝日新聞出版、2009年。50(1117)


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 右開きで1ページからはじまる「本の未来をつくる仕事」が144ページ、左開きで1ページからはじまる「仕事の未来をつくる本」が77ページ、本のほぼ真ん中に著者のプロフィールとポートレイト。「本の未来をつくる仕事」74ページに書かれた、フランソワーズ・サガンの文庫本でサガンの墓=棚を作るという構想がおもしろいと思った。たしかにあの濃淡ピンク色の背表紙が500冊揃った墓=棚は美しそうだ。

77)ふつう、ある一冊の古本の持ち主がどう変遷していったかは、わからない。たまに残されたままの線引きや書き込みからその人となりを想像したり、何月何日読了などと書かれた署名から知らない人の名前のみを知ったりするだけだ。ましてやその人と実際に話して、あるいは話さずとも目の前のその人がどんな人かを想像して、その人が読んでいたならば自分が読んでも面白いだろうとか、そういったことを考えながら本を買うことができる機会はなかなかない。それが「一箱古本市」では、散歩をしながら気軽に楽しめてしまう。もちろん売っているその本が実は貰い物だったり、買って結局読まなかったものだったりもするだろうが、そういったことも含めて想像したりしてみればむしろ一層面白い。 ※「本の未来をつくる仕事」

80-1) 「子供を本好きにするにはどうしたらいいか」と聞かれることがある。自分は親になったことがないので、お答えするのも非常におこがましいのだけれど、以上のような理由によってとりあえず「まず自分自身が子供の目の前で面白そうに本ばっかり読んで、かつ子供にはまったく薦めない」ということを薦めている。子供の頃、親がお酒を飲んで楽しそうにしていたりするのに「子供はもう寝なさい」と寝床につかされる(しかも実際に眠い)のが悔しかったのと同じように、まず「親がなんだか面白そうなことをしているのに自分は参加させてもらえない」という悔しさを持たせるところからはじめる。本来的に面白くないことは「やりなさい」と強制するしかないかもしれないけれど、本を読むというのは本来的に面白いことなので「読みなさい」と叱るよりも、親が自ら「面白い」ことを見せつけてじらしたほうが、よっぽど効果があるのではないだろうか。 ※「本の未来をつくる仕事」

12)「自分のやりたいこと」は「自分のやりたいこと」で、「お金をもらうこと」は「お金をもらうこと」で、それぞれ別にやる。なぜなら「お金をもらうこと」をするときは、「自分のやりたいこと」よりも「クライアントがやりたいこと」「クライアントが自分にやってほしいこと」を優先するべきだからです。そして「自分のやりたいこと」を、お金を払ってまでして「クライアントが自分にやって欲しいこと」にするのは、とても高いハードルです。 ※「仕事の未来をつくる本」

39)その中で「お金をもらう仕事」が「自分のやりたいこと」に近ければ近いほど、「資本主義経済」という大きな力とシステムの中に「自分のやりたいこと」がのみ込まれてしまって、ついついお金の力、目の前の欲望をかなえる力に負けてしまいがちです。同じ「やりたいこと」をやっていたはずなのに、いつしか「お金がもらえてうれしい」が「お金がもらえないとうれしくない」になってしまったりします。そういうふうに手にしたお金で、「資本主義経済」の中で作られた欲望ばかりをかなえていては、なおさらつまらない発想しか出てこないだろう、とぼくは考えています。繰り返しになりますが、「お金をもらう仕事」である限り、フィールドは競争の激しい「資本主義経済」です。しかし「お金をもらわない仕事」は、「資本主義経済」以外のさまざまな場所をフィールドにすることができます。「お金はいりません」といえるからこそ、「ビジネス」を度外視した、「見たことも聞いたこともないもの」を生み出せるのです。「お金をもらわない」ということの強みは、そこにあります。 ※「仕事の未来をつくる本」

64-5)いまではぼくもまたに、時間短縮のためにタクシーを使います。〔中略〕昔だったら足で安い古本を探していたものも新品で買ったり、必要であれば少々値が張る絶版本でも躊躇せず買います。そうやってうまく「お金をつかう」ことで少しずつ「時間」を手に入れ、それを「お金をもらわない仕事」にどーんと投入しています。少し話はずれますが、貧乏時代を体験していることは、自分の中でとても大きいです。いつでもその生活に戻れる、という実感があると気持ちに「余裕」が生まれて、なんでも試してみようという気になります。 ※「仕事の未来をつくる本」

66)不規則な生活のせいで、明らかに体が不調を訴えているという人であれば別なのですが、そうでない限りは、無理に規則正しい生活をする必要はありません。なぜなら、規則正しい生活がどうしてもしたくなったら、自然とするものだと思うからです。さきほど「あまりやりたい仕事ではないようなときは、半日くらい寝て夕方に出社する」と書きましたが、逆にその仕事が楽しい仕事なら、勝手に目が覚めるものです。 ※「仕事の未来をつくる本」

68-9)〔都心に住む、またはその近くに住むことの利点として〕終電を気にしなくていいということのほかにまず思い浮かぶのは、通勤時間や移動時間の短縮です。電車ですぐなのはもちろん、自転車でそこそこのところまで行けるのも大きいです。また、たとえば観たい映画、展覧会、イベントなどに行きやすいとか、必要なものを買いに行きやすいとか、面白いお店が近所にあるとか面白い人が近くに住んでいるとか、集中してたくさんの新しい情報が入ってくるとか、そういった確率が、都心に近い場所、便利な場所であればあるほど高いといえるでしょう。すなわち時間だけでなく、出会いや経験、情報なども、都心に住むことによって得ることができます。 ※「仕事の未来をつくる本」

70-1)さきほど、都心の近くに住むという話の中で、面白いお店が近所にあるとか、面白い人が近くに住んでいるといった確率も上がる、ということを書きました。ぼくの中で一番大きいメリットは、実はこれであるような気がします。〔中略〕学生のうちは「友達」を作る機会というのはたくさんあります。しかし〔中略〕学生のころの「友達」のような、フランクに何でも気兼ねなく言い合える関係をつくるというのが、だんだん難しくなります。〔中略〕特に飲食店には、どんな職業の人も来る可能性がありますから、ふだん仕事をしていては出会うことのない職業の人と出会うことができます。そういう人の意見があるとものすごく参考になったり、そういう人に助けられたことで見違えるように面白いことになったりします。〔中略〕そういった実利的なこと以上に、言うまでもないことですが、親身になってくれる「友達」がいるということは、毎日を過ごしていくなかで、とてもありがたいものです。もちろん、学生のころは続いているような関係は、また違った、かけがえのないものだと感じます。ぼく自身、本当に助けられてきましたし、この本を書くにあたってもだいぶお世話になりました(みんなありがとう)。

@S模原

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by no828 | 2018-03-18 22:42 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 16日

あなたの知見は、それを求めている者にこそ与えられるべきものです。大衆に理解出来るように書けば良いというだけです。それだけでいい——京極夏彦『文庫版 書楼弔堂 破曉』

 京極夏彦『文庫版 書楼弔堂 破曉』集英社(集英社文庫)、2016年。49(1116)

 単行本は2013年に同社

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 新しい京極堂シリーズとも呼べるかもしれない。井上圓了ほか、歴史上の実在の人物が登場する。事実を挿入しなかったほうが好み。好きだけど。やや脚色が過ぎたか。好きだけど。

16) 「また、最近の本は重いですからねえ。それに、時に横浜だのまで行くんですわ。横浜は歩いちゃ行けませんけど、それだって、汽車賃は本の値段に乗せられませんからねえ。損です」
「上乗せすればいいじゃないか。手間賃という奴だ」
「いやいや、あっちで十銭、こっちで十銭い五厘じゃあ如何にもいけないでしょう。新聞だの手習いだのは、全国何処でも同じ値段で売ってるじゃあないですか。本だけそうはいかないってのはねえ。お客にしてみりゃ間尺に合わないって話で
「そうだがなあ。まあ、だから組合も出来たんだろうし、変わるだろこれから」

27) 「何ごとも、目的に一直線と云うのは味気ないものさ。彼方に振れ此方に揺れて、時に横道に逸れ、思いも寄らぬ処に出る。そうしたことから知見が広がる。何かと発見もあるものだよ。まあ昨今は合理だの利便だのと盛んに云うが、僕は余り気を引かれないのだよ。世に無駄はないさ
「あら〔中略〕手前の主人も同じことを申しますので。世に無駄はない、世を無駄にする者がいるだけだと——

37) 「うちはご覧の通りの本屋です」
「はあ」
本の中身を売っているのではなく、本を売っております
「それはまあ、そうでしょう」
知見が欲しいのであれば、借りて読もうが立ち読みをしようが同じことです。一読理解しさえすれば、それで済みます。でも、本はいんふぉるめーしょんではないのですよ
 本は墓のようなものですと主は云った。
「墓——ですか」

40)「私と云う言葉は、私そのものではありません。あなたと云う言葉も、あなたそのものではない。言葉は現世に対応してあるけれども、現世そのものではない。机と云う言葉とこの机は」
 何の関係もないですと主は云った。

41)「言葉は普く呪文。文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物でございます

43) 「書き記してあるいんふぉるめーしょんにだけ価値があると思うなら、本など要りはしないのです。墓は石塊、その下に埋けられているのは骨片。そんなものに意味も価値もございますまい。石塊や骨片に何かを見出すのは、墓に参る人なのでございます。本も同じです。本は内容に価値があるのではございません。読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がる——そちらの方に価値があるのでございます
「中身ではない、と云うことですかな」
同じ本を読まれても、人に依って立ち上がるものは異なりましょう。どれだけ無価値な内容が書き連ねられていたとて、百人千人が無用と断じたとて、ただ一人の中に価値ある何かが生まれたならば、その本は無価値ではございますまい

44-6) 「文字も言葉も、まやかしでございますよ。そこに現世はありませぬ。虚も実もございませぬ。書物と申しますものは、それを記した人の生み出した、まやかしの現世、現世の屍なのでございますよ〔中略〕しかし、読む人がいるならばその屍は蘇りましょう。文字と云う呪符を読み、言葉と云う呪文を誦むことで、読んだ人の裡に、読んだ人だけの現世が、幽霊として立ち上がるのでございますよ。正に、眼前に現れましょうよ。それが——本でございまするな
 だから買う人が居ると亭主は云った。
「だから、と申しますと」
本から立ち上がる現世は、この、真実の現世ではございません。その人だけの現世でございますよ。だから人は、自分だけのもう一つの世界をば、懐に入れたくなる
 気持ちは解る。
「再読、三読するためでしょうか」
「勿論、読む度にそれは立ち上がりましょうなあ。読む度に違ったものが見えるやもしれません。しかし、私が思うに、一度読んだのならば、もう読む必要はない——のかもしれませんな
「そう——ですか」
読まずとも観るだけで、観ずとも所有しているだけで、その世界は持ち主のものでございましょうから〔中略〕勿論、必ず所有しなければならぬと云う訳ではございません。〔中略〕要は心掛けでございますから、参れずとも祈らずとも供養がなるよう、想うだけでも通じるものではございましょう。でも〔中略〕自分の大切な人の位牌くらいは持っていたいものではございませぬかな

171) 「修行は目的のための手段ではなく、手段である修行こそが目的と云う意味でございます
「しかし歩き続ければ何処かに到着はするでしょう。それとも何処かにも着かないと云うのですか」
「着きますまい。辿り着いたような気になることはあるでしょうが、それはまやかしでございます。禅ではそれを魔境と申します。そこに留まれば、身を滅ぼす。ただ歩き続けるしかないのです。進みが遅かろうと、障害が立ち塞がろうと、迷おうと、歩くことこそが仏道の修行です」
 文学の道も同じでございましょうやと若い書生は問うた。
私の場合は、書くよりない——と云うことになりましょうか
ええ。踏み込んでしまえばもう戻れない。歩き続けるよりない

213) 「信ずるものが正しいと云うのじゃあいかんのだよ高遠君。正しいものを信じなければいかんのだ。だから、何が正しいのか常に疑い考え見極める姿勢が肝要になるのだ。自由も民権も正しいが、必ず自由民権運動の凡てが正義であったと云う訳ではないだろう。その、疑い考え見極めることが哲学である

232) 「そんなもんが実際にあって堪るかと云う。まあ——ねえわな。じゃあねえのかと云うとな、ねえけども、あるんだと云う。何だよそりゃ。巫山戯た物言いじゃねえか。だが、そこんとこを理解しなくっちゃあ本来の信心なんざ出来ねえんだそうだ。信心ってなあ信じる心じゃあねえ、心を信じることだと云うのだな。ただ無闇に信じ込むだけなら、それはただの盲信だ、迷信だと云う。真の信心をするためには理を知れとほざく。理を知り迷妄を棄却するためには哲学が要ると、まあこう云う理屈だな
「なる程」
 主は感心したように云った。

236) 「日本を主とし、異国を客とする——ですか」〔中略〕
「〔中略〕自国の悪しき処は正し、他国の善き処は学ぶ。正すも学ぶも主体あってこそだな。その主体がねえから、何が正しく何が正しくないのか判らねえ

257) 「いずれにしろ悪事を働かなくなるならそれで良いだろう——と、そう云う問題ではないのです。悪事には悪事と断ぜられるだけの理由がある。それが何故に悪事とされるのか、悪とは何なのかを知ってさえいれば善悪は自ずと知れる筈です。そして、悪が何故悪たるのかを知っているのであれば、それが禁止されなければならぬ理由をきちんと理解し、その上で判断するのなら——自ずと悪事を働くこともなくなるでしょう。それが正しき在り方です
 威してさせぬと云うのは子供扱いですよと圓了は云った。

268-9) 「この楼にある本は、どれも私に喜びを与えてくれました。しかし、書いた者は私なんぞを喜ばせようと思って書いた訳ではないでしょう。私が勝手に喜んだのです。本とはそう云うものです
「だが——」
あなたの知見は、それを求めている者にこそ与えられるべきものです。大衆に迎合する必要など全くないのです。志を曲げる必要もない。出来ぬことを無理してすることもない。ただ、大衆に理解出来るように書けば良いというだけです。それだけでいい。そう云う本をお出しになれば、その本は売れます。売れれば売れただけ圓了様の知見は世に広まる。そして圓了様の知見は——」
 金銭を生みますと、弔堂は云った。

323) 「死んで通す筋も、殺して通す筋も、ないですよ。いやいや、あっちゃいかん。それじゃあ筋は通りませんわ。それで通るような筋は、間違った筋じゃち思う。人は生きてこそです。生きて、苦労して通して、それで通るなら、それは正しい筋だ。違いますかのう」
 違いませんと弔堂は云った。

419)ええ死んでおりますと主人は云う。だからこそ、この店は弔堂と云うのである。
読まれなければ死んでいる。この楼はただの目録に過ぎないのです

463) 「主は他人の薦めたもんを有り難がるようじゃあいかんのだ、とも申しますよ。そもそも、手前の主は探書のお手伝いは致しますけれども、良い本だからと云って人様に押し付けるような真似は一切致しませんのです。良い悪いは人それぞれ。ご本と申しますのは、ご自分で欲し、ご自分で探して見付けるが筋。それできちんとお読みになれば、これは絶対に無駄にはならぬものと——主はそう云うことを申しますよ」

516) 「ないものをあるように見せ掛けるのが言葉でございましょうよ
見せ掛ける——のですか
「そうです。ですから、凡ての言葉は呪文。凡ての文字は呪符。凡ての書物は経典であり祝詞でございますよ。作法と云うのは、普く所作で表す言語でございましょうし、式と云うのは原理原則を言語化したものでございます。決して摩訶不思議なものではございません」 ※傍点省略


@S模原

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by no828 | 2018-03-16 23:07 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 15日

政権交代をやってみてわかったことは、政権交代しても変わらないってこと——内田樹・高橋源一郎『沈む日本を愛せますか?』

 内田樹・高橋源一郎『沈む日本を愛せますか?』ロッキング・オン、2010年。48(1115)


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 対談集というか、インタヴュー集。インタヴュアーは渋谷陽一。本文「——」の発言は渋谷。

 わたしも当時思っていた、ということが言葉になって示されていた。いまもそう思っているところがある。「主権国家」が虚しく響く。われわれは何も変えられないのではないか。少なくとも選挙を通じては変えられないのではないか。そう思って諦めるのも癪である。だが、どう動けばよいのかがわからない。とりあえず、動かずに考えてはきた。

「国際化」については、最近そう思うようになってきた。「日本」を世界へと押し出したい人がやるべきはこういうことではないのか。

73)内田 小沢さんが自民党を離れたのって、あのままだと「敵」が見えなくなっちゃうという不安があったからだと思うんだ。どこかにリアル・ファイトの場を作んなきゃいけないって。自民党を辞めたときも、こういう日本を作りたいという確たるヴィジョンがあったわけじゃないと思う。新党を作ったり、合従連衡したのは、とにかく「戦い」を説明できる物語がないと政治はダメなんだという考えからだと思う。

109)内田 自民党のマニフェストの中身もひどかった。主語がないんだよ。政権党としては本来、「いまのままでいいんじゃない?」というのを、自分たちを選んでくれっていうときのロジックとして使いたいでしょ。でも、自民党は一応、「いまはよくない」っていうことを言うわけ。
高橋 (笑)じゃあダメじゃん。
内田 そう(笑)。でも「よくないのだが、それは我々の責任ではない」っていうことを、アピールする(笑)。

187)内田 そう、〔小沢一郎は〕強権と闘って、とにかく体制を倒す。で、「倒してどうすんの?」って言うと、たぶんそのあとのことは考えてないんだよ(笑)
高橋 勝っちゃいけないんだ。
内田 検察・霞ヶ関・マスコミっていう、日本のエスタブリッシュメントに対するある種の純粋な批評性なんだよ。確かに吉本隆明だね

222)高橋 50年以上続いた自民党政権が代わったじゃない? 政権交代っておもしろいから、代えてみよう、みたいな。で、ついに政権交代してみたら……変わんないじゃないか。
——はははは。
高橋 この失望はものすごく深い。さっき、なんで離婚の話をしたかというと、国民は自民党と離婚して、民主党と結婚したわけじゃない? つまりさ、そのときはまだ、結婚っていう制度を信じてたわけ。
内田 (笑)なるほど!
高橋 だから、この次に来るのは、「そもそも結婚っていう制度自体が信じられない」ってことじゃないか。

223)高橋 いままで、政権があって、政党があって、首相がいて、そのコントロールの下に政治をやる、っていう建て前があった。でも、その向こう側にアメリカがあって、官僚制度があって、マスコミがいて、そのへんがなんかやってるんだな、っていう舞台裏が、鳩山さんがいろいろ混乱した結果、見えたというか。
内田 うん。
高橋 そこはいままで、なんだかんだいっても隠れてたじゃない。でも今回、その部分が見えた。それは、実は鳩山さんの手柄だと思うんです。
内田 うーん、それ、100%同意見!

227-8)内田 日本の統治システムが、どういうシステムなのかっていうことが、わかったっていうね。やっぱり動かないんだよ、変えようとしても。政権交代してもダメだった。だから、いかに堅牢なシステムがあるのかっていうことを、改めて思い知らされた。特にアメリカがね。「ああ、日本って、本当にアメリカが支配してる国なんだな」って。
高橋 だから、マスコミも、本来そこをつっこむべきだったんだ。でも、つっこまないんだよね。その問題を全部スルーした。〔中略〕鳩山さんは少なくとも、「矛盾がありました」って言ったんだけど、そのあとに、メディアは従来の対応をした。つまり、隠蔽する方向にしたじゃない? 「王様は裸だ」って言ったのに、「いやいや、着てらっしゃいますよ」って言ったわけ。
内田 いや、言い得て妙だね。

229)内田 フィリピンのクラークとかスービックの米軍基地、もう撤去されてるでしょ。
高橋 そう。みんな、「絶対必要」って言ってたはずなんだ、昔は。
内田 韓国の基地だって、2008年からどんどん撤去されて、3分の1にまで縮減しようとしている。そういうふうに東アジアの米軍基地が縮小されてゆく中で、沖縄だけが現状維持でしょ。だったら、それを説明する根拠が示されなきゃいけない。でも、それは誰も追求しない
高橋 言わないよね。
内田 言えないんだよ。だって、論理的に考えると、韓国やフィリピンからは撤収できても、沖縄からは撤収できませんということの理由は「韓国には置けないけど沖縄には置けるものがある」ってことしかないんだから
高橋 「それは何?」ってことだよね。

232)高橋 政権交代をやってみてわかったことは、政権交代しても変わらないってこと。
内田 うん、貴重な教訓だよね。

254-5)内田 ほんとは、原則的にひたすら「基地撤去」って言えばよかったんだよ。それでアメリカに跳ね返されて、負けましたと。「我々は一丸となって基地撤去を説いたのだが、アメリカがゴリ押しして、我々は負けた」っていう形にすれば、日米間に対立があって、日本国民は一致するっていうことになるじゃない。
——でも、それはできなかったよね。
内田 なんでできなかったかというと、沖縄に核があるからなんだよ。〔中略〕
——でもさ、これは藤原帰一さんが言ってたんだけども、政権交代という便利なカードがあったんだから。「俺たちは知らないよ、自民党がやったことじゃないか」っていう——
高橋 可能性はそこにあったよね。
内田 唯一の可能性としてね。

263)内田 マルクスって自由だと思うのね。ラディカルにものを考えるってことが、マルクス主義なんだからさ。
高橋 その目の前にある現実のシステムに対抗するシステムを、本質から考えるっていう意味。だからもしかすると、時代によっては、マルクス主義って共産主義じゃないかもしれない、ってことなんですよ。
内田 そうそう。ほんとにそうだね。それが真の左翼性ってことです。

304)内田 「主観的にはこっちのほうに行きたい」っていうのはヴィジョンとして提示していいんだよ。でも、政策的なロードマップはそれとは別で、「この目的地にたどり着くためにはいろいろ紆余曲折がありますんで、まっすぐには行けません」って正直に言えばいい。ヴィジョンを示さないから、話が中途半端になるんだよ。

314)高橋 オバマの演説のいいところは、やっぱりアメリカの悪いところを言うところなんだ。あれはうまいよね。「ここがいまダメです」って。やっぱり優秀な政治家は、自国の欠点を言わなきゃ。
内田 クレバーな政治家はまず欠点を列挙するところから入るね。

321)内田 政治家なんて、年齢関係なくて、賢い人がやればいいんだからさ。若くてもバカはダメなの。またメディアが「世代交代が必要」って書くでしょ?
高橋 そうなんだよ。
内田 バカじゃない。必要なのは、愚賢交代なんだよ。

334-6)内田 政治を語る言語が劣化してきた最大の理由っていうか、僕らが日々の米粒の心配だけして、政治のことを投げてた本当の理由は、結局、日本の政治を支配してるのが、アメリカだからなんだよね。日本の政治を支配していたのは、日本の政治家じゃない。〔中略〕なんだかんだ言いながらね、僕らが日本の政治を軽んじてきた最大の理由は、僕らは日本の統治者は選べるけども、アメリカの統治者は選べないからでしょう。僕らにアメリカの統治者を選ぶ権利があったら、もっと真剣に政治にかかわると思うよ(笑)。〔中略〕
高橋 そうだ、アメリカの属国、というか州にしてもらえばいいじゃない。1億3000万、人口が増えるよ。
内田 それ、いいアイディアだね。アメリカの人口、いま3億だけど、4億3000万になってさ。そのうち1億3000万が日本人なんだよ?すげえ。
高橋 25%あるわけだからね。
内田 上院議員が25人ぐらい出てね。圧倒的な勢力じゃない。
高橋 絶対、決定権持ってるよね。
内田 たぶん、まず大統領が出るよ、日系人から。

337)内田 結局、日本人の政治を語る言葉が全部嘘くさくなっちゃうのは、日本が主権国家じゃないからなんだよ。

345)高橋 アジェンダに、対米独立を明記する。これ、いいと思うな、はっきりしていて。〔中略〕
内田 うん。鳩山さんも入れてね。だから、小鳩連合っていうのはさ、あれ、対米独立派連合なんだよ。日本の根本問題は、主権国家じゃないってことなんだよ。それが最大の問題であって。他のことは論ずるに足らない。主権国家として自立すれば、全部なんとかなる。〔中略〕すべての問題は、主権国家じゃないっていう、我々の負の条件から発しているんだよ。
高橋 でも、それはさ、江藤淳が言ってたのとまったく同じことだから。
内田 ははははは!
高橋 江藤さんは、20年も前に、『自由と禁忌』の中で、「我々はアメリカに対して従属していることによって、禁忌を背負ってしまった。我々の言語が自由でないのは、アメリカに対して負債を負っているからだ」って言ってますから。
内田 正しいよね。

352)内田 だからその点に小泉純一郎っていう人の最大の貢献があるんだよ。あの人は、アメリカン・グローバリズムっていうのを強引に日本に導入して、全部失敗するって形で、「アメリカの真似をしてもダメなんだよ」っていうことを示した。それが我々の骨身にしみた。

354-5)内田 国際化っていうのにはさ、「国連の公用語に日本語を採用しろ!」「国際会議を日本語でやらせろ!」っていう選択肢だってあるわけでしょ。だけど、日本で「国際化」っていうとさ、すぐに「英語を勉強しましょう」っていう方向に行っちゃう。それは本末転倒だと僕は思う。だから、僕が武道とか能とかやって、書くものも「日本語でしか書きません」って言ってるのはさ、結局、日本オリジンのもので、世界をあっと言わせるしかないと思ってるからなんだよね。「日本人、侮り難し」っていうふうにしないと。そこからしか国際化は始まらないよ。

361)——だからSIGHTの編集長として言わせてもらえば、SIGHTのような、テキストのほとんどがインタヴューで構成されている総合誌なんて、存在しないわけですよ。しかも1本1本がめちゃめちゃ長いという。ただ、そうじゃないと、言語が言語として機能しないんですよ、いまの政治の局面では。2ページだけの記事だと、それはもう、通常の政治言語の中で終わってしまう。
内田 できあいの定型に落とし込んじゃうからね。
——長く語ることによって、違う言語が出てくるわけだよね。ただ、それは、全体を見ないとわからないから。そうやって総合誌を作るっていうことが、我々の役割だと思うんだよね。


 最後の渋谷の発言もとても響いた。長く書いたそのなかに、同じようなことを繰り返しているそのなかに、あるいは冗長性のなかに本質が宿り、読み手がそれを受け取ることはたしかにある、と思う。

@S模原

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by no828 | 2018-03-15 22:39 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 03月 14日

「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」「だから寝たんです」——村上春樹『女のいない男たち』

 村上春樹『女のいない男たち』文藝春秋、2014年。47(1114)


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 短編小説集。女との関係における男について。

42) 「彼とは本当の友だちになったのですか? それともあくまで演技だったんですか?」
 家福はそれについて考えた。「両方だよ。その境目は僕自身にもだんだんわからなくなっていった。真剣に演技をするというのは、つまりそういうことだから」 ※「ドライブ・マイ・カー」

57)みさきは窓ガラスを下ろし、車のライターでマールボロに火をつけた。そして煙を大きく吸い込み、うまそうに目を細めた。しばらく肺に留めてから、窓の外にゆっくりと吐き出した。
命取りになるぞ」と家福は言った。
そんなことを言えば、生きていること自体が命取りです」とみさきは言った。
 家福は笑った。「ひとつの考え方ではある」
「家福さんが笑ったのを初めて見ました」とみさきは言った。 ※「ドライブ・マイ・カー」

61) 「でも、はっきり言ってたいしたやつじゃないんだ。性格は良いかもしれない。ハンサムだし、笑顔も素敵だ。そして少なくとも調子の良い人間ではなかった。でも敬意を抱きたくなるような人間ではない。正直だが奥行きに欠ける。弱みを抱え、俳優としても二流だった。それに対して僕の奥さんは意志が強く、底の深い女性だった。時間をかけてゆっくり静かにものを考えることのできる人だった。なのになぜそんななんでもない男に心を惹かれ、抱かれなくてはならなかったのか、そのことが今でも棘のように心に刺さっている
それはある意味では、家福さん自身に向けられた侮辱のようにさえ感じられる。そういうことですか?
 家福は少し考え、正直に認めた。「そういうことかもしれない
奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」とみさきはとても簡潔に言った。「だから寝たんです」 ※「ドライブ・マイ・カー」

86)「文化ゆうのは等価なもんやないか。東京弁の方が関西弁より偉いなんてことがあるかい」
あのね、それは等価かもしれないけど、明治維新以来、東京の言葉がいちおう日本語表現の基準になっているの」と栗谷えりかは言った。「その証拠に、たとえばサリンジャーの『フラニーとズーイ』の関西語訳なんて出てないでしょう?
出てたらおれは買うで」と木樽は言った。
 僕も買うだろうと思ったが、黙っていた。余計な口出しは控えた方がいい。 ※「イエスタデイ」


@S模原

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by no828 | 2018-03-14 21:12 | 人+本=体 | Comments(0)